星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

水の中の環

2024-06-14 | …まつわる日もいろいろ
フランソワーズ・アルディさんの訃報を今朝知りました。

6年前に買ったアルバム、 あれが最後のアルバムになったのでしょうか…(そのときの日記>>) 
あのアルバムを買ったきっかけの曲 「You're My Home」、、 英語の歌詞だから 私にも聴いていて意味がわかることが出来たというのと、 私も当時 身体の不調や 加齢や よくわからない症状?のなかで 毎日すべきことをなんとかこなそうと頑張る自分と この歌の歌詞を重ね合わせていたのでしょう… 

フランソワーズ・アルディさん 年齢でいえば まだそんなにご高齢ではなかったけれども、 数年来ずっとご病気に苦しんでいるという報道を知っていて、 仏語の報道だったけれど 苦痛のために尊厳死を求めているという程の記事も読んでいたので、 フランスでも緩和ケアの医療は進んでいるだろうに、 どうにかもっと苦痛のない生活を送ることができないものかと、 海の彼方のこととはいえ ずっと気懸りでした。


フィガロジャポンのサイトに 訃報とともに フランソワーズ・アルディさんの60~70年代の写真がたくさん掲載されていました (写真で見る永遠のファッションアイコン、フランソワーズ・アルディ。>>

60年代のアルディさんを同時代で見ていた筈はないけれども、 70年代の姿はたぶん雑誌や何かで目にしていたんだと思います(フレンチポップも大好きな子供だったし)

ジェーン・バーキンやマリアンヌ・フェイスフルや、 ファッションアイコンとなった当時の女性シンガー&モデルさんの中で、 フランソワーズ・アルディはどこか真面目な女学生風というか、 タートルネックのセーターにひざ丈のスカートとか、 飾りのないワンピースとか、、 それで前髪をちょっと斜め分けにして唇を結んで…

今それらの写真を見ると、 驚くほど自分たちの小学生時代のお洋服が影響を受けている事にも気づきます。 そして髪を斜め分けにした真面目そうなアルディさんが、 自分の親友の とても賢く美しかったお姉さまにとても似ていると 先程びっくりしたところです(親友の話は4月に書きましたね…)


Françoise Hardy - You’re My Home (Studio Session)



お年を召してからのアルディさんも とても美しい方でした。 このMVで歌われているように、 私もまだ これからも 毎日闘っていくつもり…。 ね、 私がんばってるでしょう…? そう貴方に示すために…


今日のタイトルは 67年のアルバム『もう森へなんか行かない』のなかの 好きな曲 「Des ronds dans l'eau」の日本語タイトル。 川面に石を投げて水切りをする遊びのこと。 その川面にできるたくさんの水の環 のことらしい。。 


おとなになって、



頑張り過ぎてしまう誰かさんへの


そんな歌なのかもしれない…

Re set

2024-06-12 | …まつわる日もいろいろ
・・・ すこし落ち着こう… 笑


春以降、 コンサートに出かけたり、 古い知り合いに思いがけないことが起こったり、、 それは良いこともそうでないことも あったのだけれど、、

自分の日常とは異なった時間のながれで いろいろ考えたり連絡したり決めることがあったり、 動かなくてはならなかったり、、 それに伴って こころのUP&DOWNが激しくなって、、

、、 こんな私とは比べ物にならないくらい さまざまな事を同時にかかえて 忙しさで一杯で、、 それでしっかりと自分を見失わずに クリエイティブでいられる方の事をほんとうに尊敬します。。 どこか 自分は この世界、、 この惑星 での時間には一緒についていけないクリーチャーなのじゃないか と… 

 ***

アメリア・イヤハートの本も すこし作用を大きくしてしまったのかも…

、、あったかもしれない人生、 などという考えは無意味だとわかってはいても、 アメリア自身の言葉が 夢と願いを生き生きと謳えば謳うほど こころは揺さぶられて、、 そのあと不意に その心の行き場がないことに気づく…

やっぱり私には 物語の世界のほうが合っているのかも。。  ・・・そう考えたところでまた戸惑う、、 どうして近頃の小説は 現実世界でいやというほど見せつけられているテーマばかり追うのだろう… どうして自分や自分のまわりに起こりそうな問題や事件を読みたがるのだろう…


ひとは 自分が知っていることしか知りたくないのだ


そんなことを言った作家さんが たしか いた。 

 ***

80代の先輩から 半年前の私の手紙に対するお返事がとどきました。。 とおいとおい惑星との会話のように。。

お手紙を書く、、 という行為は こころが純粋になった瞬間でないと書けないものです。 だから時間のかかるものです。 わたしが純粋におちついていた気持ちで書いた手紙に、 純粋なお心のお返事が返ってきたなら、 半年でも 一年でも こころの隔たりはありません。 


私の乱れていた体内時計もリセットされました。


つぎに読みたい本も決めました 何冊か。。 森と、 滝と、 夜のあいだに降りた霜のかがやきと、 薄い透明な大気の…


そんな世界。




心配ごとは 雪融け水とともに 地に浸みたの・・・?


星たちがささえてくれる… きっと

2024-05-21 | …まつわる日もいろいろ
 北のオーロラは美しい夢のように、かすかに光っている。風はやんだ。空はめまいを誘うように高く澄みわたり、激しい寒さが戻っている。 …(略)… 不安定で災いに満ちた危うい道を歩んでいるのは承知のうえた。わたしに決められることはなにもない。空は頭上でぽっかりと開いた深い淵のようだ。わたしがその淵に墜ちるのを止められるのは、乱雑にちりばめられた星たちだけだった。


ゆうべ読み終えた本のなかからの引用。 なんて美しい描写。 そして力強い言葉。
とりわけ、 (不安定で~危うい道を)からの部分に自分の想いを重ねあわせました。 、、(災いに満ちた)というほどの重い実感は、いまの自分には無いけれども、、 

天空が墜ちてくるよう… というのではなく、 自分が空に墜ちていく… 受け止めてくれるのは散りばめられた星たち。。 その逆転のイメージが新鮮で 力強い。

これから先のこと、、 運命的な、 というより 宿命がさし示す道のゆくへは…  (わたしに決められることはなにもない) 


でも、 美しいオーロラの待つ空が さきに見えているなら、、 きっとそこを目指す よね。


そしてもし、 足元を踏みはずして天に墜ちたら、、


星たちにこの身を預けよう…


 ***

この引用の本のことは また書ける時間ができたら書きたいとおもいます。 素敵な物語でした。 先日の太陽フレアがもたらしてくれた世界各地のオーロラの写真、、 綺麗でしたね。 宇宙とわたしたちはこんなふうに繋がっているのに 都市に暮らしているとつい地上の物事ばかりに気を取られて、 宇宙を実感できなくなってしまうのが残念。。 そんな時に上記の記述に出会って、 とても嬉しかったのです。


またしばらく読書の日々を過ごします。 アメリア・イヤーハートの手記も読まないと。。



良い日々をお過ごしください…

この街は、解放されたよ…

2024-04-30 | …まつわる日もいろいろ
前回のフォト、 自分で見てもホラーなので m(_ _)m 消そうかと思って、、、


でも 今朝、 なぜか(何故かは自分ではわかっているけど…)ものすごく、 どうしても、 このMVが見たくなって…
 Phosphorescent - Song For Zula

、、 そしたら Phosphorescent の新しいアルバムが今月出たのだと知りました。 嬉しい! また妖精さんが知らせてくれました… ありがと。
 Phosphorescent - Revelator (Official Music Video)

いまの自分にも なにか感じるところのある曲のように思う… 



今日はこれから病院。 お薬もらいに行くの 先延ばしにしてたので残りがヤバい。。 Phosphorescent の他の楽曲たちは 帰ってきてから聴こう… ゆっくり珈琲のみながら…


ゴールデンウィークの残り



愉しんでくださいね。



またね


愛の底地から

2024-04-28 | …まつわる日もいろいろ
4年前のこれよりも…






こっちのほうが ずっといいよね…








夢の実現には 時間がかかるけど…




愛のそこぢから ♡



春へ…

2024-03-02 | …まつわる日もいろいろ
3月になりました。

きょうはルーリードさんのお誕生日。 82歳になられます…

 ***

すこし前から  人生には15年ずつくらいの区切りがあるように思って

15歳で子供期から脱し、 30歳くらいで若者期から脱し、、

それでも、なんでも出来そうな若さも頑張りも残っていて… 45歳くらいまでは 奔れる気もする。。

それから ひとつの転換期がやって来て… 

思うがままとは、、 すべてがそのようにはいかない時代がやって来る… その15年間…

思うがまま、、 とはいかないけれども この時代を逃したら 人生の集大成は難しい気もする…

 ***

そして 60歳からの15年間。

この期は大きく分かれるんだろう… 走り続けるつもりでいる人と、 しずかに ひそやかに 人生をまとめあげていく人と…

その先の15年間が あるかどうかは誰にもわからない。 あったとして、、 それが行動できる15年間か 誰かのお世話になる15年間か…

 ***

自分のあたえられた時間、。  誰にも予測は出来ないし、 誰もが 欲しい時間。。 


、、 ルー・リードさんは走り続けていた… けれども その先の15年は 訪れなかった。


これは ルーリードさんについての話ではないし、 わたし自身の話でもなくて、、 わたしが ただ思っていること


追われる焦燥や 時間切れと闘う日々のなかで、 自分のほんとうの、 そうありたいと思うじぶんの姿を 見失いたくない…






don't waste...





春が そこまで



現実の迷宮

2024-02-01 | …まつわる日もいろいろ
2月になりました。

なかなか更新できない日々… 落ち着きのない日々を過ごしていました。。 なぜ、、 とはうまく言えないけれども どうしても気持ちの不安定になりがちなこの一週間が過ぎ、 わたしの術後の18年目がはじまりました。

これからの日々の元気のため 歓びのために、 今年でかけるコンサートのチケット取りにいそしんでたりもしました。 先月のN響公演でも 美しいそしてユニークなラヴェルの音楽を味わいましたけど、 今年はラヴェルにご縁があるよう… 楽しみが膨らみます。

 ***


   ・・幻想の迷宮のなかで現実に導かれていく・・・
               (エルザ・トリオレ)


昨年からの読書もゆっくりとつづいています。 慶びの日 哀しみの日 何度も中断しながら…

上記の、 エルザ・トリオレの本のなかの言葉にはっといたしました。 すこし考えて、、 「現実の迷宮のなかで幻想に導かれていく…」 そういうこともありがちだろうと。。

しかし 上記は作家の言葉。 創造する者の イマジネーションのありかたの言葉。 なるほど、 そういう作家さんだったのだと、 いくつかの作品を読んで納得しています。 そしてそこに惹かれています。 つねに、 立脚点はこの世界の現実だということ。 ふわふわとただよう幻想ではなく。




春が来ます



凍えた迷宮をゆっくりととかす



春になればいい…

2024年 新春

2024-01-05 | …まつわる日もいろいろ
2024年 新春

なんとも悲しい年明けになってしまいました。
過去の震災と同じく、一日一日と被害のようすがさらに増していきます。 どうか避難されている方々、 救援にあたっている方々、 体調をくずされませんように…

3.11のことも思い出されました。 職場の休憩室にみんなで集まって夜を明かしました。 あのときは寒くなかったと書いていたけど、 今思うとやっぱり寒かった。 3月の東京ですらそうだったのですから、 今はどんなにか寒いことでしょう… 

そんな記憶のせいか、、 初夢では職場でばたばたはたらいていました。 「〇〇は使える?」などと停電の心配をして後輩の子にきいていました… 退職してもう何年も経つのに…

それでも 何かしら自分のできることをしたいという想いがあるのかな…と 目覚めて思いました…

 ***

昨夏、、

56年くらい前に受けた手術の部位に炎症を起こして病院に駆け込みましたが、 そのときにドクターに、 こんな時どんなケアを自分でしたらいいのかと尋ねたところ、 「わからない」と…。

というのも、 半世紀以上も前の手術。 とうぜんこんな術式の患者はもういません。 先生曰く、 ボクも含めて(今の医師は)誰もこのような術式を診たことが無い、 症例が無いから何がベストか「わからない」と。。 わからない、と言ってくれる医師は信用がおけるとワタシは思ってはいるのですけれど… (もちろんちゃんと治療してくださって治りました)

私の手術をした教授もとうの昔に亡くなられ、 確かいま70代くらいのドクターに かつて学生時代の講義で聞いたことがある… とか言われました… きっとどこか図書館の奥底あたりの学会誌には、ワタシの症例も残っているのかもしれません…

そんなだから、、 これからの日々を生きることは、 一年一年が なんというか前人未踏の領域みたいなもの… 笑  でもそんなことを言えば どんな人だって、 生きていくことは 前人未踏の世界をすすんでいくことですものね…


今年の目標は

う~~ん むずかしい…  、、やりたいこと、 行きたいところ、、 そういう希望はいっぱいある。 それを目標というのは ちょっとちがう… 

さきほど書いたことも含めて、、 自分自身でもわからない、 人にも(ドクターにも)教えてもらえない 自分自身の身に苦心しつつも、 それでも 自分はこうなんだよ… という自分がおもう(うつくしい)生き方をいつも目指していたい…

「美しさ」 ということばの意味を調べると、 調和のとれた とか 乱れの無い とか出ていますが、 それを私自身に求めるのはムリ。。 不均衡だろうが 乱れていようが 時にはなにもできずダウンしていようが、、 私がこうありたいと思える(うつくしさ)をもとめて、 できるだけ前をみて 背筋をのばして。。

そうやって

未知の領域を 歩んでいこう…



一歩  一歩。





どこかにあった… とさがして見つけたドラゴン柄。 
今年を見守っていてね…


地平線と自分のあいだに…

2023-12-30 | …まつわる日もいろいろ
今年から 来年へ、、

もうすぐ年が新しくなろうとしています。

それは日付が変わる事、、 昨日、今日、明日…  ただそれだけの事なのに、なにかとても特別な気持ちになるのは何故でしょう…

自分のなかのなにか 気持ちもからだも… なにかが少し新しく生まれ変われるような… 願い、勇気、、 それとも、 世界がもっと… その瞬間にもっとうつくしく生まれ変わることができたら… そんな夢、、 ちいさな溜息…


おだやかな気持ちとともに、 心のどこかに不安も 心配も 混在しています。。 ノンシャランに微笑んでいる自分でありたい… 日々そんなふうに思いつつ、 生来の心配性はなかなか治りません…

でも、 わたしは大丈夫よ。


きょうがだいじょうぶなように、、 明日も、 そのつぎも…  その繰り返し。 積み重ね。



2年後、 3年後の約束は できないけれど…



いつかの今日が


2年後、 3年後に、、 なっているように…  毎日を…


 ***


  女が独りで生きるとき、地平線と自分を遮るものはなにもない。独りだと、何事をも際限なく見つめつづけることができるのだ。火や海や、ほんの幼な児たちをみつめたりするのと同じように・・・略
         (『今晩は、テレーズ』エルザ・トリオレ 広田正敏・訳)



エルザ・トリオレについてはまた… と書いたまま 年を越してしまいます。 このまま ほかの作品も少しずつ読みつつ、、 年末年始の日々を過ごしていきます。。 お台所やリビングを行き来しつつ…

「女が独りで生きるとき、地平線と自分を遮るものはなにもない…」 そんなビジョンが素敵だと思いました。 もちろんこれは作家としてのトリオレのビジョンでもあるはず。

、、 独り暮らしでなけれは…? 地平線と自分とのあいだを遮るわずらわしいものが山ほど…?  そうかもしれない…笑

だけど、、 あるとき ある瞬間 あるひととき、、 火も海も 地平線も、 際限なく見つめていられる心の透明さは保っていたい… その透明な眼で向き合えるものを いつまでも愛しつづけたい… そんな透明な目的が いつまでも存在しつづけますように… 



今年から 来年へ…



あなたがいつもしあわせでありますように…




赤い薔薇と松の相性が意外と良いことに気づいた年の瀬でした… ♡

生きてることがプレゼント…

2023-12-23 | …まつわる日もいろいろ
師走の日々…  ともかく元気です…

あっという間に冬至も過ぎました。。 昨日も今朝も、 冬至らしい冷え込みでしたね。
ここ数日、 気がつくとそろそろ夕飯の用意、、なんて時間になっていて、 あぁ忙しい。。 年末年始のお買い物リストをつくるだけで時間がかかっているようなのろまさんなのが原因なんですけど…

本も読みたい、 音楽も聴きたい、、 忙しくなればなるほど この欲望が高まるのは昔からの悪い癖。。 わるい? のかな、、 よくわからない。 アドレナリンの要求なのでしょう…

今読みかけている本のなかにも、 「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」や、まだ読んでいない本ぜんぶを読むには人生は短すぎる… というようなことが書いてあったので、 昔の人もそうなのだから しょうがないか… と自分を納得させて、、


今年は、、 年のはじまりから訃報もありました。。 海の彼方からの報せだから 今でも実感がともなっていないけれども、、 それでいいんだと思う。。 心のなかは変わっていないから…

この前、、 とても素敵な音楽を見つけたので・・・ (私をよく知るひとに…)

 See No Evil · Ghost

これすごく好き♪ いままでTelevision の曲のカヴァーのどれを聴いても、 本家を聴きたくなるばかりで何も魅かれるものがなかったけれど、 これは大好き。 この曲のかっこ良さ、 ボップさの良い部分が際立ってて。。
Ghostの曲はちっとも聴いたことはないけれど、、 スウェーデンのバンドなのね、 スウェーデンのバンドはポップでロックな匙加減が巧いです。


今朝は このライヴが流れています⤵
 Asaf AvidanNancy Jazz Pulsations 2023 (ARTE Concert)

さっきBGMにしようと まだ見ていなかったナンシージャズフェスの中からたまたま開いた Asaf Avidan という方のライヴ。 なかなかオススメです。 BGMにしようと思っても、つい画面に集中してしまって、、 

サムネイルのお写真からは想像つかないお声、 独りでたくさんの楽器をあれこれ操って、、 とってもユニークな 見応えあるライヴでした。





先月サントリーホールに行った時の、 アークヒルズのクリスマスツリー。
、、なんとなく 「どんど焼き」を思い浮かべてしまったのはわたしだけでしょうか…

でも、 クリスマスに「ブッシュドノエル」というお菓子をいただくのは、 夜の長い冬至の頃、、 暖炉に丸太を燃やして家族で火を囲んで、 はやく太陽がかがやく季節が戻ってくるのを待ちわびる想いから、、だとか。。 だからアークヒルズのツリーは 「冬至の薪」=ユールログを意味しているのですね。 いっぱい燃えて良いんですね。


 「プレゼントなんて、もう長いこともらってない」
 「生きてることがプレゼントさ」と___は言った。 「毎日の一時間、一分がね」



つい先日読み終えた小説のなかの台詞。。 ラストのほうのだいじな場面なので、 本のタイトルはここでは伏せておきます。 なかなか読み進まなかったけれど、 読み通せて良かったと思える本でした。


冬至は過ぎたから、、 夜明けはまたすこしずつ早くなっていきます。 来年はもう 始まっているんだね…


どうぞ あたたかいクリスマスを。



わたしの愛する人たちの健康としあわせのために…




プレゼント とどきますように… ☆彡



なげうつかつなげるか…

2023-12-08 | …まつわる日もいろいろ
やっとお部屋にクリスマスツリー飾りました。 毎年使っているほんのちいさないつものですけど…

そして今年もあと… ということで、 しばらく前から 今年を象徴する漢字、 ずっと考えていたんです。。 候補のひとつとして、、

 「擲」

テキ、 なげうつという漢字。 『骰子一擲』…これはステファヌ・マラルメの詩集のタイトル。 サイコロのひと振り。 、、わたしの頭の中にあったのは、 マーラー交響曲第6番で打ち下ろされるハンマー《一擲》のこと。 一撃でもよかったんですが、 撃は武器のイメージですし。。

今年5月に聴いた マーラー6番のノットさんによる、世界でも稀な《5回のハンマー》。 人生をふいに襲う悲劇のハンマー。 5回であるのか2回であるのか、、演奏会とはべつにして、 人生に振り下ろされるハンマーの意味を考え、 たしかに人生はその繰り返しなのかもしれないな…とも思いましたし、 今年を象徴するイメージでもありました。 詳しくは語りませんけれども…

つい先日のベルリン・フィル公演のベルク「管弦楽のための3つの小品」でも 最後の巨大なハンマーの打擲に驚きました。 マーラー6番を意識した曲とのことで成程と思いましたが、 バリッ‼とすごい音がしたので、見たらお餅もつけそうなしっかりした木製のハンマーでした。

でも、、 私自身の一年を考えたら おおむね無事に過ごせた一年であったと思うので、、 ハンマーの「擲」の字は無しにしました。 それでは、、 もうひとつの候補は…


、、 今年の春ごろ たしか堀辰雄の小説を読んでいたときだったと思います。

 「怺」

という漢字にはっとしました。 「こらえる」、、 ふつうは「堪える」と書きますが、 堪えるは、痛みや苦しみをじっと我慢するという「耐える」と同様の意味かと思います。 でも、 堀辰雄が使っていたのは、 「辛抱する」「惑わされないように心を保つ」、、そういう意味でこの「怺」(こらえる)という字を何度か使っていました。

あぁ そうか、、と気づかされました。 心を保つ、、 りっしんべんに「永」です。 こころをとこしえに… そのような意味の「こらえる」。

この夏、 ミラン・クンデラの『不滅』を読んでいた時もこの「怺える」という言葉を思い出していました。 作中でアニェスが思った事。 世界が耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎だけ買って、その青い点だけ見つめて街を歩こう…
、、アニェスはずっと「怺えて」いたのです。 やり場のない心をなんとか保つように…。。

しかしこれもまた、 私自身のことではないような気がします。 確かに世界には耐え難い物事がいっぱいあります。 だけどまだ私は勿忘草をかざして世界を遮断するほどには、まいってはいない、と思う。。


それでは…?  そうして考えたのが…

 「継」

つなぐ、つづける、うけつぐ、、 継続、、 古くなったものや破れたものに「つぎをあてる」という「つぎ(継)」もこの漢字ですね。 私のこの身体もずいぶん継ぎ接ぎしてきました。 それでもまだ命をつないで暮らしをつづけて、、 破れそうな心にも早めに「継ぎ」を。。 

そして この字は 「まま」とも読みます。 継子(ままこ)…血のつながりのない、という意味の。。 この意味が私に特別重要なわけではありませんが、 血のつながりのない、という事も最近考えている事でもあって、、 つまり、 血のつながりの無い他人同士の人間関係をつなぐことこそが人生の長い長い道のりの重要課題なのかな…と、 最近よく思うのです。

血のつながり、という意味以外でも 異なる民族、 異なる宗教、 異なる地域、 異なる環境、、 異なる背景をもつ人間同士がわかり合うことの困難さが さまざまな不幸や悲劇に結びついてしまうことがある… だからこそ もともとつながりの無い者同士が心を寄せ合うことの大切さ、 難しくてもやらなければならないこと。。

「継」という漢字の 旧字体は 
 「繼」
という、 ばらばらの糸をつなぎ合わせて成り立っているようです。 ひとつの部屋にちっちゃな「糸」が4つ並んで、そして大きな「糸」になる、、 そうやって見ると可愛い漢字にも見えてきます。


、、というわけで



明日のために、  来年のために、、



今日を 継ぐ。





今夏、スウェーデンにいらした方からのお裾分け、メダルチョコ。ずっと冷蔵庫に… クリスマスにいただこうかしら…

今夜、Nobel Prize Concert の中継もあるようです。 エサ=ペッカ・サロネンさん指揮。

L'Apparition… 

2023-11-24 | …まつわる日もいろいろ
今度の日曜日まで視聴できるニコ響で 東響さんの名曲全集第193回を聴いていました。 

今回の公演の前半はとっても攻め攻めの4曲でしたね。 リゲティ、 ブラームス、 ブーレーズ、 アマン、 時代も国もばらばらの作曲家なのに 通して聴いてみると不思議な統一感もあって、、 4曲目のアマン作の Glut という曲では いろんな珍しい打楽器がいっぱいで、 きっとホールで聴いたならばいろんな音が飛び交って (いまの何の音?)と思ったでしょうし、 ニコ響の中継ではちゃんとスイッチャーさんがその珍しい楽器の部分を映してくださって(大きな鉄板がサンダーシートっていうのとか初めて知りました) 中継ならではの愉しみがありました。

最初に、 ノット監督が1曲目のリゲティ《アパリシオン》について 動画で解説をしてくださったのも良かったです。(https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_6401.html

アパリシオン=出現、 という意味から原子、 生命の誕生、 そして音楽の誕生へと思いをめぐらすのも 理知的なノット監督らしくて、 それを実演と重ねてわかりやすく伝えて下さるのも嬉しいです。

ノットさんのお話からは少し外れますけれど、 アパリシオン=出現 という言葉で そういえば… と思い描いたのが、 ギュスターヴ・モローの絵画の「出現( L'Apparition)」 踊るサロメが目の前に洗礼者ヨハネの首が出現するのを見るシーン。
 The Apparition (Moreau, Musée d'Orsay) (ウィキペディア)

ノットさんが言うように、 英語で Apparition を引くと「幽霊、亡霊」と最初に出てきますから、 サロメの前に浮かんでいるのも 首を切り落とされたヨハネの亡霊、と私もなんとなくずっとそう思っていましたが、 ノットさんの原子~誕生というお話を聞いて、 あ、そうか モローの絵も「出現」というタイトルであって「亡霊」ではないのだ、とあらためて気づきました。

だからあれはヨハネの亡霊では無いのです、きっと。 ノットさんも物質と物質のあいだ、、 無の空間にも満ちているもの、 のようなお話をしていたように、 眼に見える物質のレベルではないなにかが集まってヨハネの首として出現した…? ん~~なにを言っているのか自分でもよくわからないですが… 笑

モローのサロメは 物体としてのヨハネの首を欲したのではなかったのでしょう。 少なくともモローはそう描かなかった。 ヨハネの首を空中に出現させたのは、サロメの「想い」であろうし、 預言者としてのヨハネの「言葉」も斬首によって消えてしまうものではない。。 言葉と音楽は似ていますよね。 無の中から音の分子が集まって生まれ、 眼には見えずとも存在して、 音として消えていったのちもひとたび生まれた言葉も音楽も 見えないヨハネの首同様に存在しつづける、、 それを想う人にとっては。。

 ***

折しも、 アマテラスとかいう強力な宇宙線も観測されたということですし、、

こういう宇宙線とか素粒子とかいう話は興味深くても私の脳みそではなかなか理解できなくて、、 宇宙の誕生における物質と反物質、なんていう話になるともうわからないことだらけで、 物質と反物質が合わさると宇宙も消えてしまう! なんて想像するともうパニックになりそうで…

でもこの前、 音にその波形の反対の音(逆位相)を重ねると音が消える、という実験をTVで見てびっくりして、、 それじゃ、物質と反物質もそういうことなのかな、、 プラマイでゼロになるのと同じなのかな… と。

でも、なんだかわからないけれど 宇宙のはじまりのときに、 ちょっとしたアンバランスが生じたおかげで物質のほうがたくさんになって、 そのおかげで今も宇宙は消えていないんだとか…? (私の脳みそで解るのはそのくらいまで…)


その(偶然の…? あるいは神の采配の…?) 不均衡でうまれた粒子は、、 やがて満ちて…
結局 このわたしであり…  あなたでもあり… この宇宙そのものであり… 



音になり…


言葉になり…



あなたとわたしの身体をとおりぬけて… 消えていって


 
だけど 消えない…


 ***


今夜から寒くなるそうです あたたかくして



よい週末にしましょう

ぬくもりを…

2023-11-10 | …まつわる日もいろいろ
 
 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・訳)


前回、 戦間期のパリのところで名前だけあげたエルザ・トリオレ、 1944年の仏ゴンクール賞受賞の本からの引用です。

この本のことはまた改めて書こうと思いますが、 エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家、、 裕福な家の出身で1920年代のパリでシュルレアリスムの芸術家や作家たちと交流し、 やがて詩人ルイ・アラゴンと出会い… 、、そんな経歴をかんたんに読んで、 つい「エイジ・オブ・イノセンス」――これも先日書いた、イーディス・ウォートンの本『無垢の時代』に出てくるパリに移り住んだ伯爵夫人のようなイメージを勝手に想像していました。 だから作品もパリの芸術家や社交界のことだろうかと…

でも、 時代がくだって第二次大戦下に書かれた、冒頭にあげた作品は、 ドイツ占領下のパリ、、 1944年の6月のノルマンディー上陸作戦から8月のドラグーン作戦に至る時期のことを、 パリの内部から見た強烈な抵抗の物語でした。


1年半前、 ウクライナへのロシア侵攻が始まった時、 ピエール・ルメートルの大戦三部作の『われらが痛みの鏡』を挙げて、 とにかく逃げて、 逃げて生き延びて、、 と書きましたが、、 上記の「最初のほころびは…」は、 逃げずにとどまった人々が描かれていました。 行くところのない人々もいたでしょうし… 逃げるよりたたかうことを選んだひともいたでしょう… そうしなければ占領され、奪われてしまうのですから…  ウクライナも、 ガザも…


 ……だが、妻や子供たちはどこだろう? どこにいるんだろう? どこに?

  それに答えることは差し控える。あまりにもむごい恐怖の入口から、これ以上すすむつもりはない……
 殺戮、略奪、強奪の的となった村は、恐怖で無気力になってしまった。ただ、人を呪うぐらいが関の山だった。……



 作品の末尾には 「一九四四年 十一月 パリにて」と書かれています。 パリ解放は8月25日だったそうです。 

いま、 この作品のことを検索してもほとんど何も出てきません。 ですが80年近く経った現在の世界でも まったく同じ状況なんだと、、 とても複雑な気持ちになります。 Wikiなどに載っているエルザ・トリオレの美しいポートレートからは想像できなかった、 強いレジスタンスの短篇でした。 

意外な思いもいだきつつ、 いま読むことの偶然をも感じています。。 エルザ・トリオレのもう少し前の作品も読んでいます。。

このつづきはまたいずれ・・・

 ***


立冬が過ぎて…  季節が急にすすみました。

お台所に立つのもずいぶんとらくになりました。。 夏の暑さはたいへんでしたから…




先日、、 お料理にあわせるのに ワインでも… と思ったのですが、 ワインはすぐに頭が痛くなってしまうので、、 そろそろ日本酒もよい季節かと思い立って 冷酒を買ってみました。 

上の写真、、 リキュールを飲むときの古いカットグラスにそそいでみました。 亡き父の持っていたグラス。 たぶん60年くらい前の…


古いものはなんとなくそれだけでホッとする趣きがあります。



心にもぬくもりが恋しくなる日々…



どうぞよい週末を…

蝶々の夢…

2023-10-17 | …まつわる日もいろいろ
先日、 家のちかくで揚羽蝶をたてつづけに見つけました。




近寄って覗き込んでいる私にかまわず 夢中で花から花へ蜜を吸っていました。 ふと見ると、 近くにまた別の揚羽蝶、、 ちょっと歩くとまたまた別の。。
・・・そういえば と思ったんです、、 残暑が長く続いてトマトもお大根も高~い‼ と悲鳴の代わりに、 レタスやキャベツは今とってもお安い。 ってことは蝶々の赤ちゃんもまだたくさん育っていた、、ということなのでしょう。。

10月の揚羽蝶たちは 時を惜しむかのように 一心に花の蜜を吸い続けているのでした。。 寒くなる前に いいパートナーを見つけてね…

 ***

ジョン・メイヤーさんが来日するそうです。 ブルーノートで年末の3日間、 ソロのアコースティックライブ。

先日のクロスローズでのジョンメイヤートリオでの演奏がとても良くって、 この方のライヴ演奏はなんというかほんと「そつがない」というか。 JCBホールで観たのは2010年でしたが、 その時も余裕のライブでしたが、、 もっと若い時の印象ではテクニックで押しまくるという感じもあったのですけど、 もうそんな感じは全く無く老成したというか じつに加減良く聞かせるようになったというか(←上から的でスミマセン)
ブルージィにシンプルに演奏して聞かせどころでいいギターが弾けて、さらに魅力的な声で歌える、、 やっぱり一流の才能の人だな~と クロスローズの時に感じていました。

だから年末カウントダウンソロライブなんて なんと贅沢な。。 ブルーノートで聴けるなんて…と思ってチケット代を見たら私には手の届かないお値段…笑 
メイヤー君、 いつ見てもステージ衣装はTシャツだし、 バンドメンバーも連れてこないのなら もうちょっと下げても… なんて思うのだけど どっちにしてもムリです。。 でもこんな機会なかなかない、 ソロアコースティックライブ。 行かれる方は出掛けてみては…

 ***

・・・と 少々羨ましい情報のあと、 気づいたら東響さんの2024-25ラインナップが発表されていました。 いつの間に~~、、

素敵なプログラム、 興味深い指揮者さん、、 大好きなウルバンスキさんもまた来て下さいます。 昨日気づいて それからどの公演とどの公演に行こうか あたまを悩ませつつも楽しくて。。。 カレンダーを見比べながら、 このほかにも春にはラフォルジュルネもあるし、 夏にはサマーミューザも、、 なんて考えてる…

ひとの欲望は絶えることがないものです・・・ 欲望という言葉に後ろめたさがあるとしたら、 願いと言い換えましょうか、、 

コロナ禍の期間、、 そして自分が病でうごけなかった期間、、 毎日を無事に過ごしていけるだけで有難いと思い、 もうこれからの人生ではいろんな場所へ出掛けられなくても 観たいものが見られなくても それでよしとしよう。。 そんな風に考えました、、 その気持ちは変わっていないけれども、 こうして体調がいくらか落ち着いて、 たまには家の外へ出掛けることも問題なく出来るようになってくると、 またいろんな美しいもの 素晴しいもの 見に行ける自分を夢みてる・・・ 

シーズンラインナップのいちばん先の公演は2025年の春…。。 元気でいられるかもわからないけど…

… 予定がある、と思えば 元気でいられるかもよ、、 とお友だちも言ってくれたし、、 そうかな… って思えるときもある、、 それで嬉しくときめいている…

 ***

行くべきラインナップはまだまだ決まらないけれど、 そのまえに…

昨日 ニコ響でタイムシフト公開されている東響さんの「ペレアスとメリザンド」をちょっと聴いたら、 とんでもなく美しくて…


きょうの午後はこのつづきを聴こうと思っています。 泉の精とふたりの王子たちとの物語・・・ 音楽のなかにみえてくるでしょうか…

10月に…

2023-10-01 | …まつわる日もいろいろ

  きみに取っておいたチケットは「オープン」、業者は専門用語でそう言う。値段は倍だね、わかっているだろうけれど、それがあればきみの好きな日にまた来ることができる。


秋分の日うまれのアントニオ・タブッキの本を 一昨年につづいてこの秋もまた読んでいました。 いました… ではないです、まだ読み続けています 少しずつ。。 少しずつしか…

…というのも この9月はあっという間に過ぎ去ってしまったから 

先週、病院に行ったら検査の結果が思わしくなかったようで 追加の検査をオーダーされて…。 この夏があまりに暑かったから 心臓がくたびれているだけだと思っていたけれど どうもそうではなかったみたい… 

…だからといってどうにもしようもないのだけれど… ちょっともどかしい…


それでも 博物館や美術館へ、 9月に二度も行けたのは良かったかな。。 上野の森のおおきな緑のなかを歩くのはとても気持ちよかったから。。
 


  ぼくはきみの切符を手にとり、海に入って・・・略・・ それを水面にあずけた。それは波にさらわれ、視界から消えた。なんてこった、ぼくは一瞬、旅立ちに立ち会うときのあの鼓動を感じて思った(旅立ちはいつも多少の不安を搔きたてるものだけど、知ってのとおり、ぼくの中のそれはいつも過剰だ)、岩にぶつかってしまう。ところが、違った。それは正しいほうへ向かい、小さな湾を冷やす流れにたくましく乗って、瞬く間にすがたを消した。・・・
      (「海にあずけたチケット」アントニオ・タブッキ著 和田忠彦・訳)
         


「海にあずけたチケット」…  なんて素敵なタイトル。



10月は もう少し ゆっくりしよ…



明日もまた病院いかなくちゃいけないし…  今度の週末あたり過ぎたら ひと息つけるかな…



いろいろ話したいことあるけれど



オープンチケット…




その時まで 待っててくれるかな。。