星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

アウグスト・ディールはまだ無名ですが

2005-05-31 | 映画にまつわるあれこれ
そう、相対化されていない独り言とは
醜いものなのだ。
下でつまらない事を書いてしまったので、、、

 ***

今、謎のピアノマンが話題だけれど、
この映画のプロモーションではないか、なんて話もありますね・・・>>『ラヴェンダーの咲く庭で』
この映画に出ているダニエル・ブリュールの方がドイツ人俳優として先に有名になっていますが、私が金の卵だと思っているドイツ人役者さん、アウグスト・ディール君の映画が3本も、今度の『ドイツ映画祭』では上映されます。『青い棘』(写真)では、例のダニエル・ブリュールとの共演。『9日目』ではナチスの将校役かな。
『タトゥー』はすでにレンタルにもなっているので、以前に日記にも書きました。

19世紀の貴族も、ナチスの将校も両方似合いそうな古典的な高貴な雰囲気も残しつつ、ラストは絶対狂気に陥って自滅しそうな(大いに希望的偏見もありますが)危うさが魅力でしょう。ただの<良家のご子息>では有り得そうも無い所。。。ああ、そうだ、『タトゥー』も今回上映されますが、絶対に、エンドクレジットで席を立ってはいけない映画ですね。

タトゥーのラストではあれだけ危険な雄姿を見せてくれた彼ですが、エージェントの写真を見れば、ただのやんちゃな男の子(頭ボサボサだし)、、、まあ、そのギャップが役者といえば役者なんですが。映画祭、楽しみです。


ゴシックは怖がるものにあらず。

2005-05-24 | 映画にまつわるあれこれ
話は前後して日曜の話。
疲れてて、「寝かせてくれぃ」状態だったのだけど、
せっかくの日曜の夜、それでは勿体無いので
ビデオを観た、、、元気の出るのを。

前に『アンダーワールド』のことも書いたけど、同じケイト・ベッキンセールが出ている『ヴァン・ヘルシング』。でも、ケイトは髪短い方がいいな、私としては。
主演はヒュー・ジャックマン。『ソード・フィッシュ』(DVD)で、トラボルタの手伝いを無理矢理させられる天才ハッカー役で初めて見ましたが、ハンサムな人ですね。年を重ねたら、クリント・イーストウッドのようなお顔になるでしょう。

ゴシック物は大好き! この映画は、19世紀末、ルーマニアのトランシルヴァニアのドラキュラ伯爵物語なんだけど、フランケンシュタイン博士も、狼男も、それから、ジーキル博士とハイド氏のハイドが、なぜかなぜかフランスに居る!(しかもノートルダム大聖堂の鐘楼に・笑)、、、、というわけで、豪華キャストの『怪物クン』って感じ(古いな)。

たまたま手元にある『ゴシック幻想』(紀田順一郎編)の中に、「読者の側に、すでに大前提として、ゴシックが侮辱すべき失笑の要素に富んでいるという認識があって、はじめて成立する」とあるのだけど、その通り! 『ヴァン・ヘルシング』は笑うべき映画なのです。
嘘ぉ、なんでノートルダムの鐘にハイド氏なん?(しかもあの身体つき)、、とか、、、バチカンの地下になんでチベット僧がいるん?(しかも武器つくってるし)、、とか、、、新兵器を物色しながら「あれがいい!」 「あっ、、あれはまだ開発中で、、、」とか言う辺りはOO7のおきまりのパターンだし、、、、そんな風にパロディ満載、やりすぎ、大袈裟すぎのところが面白いの。

ところで、、、ヒュー・ジャックマンのお供をする修道僧(破戒僧・笑)役の人、、、、「どこかで見た、、誰?、、誰?、、思い出せない~」と最後まで思い出せず、データ見て、おお!『ロード・オブ・ザ・リング』のファラミアじゃありませんか! 全然違う、でも上手。。すばらしい。
『リア王』でもそうだけれど、どんなにハンサムな主役よりも、見事な道化役のできる人は、本当にすばらしいと思う。ファラミア、、じゃなかった、デヴィッド・ウェンハム良かったです。

トランシルヴァニアのCGの風景もすっごく美しくて(ゴシック的な意味でね)、途中の、ドラキュラ伯爵邸の仮面舞踏会もすっごくゴージャス&退廃的で、、「あんなテーマパークどこかに、ない? ねえ、ない?」と騒いでました。

ヴァン・ヘルシング オフィシャルサイト(USA)>>

「ヴァン・ヘルシング」(DVD)

星と星のふしぎな相関

2005-05-23 | 映画にまつわるあれこれ
書けるのか・・・?
と不安だった原稿も、約70枚まとめ、
面談もクリア。

少しホッとして、ほっとひと息ついてからのんびり先へ進もう、
と思っていた処が、今後の進行予定が半年ほど早まりそう。。。
それは、早く進めなさい、という嬉しいご助言があったためなのだけれど、期待に応えられる? ますますやることが増えたね、自分。。

、、、ああ、、忙しくてもお家の中をきちんとしていられる人が羨ましい。
床に積まれた本、下から引っ張り出しては雪崩を起こす、、、埃がたまる、、、でも、ガラス書棚がもういっぱい、、、というわけで、やっとお片づけ。またダンボール箱が増えた。

夕食もとらずにやってて、ようやくテーブルに着いてTVつけたら、『スモーク』をやっていた。半分以上終ってたけど、見ている内にいろいろ思い出してきた。ポール・オースターの本は、ありえないようなお話、が多くて、小説や脚本としてどうみてもそれが欠点であったりもするはずなのに、でも好きになってしまう。『スモーク』も、煙草屋さんに集まるいろんな人種、いろんな階層の人たちがいるから好き。それはオースターがユダヤ系という「よそ者」感覚を持ちつつ、ブルックリンを愛しているからなんだろうな。誰だって、、みんなちょっとずつ、よそ者で、ちょっとずつ、つながっているんじゃない?
ビルとビルの間を電車が走る、ラストの映像を見てて、それはちっともキレイな場所ではないのだけど、今の自分にはとても親しみをもって感じられた。

明日は『ルル・オン・ザ・ブリッジ』なのだって。
このブログのタイトル、まさに<星のひとかけ>のお話。
いま、、自分がとっても頑張ってさがそうとしている、文学の中の<星と星のふしぎな相関>、、、それを考え始めた矢先に、オースターのこの物語を知った。ちょうどひと息ついた時に、オースターの映画やっててくれるなんて、、、すごいプレゼント、ありがと。

「スモーク」(DVD)

ラスベガスをやっつけろ

2005-02-22 | 映画にまつわるあれこれ
>「ラスベガスをやっつけろ」ハンター・トンプソンが自殺したそうです。

紗吏さん、コメントありがとうございます。
映画の原作者で、ジョニー・デップが演じていたジャーナリストの人ですね。私も映画は観ました。

家に『テリー・ギリアム映像大全』(あの映画の監督)という本があって、この中に12ページほど、「ラスベガスをやっつけろ」について書いてあります。あんまり安い本ではないので、映画関係本の多い書店にあったら覗いてみては。少し理解の助けになりそうな事が書かれているみたいです。(Akiwo君の本なので、私はしっかり読んでなくて…)

60年代後半~70年代初頭にかけてのアメリカ文化、特にドラッグカルチャーについては、私もその下の世代なのでうまく理解できないし、、ハンター・トンプソンの事もよく知らないのですが、、いつか、紗吏さんが、、、ブッシュの再選の後でしたか、、「自由をかざした独裁者」というようなことを日記に書かれていましたね、、。60年代カルチャーは、結果とか、やり方とかは、どうであろうと、本当の自由とは、愛とは、平和とは、、ということを一途に模索した時代ではあったと思うのです。その時代の終焉、というのもあったわけで、、、テリー・ギリアム監督は、60年代あたりから英国でモンティ・パイソンの一員として活動し、英国で映画をとり始めました。、、、先の本の中に、「自らに亡命を課した…」という表現がありました。テリー・ギリアムという表現者にとっては、アメリカ的自由というか、アメリカ流自由の<不自由>をずっと感じていた人なのではないでしょうか、、その人が撮った「ラスベガスをやっつけろ」。。
・・・紗吏さんの日記の言葉を思い出して、現在のアメリカの自由、というようなことを思って、、、上のようなことを考えていました。

ジョニー・デップは、ハンター・トンプソンと数日一緒に暮らしたりして、役づくりをしたそうですね。そして、、ジョニーは、テリー・ギリアム作品では、、先頃頓挫した、あの「ロスト・イン・ラマンチャ」に出演しようとしていましたよね。。ギリアムへの共感があったのでしょうね。

『テリー・ギリアム映像大全」の本です>>
ラスベガスをやっつけろ (DVD)>> 

しつこいほどにテレンス・スタンプ

2005-02-14 | 映画にまつわるあれこれ
『夜空に星のあるように』の中で、
テレンス・スタンプがドノヴァンの「Colours」という歌を、ギターを弾きながら歌っている。
歌詞が字幕で流れる。「イエローは君の髪の色・・・」「ブルーは・・」「グリーンは・・」
ってとても単純な歌詞なんだけど、こんな風に歌われたら、どんなダメ男でも許してしまうよな、、、と思ってしまう美しい場面。

これを胸に焼きつけた後で、ほぼ忘れかけていた『イギリスから来た男』を見ると、本当に驚くんです、テレンス、というか『夜空に~』の彼のためだけに創られた映画だったと気づくわけです。
昨年、ロック・オデッセイで、60才になるロジャー・ダルトリーが、ステージ上で固まったあの表情を見た瞬間に、はるか若き日の『トミー』が蘇った、そういう驚きに近いもの。。。ダブルで観なきゃダメです、痛感です。

で、しつこいけれど、テレンス・スタンプがこれも忘れられない演技をする、『遥か群集を離れて』(写真)
DVDも無く、大きなレンタル屋さんならあるかと思いますが、上下2巻。原作は『ダーバヴィル家のテス』を書いた、トマス・ハーディ。『テス』は、貧しい少女が貴族に求婚されますが、、こちらも、大地主に求婚されながら、身持ちの悪い男の方を選んでしまう女主人公が。。もちろん、テレンス・スタンプは身持ちの悪い方。
この軍曹が、最初はギャグかと思うようなキメキメの、(ばかばかしい?)演技で求愛するわけですが、、ドラマは紆余曲折あって、、、その後、、、女主人公は、サーカス小屋の見世物でこの元軍曹と再会する。・・・サーカス小屋、、、みんなの笑い者、、、これです。これが、とてもとても『プリシラ』の切なさに結びつくのです。総じてテレンス・スタンプは、せつなさびしい。。

トマス・ハーディは運命の車輪の下敷きとなる、人間のどうにもならなさを描いた作家だと思う。それは海風と、荒波に削り取られていく、断崖絶壁みたいな。。。『遥か群集を離れて』の原作もいつか読んでみたいが、、、

20代のテレンスと、60代のテレンス、、どうぞ両方観てみて下さい。お薦めします。

*ドノヴァンの'Colours'が聴けるアルバム
(テレンス・スタンプの歌声は映画の中でどうぞ。ドノヴァンみたいに上手くはないけど私は好き)
>>Troubadour: The Definitive Collection 1964-1976 [BEST OF]

テレンス・スタンプつづき、、

2005-02-13 | 映画にまつわるあれこれ
  Holly came from Miami F-L-A
  Hitchhiked her way across the U.S.A
  Plucked her eyebrows on the way
  Shaved her legs and then he was a she
  She say, Hey babe, take a walk on the wild side...

曲名ももはや必要ありませんわね、、、こういう映画。。

テレンス・スタンプ50代半ばの出演作『プリシラ』
面倒なのでストーリー紹介はリンク先でどうぞ。。見始めて、「誰だっけ? この強烈な爬虫類顔の人・・」と思ったら、あの『ロード・オブ・ザ・リング』&『マトリックス』のヒューゴ・ウィーヴィングでした。「リブの、リブのパパが、、、」(驚愕)。。あとは、ガイ・ピアース、そしてテレンス・スタンプ。

ヒューゴの男らしい女装(!)は非常に強烈。ガイ・ピアースはいかにも、のオカマちゃんキャラ。・・・そして、、テレンスは・・・美しかった・・(放心)・・
ラストシーン近くで、テレンスが決意を固めた時の、、その時のお衣装、そしてお化粧、表情、、、思わずもらい泣きしてしまいそうなほど、いたいけな女の人でした。指とか、憂いをたたえた瞳とか、悔しさを噛みしめる口元とか、、、細部がとても美しかったし、、、お帽子を被って登場の正面アップには、、、思わず「m... ○○ーさんだ・・・」と不覚にも呟いてしまった私だ。(大方の人には意味不明のコメントか・詫)


・・・いつかまた、これ観て、サントラの音楽聴きつつ、、、泣こう。

『プリシラ』DVD (Amazon) >>

蝶コレクターの、あの青年。。

2005-02-12 | 映画にまつわるあれこれ
やっと観た、、『夜空に星のあるように』原題POOR COW(1967)

The Whoの"The Seeker"が爆音で流れるオープニングの『イギリスから来た男』、原題The Limey (1999)で、テレンス・スタンプの格好良さに目覚めたのが2,3年前。この『イギリスから~』の映画の中で、主人公の若き日の映像として使われていたのが、実際にテレンスが若い時に撮影した、『夜空に~』の映像だったのです。恋人にギターを奏でながら歌を聞かせている、幸せな一時代、といった映像。少ししか映らないけれど、若き日のテレンスが素敵で、、観たいなあ、、と思っていたもの。。
まず、『イギリスから~』の話をすると、これはストーリーとは別の一面で、米国60年代VS英国60年代、になっていて、米国代表が、あの『イージーライダー』のピーター・フォンダ、英国代表がテレンス・スタンプなわけです。そのノスタルジーというか、リスペクトというか、監督の思い入れが一杯の作品。。。『夜空に~』を観てからやっと解るのね、、あの若かった青年の、、、その後、、につながるのですね。

テレンス・スタンプと言えば、一番有名なのが『コレクター』原題The Collector / The Butterfly Collector (1965)です。。もともとは、ジョン・ファウルズの小説、19何年の作品だったでしょう…? 50~60年代? 白水社のシリーズで、高校生の時に読みました。衝撃的でした。こんな小説が高校の図書館にあっていいのかと思ったくらい、、でもこの白水社のシリーズで、この後、マンディアルグとかにはまっていったわけです。(暗~い、黴臭いあの書棚の隙間が同時に浮かんできます)

まあとにかく、『夜空に~』のテレンス・スタンプはご覧あれ!(特に英国ファンの人)。39年生まれなので、The Whoの面々よりは少しお兄さん。でも、まるでピート・タウンゼントとポール・ウェラーを足したみたいなモッズキッズの出で立ち。三つ釦ジャケットとか、細身のパンツとかとにかくお似合いで、身体つきが本当に綺麗。だから、60代になっても凄くカッコいいです。映画観ながら、うわぁぁカッコいい!と叫んでばかりで五月蝿いったら(←自分)。。

・・物語は、と言えば、、、いかにも英国ワーカーズクラスの若者(よりもっとヒドいか)、ダメ男に惚れてヤンママになってしまった女の子の物語だから、、、リンクで解説読んでいただければいいかな(余り女の子への同情は無いです、私としては)。・・・愛を求めている気持ちだけが、ドノヴァンの甘い歌声と共にせつなく伝わるけれど、、、。それすら無くちゃ終りだものね。

テレンス・スタンプの、また別の作品については、また書きます。。70年代にはインドで、らりらり三昧になっていたというこの人、、年とってもクレイジーなジイさんだわ。

『コレクター』白水社Uブックス (Amazon)
『夜空に星のあるように』 (DVD)
『イギリスから来た男』 (DVD)

天使は、止まり木のうえの鴉に似ている。

2005-02-05 | 映画にまつわるあれこれ
この前書いた、古文書館へ行った帰り道、歩道橋の上に大鴉が留まっていた。
そこを渡らなければならなかったから、小声で鴉に話し掛けながら近づいていった。鴉は近くで見るととても大きい、そして美しい。宝石みたいな瞳でこちらをじっと見ながら、明るい鳴き声を上げていた。たぶん、威嚇とは違う声。。あの鴉は、誰の化身だったのかしら…。

 ***
ゴシック文学、と言えば、教会のような高い尖塔を持つ、幽霊屋敷のようなお城と、数奇な運命にとらわれた主人公、幽閉されるお姫さまや、死者の蘇りとか、、、が付き物だけれど、、
ゴシック映画でわかりやすい特徴と言えば、黒ずくめの衣装(特に長いコート)、主人公(男の場合)は無造作なロングヘア、そして背景はけっして晴れることのない(或いは雨ばかり降っている)ダークな画面、、、。こういうのが、、、なぜだか好き。

写真は、『アンダーワールド』。公開前から、いかにもゴシック!の映像がカッコ良くて、とりわけ、この女の子、ファンタジーゲームのCGから抜け出てきたようなスタイルと黒髪が素敵で、レンタルになったら絶対見よう、と思っていたのですが、、、
女の子は素敵だった!アクションも立派。そして、過去に愛する人を失った傷を持つ狼男も素敵。。。だけどいかんせん脚本が、、ねぇ。。映像は、たぶん撮影した上にCGで加工しているのでしょう、全体が青みがかったダークトーンで統一されていて、まっこと綺麗! だからねぇ、脚本が。。本当にあの映像のままつくり直したいくらい。

・・・一方・・・全く期待もせず見て、映像的には『アンダーワールド』の足元にも及ばず、お城も、悪天候も無し、だけれど、大傑作(大爆笑?)だったのが『ゴッド・アーミー/悪の天使』。(もうタイトルが死んでるわよねぇ、などと言いつつ)、キャストがC・ウォーケンだったので、まぁ見てみようか、程度の気持ちで。ウォーケンがゴシック、と言えばアノ首なし騎士の伝説で、牙付けて剣を振り回してた姿ですから、、あんなもんかな、と。

C・ウォーケンは・・天使、でした。とんでもない天使。
「天使の軍隊を知っているか?」・・・ハイ、知ってます、ついこの間、ミルトンの『失楽園』を読んだばかりだもん(ほんの一部だけどね)、、、。アダムとイヴが楽園を追放される時にも、武器を持った天使の軍隊が追ってくるのよね、、天使と言えば、森永のエンジェルマークみたいな天使ばかりではないのです。

なんでも神が天使よりも人間を愛したことに腹を立てた天使どもが、天上界で戦争を起こした。で、人間界の悪い魂を天使の軍隊に利用しようとする<悪い天使>と、それを人間に忠告しようと降りてきた<いい天使>と、、、とまあ、そんな話なんだけど。。主人公は、かつて司祭をめざし、神を一瞬疑ったことから、刑事に転向した男。なぜ、刑事・・?(でもいかにも司祭顔)
良い天使役が、ちょっとアクセル・ローズ似で(鉢巻はしてません。鉢巻してない時のアクセルは本当に美形!)、そして、悪い天使の使者役が、、、どう見てもオジー・オズボーン!(あのモグラ眼鏡なの)。。
で、、C・ウォーケン、、、悪い天使の使者オジーがヤラレちゃった事に業を煮やして降りてきた親玉、、なんだけど、<天使の軍勢>って何処にいるのさぁ、、、全然出てこない、登場天使、たったこれだけ?!

この映画で私はたくさん天使のこと、覚えました。
 ひとつ、天使は運転ができない。
 ひとつ、天使は人づかいが荒い。態度がデカイ。
 ひとつ、天使は犬みたいにクンクンして、人の在りかを知る。
 ひとつ、天使はドライブ・インで朝ごはんを食べる。
 ひとつ、天使は<天使座り>が好き。

C・ウォーケン、髪型が、ヘンです。なんか、30年前から洋品店に置かれっぱなしになってるマネキンみたい(笑)。。で、<天使座り>したままヒトをコキ使う。。でも、ウォーケンにしても、アクセル(似)にしても、司祭刑事にしても、キャストは最高でした。・・加えて!・・地獄へ落とされた堕天使ルシファーにはヴィゴ・モーテンセン! あのアラゴルンの風貌。この堕天使がとってもキュートなの。ひとり地獄へ落とされたから、なんか人間好きみたいだし、妙に淋しがりや。薔薇の花びらをぷち、ぷち、ってむしって、残った芯をパクって食べちゃう。

ウォーケンVSヴィゴの天使対決、なんて豪華キャストなんでしょう! ちなみにこの『ゴッド・アーミー』は、3作まで作られたそうな。でも、全部に出てるのはC・ウォーケンのみ。・・仕事選ばない人だわ、お見事。。

『アンダーワールド』EXTENDED EDITIONが出たそうです。(Amazon)>>
『ゴッド・アーミー/悪の天使』 (allcinema online)>>

めぐりあわない、The Hours...

2005-01-31 | 映画にまつわるあれこれ
しばらく前に、ようやくのことで観た『めぐりあう時間たち』のことを。。
ポケットに石を詰め込んで入水自殺するヴァージニア・ウルフの場面から始まる。
愛されて生きることと愛すること、自身の真実の声から耳をそらさず生きること、それをあらわすこと、そして暮らすこと、その相克。このことが登場する3人の女性と、一人の男性詩人それぞれの問題として描かれる。
エイズで病み衰えたリチャードが語った言葉が響く。

 「何もかも書きたかった、一瞬におこるすべてを、、、
  このタオルの匂い、織られた糸の感触、、、
  (彼女を愛した)あのときの感情、、、
  この世界のすべて、、、」

おそらく全ての表現者が望む、ただ一つの事。。この世界のすべてを作品に表す。表し得ると信じ、伝え得ると信じる。。。この映画の意味も同じ。たった一日の出来事の中に、登場人物の全人生を表す。

・・・昨日、『ライヴエイド』のDVDでTom Pettyを観ていると書きました。いま私が、楽しみながらライブエイドを観ていられるのは、このDVDにはあのときの<時間>が流れていないから。。DVDの冒頭にはアフリカの飢餓を伝えるNEWS映像があって、このLIVEの意味を裏付けてはいるけれど。。
前年の英国で「Do They Know~」が話題を起こしたら、負けじと米国大物スターが「USA for Africa」を作り、援助ブームの中、半年後のライヴエイドは、、「ビッグイベントだしとりあえず賛同!」的な大騒ぎ。そこに集まるミュージシャンのある意味「胡散臭さ」。
1985年の日本で生きていた私たちの<時間>はさらに無い。金満と飽食とおニャン子の日本、この前月には豊田事件、そして翌月には日航機墜落、それに挟まれた<狂った夏の時間>、翌年にはそんな日本を象徴する、内田裕也さんの『コミック雑誌なんかいらない』が封切られて、、そういう時間の流れはDVDには無い。
だからといってこのDVDを非難するのじゃない。顔を背けつつ眺めていたのも自分。今ニコニコ笑って観ているのもまた自分だから。

事実をありのまま記したものが事実をまるごと伝えるかというとそんなことはまるでない。だから、過去の人間のカリスマ化なんて簡単なこと。「死ねば終り」じゃない。死んで、終って、<時間>が骨抜きにされて、そこから美化が始まる。

だからリチャードは言う、、「何も書けなかった」と。そして「エイズになったから賞をくれるんだ」と。賞という形は、リチャードを愛した元妻クラリッサにのみ形を持つ。自分にとっての美しかった時間を、証として残すこと(まだ自分が生きるために)。時間を死なせないために。
病み疲れて死んでいくリチャードには賞なんてどれほどの意味も無い。自分が「書けたか、書けなかったか」その認識だけ。勝手に変容していく時間など要らない。

つまりこの映画は、『めぐりあう時間たち』ではなく、愛する者と愛される者、互いを思いつつ暮らす者、そして表現者と受け手の間の、決して<めぐりあわない>時間というジレンマを描いたのだろう。どんなに相手を思いやっても、あなたと私の中に流れる<時間>は違うのだ。だからこそ、<実際にあった>時間などに頼ることなく、いかに時間をめぐりあわせたら伝える事が出来得るのかを表現者は苦悩するのだ。すべての人間は<美しかった時間>にあまりにも寄り掛かり過ぎる。

メリル・ストリープが解説でエド・ハリスについて、、「burning blue stare」(燃えるような青い眼差し)と語っていたけれど、滅んでいこうとする肉体の中、その眼だけで全人生を語っているようだった。表現者、というのは無能ではない、、やはり凄い。賞を獲らなかった彼と、そしてジュリアン・ムーアの演技に拍手。

The Hours 「めぐりあう時間たち」の情報(imdb)

ジョニー・デップ@MONTBLANC

2005-01-14 | 映画にまつわるあれこれ
朝、家事をしていたら「ジョニー・デップ…」という声がTVから聞えてきて、廊下を走って画面の前へ(耳、悪いけどこういう所だけ聞き逃さない、、)
<とくダネ!>という番組の中でデップ特集をしていました。

昨年から、本屋さんの映画雑誌の表紙には、ジョニー、じょにー、Johnny Deppの姿がずらり、と並ぶ事が多くて、、。以前、「好きな俳優は?」と聞かれては、「デップ…?誰それ」と言われ、「ほら、シザーハンズの、白い顔の…」と説明してやっと「ああ…」と曖昧に頷かれていたのが懐かしいくらい。。

たまに雑誌の『Esquire』誌を見るのですが、昨年ふと図書館で、彼が表紙の米国版『Esqure』を見つけ、少々びっくり?、、というか、時の人なんだなあ、、という感慨が。表紙はかなりお洒落に撮ってありましたが、確か、、中はいつものボロ服のデップでした(それこそが格好良いんですけどね)。

昨日、本屋さんで遭遇した彼は、『Esquire日本版』の2月号。ただし、記事ではなくて(万年筆で有名な)MONTBLANCの広告。。MONTBLANCっていうのが意外ですか? いえいえ、彼と作家、あるいは本、というのはかなり関係が深いのですね。映画『ビートニク』の中では、バロウズと共に、'50年代の作家ジャック・ケルアックを演じていてそれがとても似合っていました。ケルアックの繊細さと破天荒さの両面は、デップと通じるのではないかしら。それから、稀こう書のバイヤー役や、ミステリー作家役や、現在のものも作家役ですしね。そして、キューバからの亡命詩人を描いた『夜になるまえに』でも、彼はほんの端役で<異様な>役を演じていました。生涯自由を求め、詩という(美という)芸術を貫いた精神へのリスペクトでしょうか。そのような芸術家(映画人を含め)へのリスペクトを出演の基盤にしているジョニーの姿勢がとても好きです。・・(『夜になるまえに』をおしえてくれた友、有難う)・・

ところで、MONTBLANCの広告。。はずしかけた腕時計を片手に握って、万年筆でなにやら書こうとしている姿、、、見たら、時計もMONTBLANCでした。とても素敵な写真だったので、よかったら本屋さんで。。。と、書いてから、ふと検索してみたら、MONTBLANCのサイトに詳しく載っていました。そこの広告の意図を読んで、納得。。。多くの子供たちが、芸術に触れ、喜び、癒され、糧になることを、、、私も切に願います。

米国版Esqure誌、ジョニー・デップが表紙の時のものです>>
Esquire誌 日本盤>>
映画『ビートニク』
MONTBLANCのサイトです>>

スタッフ5人のパタフィジック映画

2003-06-12 | 映画にまつわるあれこれ
 次から次へとやることはあるのだけど、本を読んだりレポート書いたりしなければいけないのと違って、「ながら仕事」が出来る分、いつもよりも映像作品をたくさん見られたりしています。お友達が送ってくれた音楽ビデオや、録画したままの映画や。
 映画大好きなBFの奨めで、以前『イギリスから来た男』という映画を見たのだけれど、ハードボイルドタッチのアクション物というのは大概、見終わったらすぐに忘れてしまうことが多いのに、不思議と色々な場面が時が経つにつれて、余計に印象が深まっていく映画だった。・・で、これが今や有名な監督、ソダーバーグだったと教えられ、想い起こせば観てる、見てる・・『セックスと嘘とビデオテープ』という初監督作品から次の『KAFKA』も、、、監督名など余り意識しない私はぜんぜんソダーバーグという名前を覚えていなかった。ああ、でも、時間が経過しても不思議な感覚が残っていて、また観ずにはいられなくなる、という点では共通していたのかも、と気づいた。

『セックスと嘘と・・』でカンヌのパルムドールをさらって以降、あまり日の目を見なくて、そんな時にスタッフ5人でみんな手弁当で撮ったという突拍子も無いモンティ・パイソン風映画『スキゾポリス』では、自ら主演もしていた。これが巧い!馬鹿げているけれどこの人、演技も脚本も編集も、きっと困るくらい才能が有り過ぎる人なのかもしれない。お顔もなんとなくボリス・ヴィアンに似ているけれど『スキゾポリス』はパタフィジュックな映画です。

 ところで話を戻して、『イギリスから来た男』(原題The Limeyは英国人の蔑称)の主演、テレンス・スタンプのなんと格好イイこと!(テーマ音楽がThe Whoで、それももの凄くカッコいい) テレンス・スタンプが偏屈である意味繊細な英国人を見事に演じて、一方、成金のアメリカ人をピーター・フォンダが演じている。ピーター・フォンダという人(もちろんイージー・ライダーの格好良さは知っていますが)後に『だいじょうぶマイフレンド』とか(なんでまたこんな映画に・・)と思うようなしょうもない役をなさったりもして、でも不思議な魅力のある人です。アメリカ版『テンペスト』では魔術狂いのプロスペロー役をやったりもして、くだらないようでいて、なぜかそこが似合ってしまう。

 あ、また話が逸れた、、、『イギリスから来た男』では、あの『ジュテーム・モア・ノン・プリュ』の美青年ジョー・ダレッサンドロの最新の姿も見ることができます(見るだけ、、という位、台詞が少ないのだけど)

 最近はソダーバーグ監督、有名になって、ジョージ・クルーニー、アル・パチーノなどの大物スター出演の映画を撮っていますが、70歳近いテレンス・スタンプやピーター・フォンダや、かつてのジェームス・スペイダーをあんなに個性的に撮った手腕をまた見せて欲しいような気がする。教えてくれた彼に感謝。

 ***

 昨夜、レッド・ツェッペリンのLIVE DVDが届いて、全編5時間もあるものの、さわりだけ見た。70年のロバート・プラントは、まるで19世紀の貴族かと思う位、美しかった。美しいばかりでなくて、天が特別の才能を与えたヴォーカリスト。ZEPPの演奏を聴くと、ロックはあれ以上完成のしようが無いと思う。

作品への愛、愛する世界への正直な愛、を感じることができれば・・

2003-06-10 | 映画にまつわるあれこれ
 ベランダのあおむし君の姿が見えないと思ったらいつのまにか蛹になって枝に細い糸で結ばれていた。あんなにか細い糸でからだを支えて、丸まった枯葉のような中から美しい蝶の姿になって出てくるなんて本当に生命は不思議。結局、棄てられなくて、蜜柑の鉢も持っていくことに決めた。でも行く前に蝶になっておくれね。。。引越し準備、仕事の合い間にぼちぼち身体と相談しつつやってます。ダイジョウブデス。どうも有難う!
 ***
 一時期とても好きだった映画監督レオス・カラックスの『ポーラX』を今頃になってやっと観た。『ポンヌフの恋人』以来、映画を撮らなくなって9年ぶりの今作では周囲の期待がもの凄かった反動か、とにかく酷評されて私の周りでも「もうカラックスは終わったな」という失望の声が聞かれた。そんなこともあって見たいような見たくないようなそんな感じで時が経ってしまった。カラックスがかつて描いた余りに痛々しい若さも、私にはもうその時代は過ぎたよ、と思ってしまったし・・・でも『ポーラX』、私には良かったです。作品として欠点はあっても、カラックスが描きたいものが私には伝わってきたし。

 嘘っぱちな世界を嘘っぱちと感じたままやり過ごすことが出来ずに、かといって諦める事も、確たる自分の枠組みで揺らがずに生きることも出来ない。やっぱりカラックスの世界は痛ましくて愛しい。

 名優ジェラール・ドパルデューの息子ギョームが、育ちの良い気品漂う表情から、やがて追い詰められたジョニー・ロットンのような目になって、終いにはカート・コバーンそのままの悲しい顔へ変わっていくのを演じていた。彼も評判は良くなかったようだけど、、、時に分かり易いくらいに象徴的な表現になったりするのも、そんなやり過ぎの演出をしてしまうカラックスが私は好きなのかもしれない。

 あと、勉強かねてデレク・ジャーマンの『テンペスト』を観た。私はデレク・ジャーマンという人は大分誤解していたみたいです。映像も大変美しかったし、シェイクスピアの台詞の美しさが忠実に生かされていて感動的でした。醜悪な未開人を体現したキャリバンも、プロスペロー伯爵の意のままに幻を作り出すエアリアルも、シェイクスピアの世界の道化や妖精たちは(魔物でさえも)やはりいとおしい存在。デレク・ジャーマンはそんな人間界からはじかれた哀しい存在を、(表面的にではなく精神的に愛をこめて)とても美しく撮ってくれたように思う。

予兆は「すでに起こったこと」へ

2003-05-05 | 映画にまつわるあれこれ
 スティーブン・キング原作の怖い映画を見に行く友と駅で別れて、私はGWまっただなかの丸ビルへ。赤レンガのステーションホテルから人はただただ丸ビルへ一直線に続いていて相変わらずの人気ぶり。でも私はファッションフロアもレストランフロアも足を止めずに一直線にホールへ。。だって人ごみは苦手なんだもの。

 先日『エルミタージュ幻影』という、エルミタージュ美術館内で撮影された90分ワンカットの信じられないようなロシア映画を見たのですが、(その映画も素晴らしかったですが)その会場でいろんなチラシを眺めていると、「あら?この人ルー・リードに似てない?」「・・ってそれルー・リードだよ」・・というわけで丸ビルで上映されるドキュメンタリー映画特集の中の『ポール・オースター』のひとコマなのでした。

 NYの作家ポール・オースターとルー・リードは古い友達らしく、今回のドキュメンタリーでもNYという街についてふたりで語ったり、オープニングテーマは「I'm waiting for my man」で、エンディングは「毛皮のヴィーナス」だったし。ポール・オースターが関わった映画のワンシーンにもNYから離れられない男としてルーが出演していたり。

 ポール・オースターの写真は何度か文芸雑誌で目にしたことがあったけれど、映像で見る彼は大変に端正な顔立ちで、ジュード・ロウが年を重ねたような感じの薄いグレーの透き通った瞳の持主でした。NYで多くの不動産を所有していたかなりの資産家の父のもとに育った彼が、幼少時に父のあとに付いて家賃を徴収に行った時の貧しい人々の暮らし、匂い。富裕な人間と貧しい人間を隔てる匂い。自分の小説を朗読する彼の声もまた端正な、俳優がナレーションをしてるかと思うようなクリアな言葉で。インタビューから伝わってくるのはビジネスの世界で生きるのを拒否した作家としての醒め切った自我。この世界、この都市NYで起こりつつある、一般の人にはまだ予兆とも気づかれていない気配が、彼にはもう「すでに起こりつつあること」として感じられ、それを言葉にする段階ではそれは「すでに起こったこと」として書かれる。オースターの父は、60代の年齢で突然の心臓発作で亡くなったそうだが、その訃報を聴いた時、彼は何故だかわからないうちに机に向かい一心不乱に書き始めていたのだそう。それが作家というものの残酷さだ。

彼のドキュメンタリーを見て、そして偶然読むことになって一晩で読んでしまった彼の作品『最後の物たちの国で』という世界の果ての物語に触れて、なんだかとても近いものを感じた。ルー・リードに心酔している今の自分が引き寄せた作家。ブルックリンブリッジの向こうにはまだ2本のビルが聳え立っていた。

in NY

2002-11-07 | 映画にまつわるあれこれ
 ちょっと前に素敵な夢を見まして、ブロードウェイあたりへ(行ったことないけど・・)観劇に出かけて、そこで座席を調べたら舞台のすぐ脇のボックス。嬉しい!と喜んでなおも座席表を見ると(なぜか名前つき)、ふたつ向こうがロバート・デ・ニーロ!・・でもデ・ニーロが来る前に覚めてしまったのでした。。

 デ・ニーロはマフィアのドンもハマリ役ですけど、中年のちょっとくたびれた格好をしている所なんかにとってもドキドキするのです。デ・ニーロがお金に困ったり、字が読めなかったり、中華街で普通の主婦とデートなんてするわけないのに、でもその時間の中ではデ・ニーロでなくなっちゃう。本当に凄い俳優さんです。

・・で、デ・ニーロと言えば眉毛ふさふさのスコセッシ監督。去年の9/11NY支援コンサートの中でスコセッシ監督が自分の育ったイタリア人地区に想いを捧げたフィルムがありましたが、ネットの生中継で見た時は全然理解できなかったけれど、字幕つきのDVDをお友達に見せてもらったら、とても感動しました。移民の眼から描いたアメリカの映画ではずいぶん考えさせられるものが多くありましたね、スコセッシ監督も、マイケル・チミノ監督も。・・たくさんの民族とたくさんの文化が入り混じって生まれた重みのある映画、なんだか最近少なくなっているような気がします。

 スコセッシ監督の新作、ディカプリオ君と一緒に、デイ・ルイスさん(久しぶりすぎるよ~)が出ています。なんと「ボクサー」以来4年ぶりの映画? 待っていたんだってば、ほんとに。

映画と文学つながりで・・

2002-08-19 | 映画にまつわるあれこれ
しばらく前から友人とメールで映画の話題がつづいていて、ちょうどいいネタなので、独り言まじりでここに書きます。。

ジム・ジャームッシュがネイティヴ・アメリカンを描いたのは、ジョニー・デップ主演の『デッド・マン』。デップ自身はあの中では白人文化からやってきたウィリアム・ブレイクという名のひ弱な会計士(?)で、彼を助けていくのが、詩人のウィリアム・ブレイクが好きな(?)先住民部族の男。詩人ブレイクは18世紀末~19世紀初の英国の詩人で、映画の中のブレイク会計士とは何の関係も無いけど、作中のネイティヴ・アメリカンの男が昔、難破したか何かで英国へ行き着いてそこで詩人のウィリアム・ブレイクに会った事がある、、とかいう不思議な設定。
・・フジロックでPatti Smithが朗読したのもブレイクの詩で、とても純粋に神を称える詩でしたが、『予言書』など後の彼の詩は私などにはなかなか理解不能な、幻想と神話と哲学と自然学などが入り混じったとても難解な作品のようです。ブレイクの絵も、数学的、天文学的知識で読み解くような、不思議な絵ですよね(でもとても綺麗)。。
あ、それはいいとして、ジャームッシュ監督は、ブレイクのそういう自然の神秘と一体化した物事のとらえ方と、ネイティヴ・アメリカンの価値観に、どこか通じるものを感じてああいう風にしたんでしょうね、きっと。

それで・・ネイティブの血を引くデップが、本当に描きたかったと思うのが自分で脚本、監督した『ブレイブ』。これについてはWAVESで取り上げていますので、興味がある方はぜひぜひご覧になって欲しい!(映画をね)と思ってます。ちなみに『ブレイブ』の音楽はイギー・ポップ、『デッド・マン』の方はニール・ヤングです。

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フランス映画を何本か借りてきて見直しています。人気劇画作家でもあり、映画監督でもある、エンキ・ビラルとかね。『アキラ』の大友克洋さんはエンキ・ビラルの大ファンだそうです。(私も『アキラ』は大好き)エンキ・ビラルが影響を受けた作家、という中にはボリス・ヴィアンの名前は無かったんだけどね、う~~ん、絶対似てる所あるなあ、と思うんだけど。。 あと久しぶりに見た『サブウェイ』何度見ても映像とサウンドがシンクロするカッコよさ、クリストフ・ランベール君のあの幼児的笑顔にはマイッテしまいます。
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だらだらと映画がらみで・・・原美術館で『ヴィンセント・ギャロ展』も見ました。写真作品やドローイングなど。ギャロの風貌はとても好きですが映画はなぜか見てないなあ。『バスキア』にちょろっと出ていましたね、バスキアと生前バンドを組んでいた、と初めて知りました。ヴィンセント・ギャロのこの秋公開の映画は、フランス映画の個性派(すぎる)女優ベアトリス・ダリとの共演だそうです(濃いなあ~・笑)。