星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

あなたは虜囚であり、そして自由である。

2006-07-18 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
雨、、やみませんね。
昼間、家にいられる日の雨は、そう悪くない。。 今年のGWに、喧騒の日々から一瞬逃れて、アルプスの麓のレストランで小雨降る木立を眺めていました。殆ど人のいない昼間のホテル。広いガラス張りのテラスに聞こえて来るのは、新緑をふるわす雨音だけ。。
、、災害の雨は困りますけれど、、。

 ***

大地に根を張る木々は、大地を掴んでいるのか、それとも、大地に囚われれているのか。
木々とは、自由なのか、それとも不自由なのか。

先日買った『ヴァレリー詩集』(鈴木信太郎訳/岩波文庫)にあった「篠懸の樹に」という詩で、ヴァレリーは、すずかけの大樹の足は大地の捕虜だといいます。私は、『星の王子さま』を思い出しました。バオバブの木は、「その根で、星を突き通します」と書かれている、、星が小さすぎると、バオバブのために「星が破裂してしまいます」と。。

大地の虜囚であるのも切ない。棲家である大地を破裂させてしまうのはもっと悲しい。
でも、ヴァレリーは終わりの連でこう書いています。

   おお、森の妖精たちと 愛情のこまやかさを競ふ 唯
         ひとりの詩人は、空翔ける
   天馬の脾(もも)を叩いて慰めるやうに、滑らかな樹の幹を
         撫でてお前を喜ばせ得られたなら……

   ――否(いな)、と樹は言ふ。その崇高な頂を
         燦々と耀かして、否 と言ふ、
   その頂を 大風は、一様に草を薙ぎ伏すごとく、
         ただ、 遍(あまね)く 薙ぎ倒すのみ。

「否」、、という強い拒絶の意思。詩人の慰めへの「否」。
たとえ空翔けることが出来ずとも、篠懸は、嵐になぶられる葉があり、陽光を刻み翻す葉がある。