ノーベル文学賞受賞の ボブ・ディラン御大に、 評価の分かれた記事がなんだかんだと出ているみたいですが、、 なんだかどれもピンと来ない、、のです。。
「The Nobel Prize in Literature 2016」という賞なんだから、 ボブのロックンロールへの評価でもないし、 社会的プロテストの姿勢への評価でもないし、 パフォーマンスを含めた「アート」としての評価でもなくって、、 やっぱりあくまで「Literature」としての賞だと、私は思いたいんですけど…
受賞理由も↓(https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2016/)
"for having created new poetic expressions within the great American song tradition".
「American song tradition」 に 「new poetic expressions」を創造した点にある、というのだから、 60年代数々の名曲をつくったディランに対して、 というよりも、 21世紀の活動の中で アメリカのトラディッショナルな音楽を取り上げ、 それらを下敷きにしつつ、 米国の前世紀に生きた人々を描写することで 現代の歪みや暗部を透視する、、といった ここ10数年ほどのアルバム作品の価値を、 より「文学的」と評価したんじゃないのかな、、と 私はそう思いたいんだけど・・・
、、とは言っても、 ボブの詞を全部(原文で)読んでいるわけでもないし、 ディランの専門家さんはきっと 山ほどいらっしゃるのだろうから、 そういう方々の中でディランの「文学性」をきちんと語ってもらえれば、、。。
古い歌で胸にせまる歌も それはそれはたくさんあるけれど、 「Modern Times」「Together Through Life」そして、詩の到達点としての「Tempest」と、、 ボブの詞はどんどんストーリー性も増して、 叙事的にもなっていると思うし、 人に歌いかける というより 小説的に暗示することで聞く人に「世界像」を提示する、 歌として、 詩として、 ものすごい広さ・深さに、 私は驚かされるのですが…
、、前に IBMのワトソン君と話してて、 「あなたのテーマは 時代の変遷とうつろう愛、ですね」、、とAIに言われて ニヤっとしていたボブ爺。。。 自身の「文学性」について、 スピーチはしてくださるのかしら、、、 楽しみ。。
***
ところで、、 (まったく話かわって)
↑これは枕、じゃありません(笑)
先週、 海抜ほぼ0メートルから 標高1500mへ持っていった おやつの〈ビスコ〉。 空気枕みたいにパンパンです。。
これと同じことが人間の体内でも起こっているわけで、、 肺や心血管に病を持つ身としては出かけるのも命懸け、、 命(賭け)、、 と言った方がいいかな、、
だけど、、 守るべきもののためにリスクを全て避けて暮らすか、 守り通したい自分のあり方を貫くか、、 その人、 その人によって、、 或いは 自分自身の年齢によっても、 QOLのあり方は違ってくるものだと思うし、、
自分の今現在の在り方を自分は貫き通したい、、 わがまま? 或いは逃げ? そうとも言えるかもしれないけど、 嫌と思うことも、 無駄と思うことも、、 もうしない。 したくない。
この世界には 幸せ過ぎて叫びたくなるような瞬間が、 いっぱいいっぱいあって、、 それらを追いかけているだけで 1年なんて矢のように速く過ぎて行くんだもの。。。
だから、、 周りの大好きな人たちにも、 無理しないで・・・ って言いたい。 娘のように年若い子に対して、じゃなくて、、 私のたいせつな 愛する人たち。。
無茶はしても、、 お願い、 無理はしないで。。
貴方の生き方を、 それを一番大事にして。。。
こんな美しい雲が 氷(雪)の粒だなんて・・・ 「詰まらないわね」と言ったのは 『三四郎』の美禰子でしたね。。 「雲は雲でなくっちゃ」
雲も、 氷も、 水も、 雪も、、 月も、、
つまらないものなんて ないよね。。 こんな美しいんだもの。
「The Nobel Prize in Literature 2016」という賞なんだから、 ボブのロックンロールへの評価でもないし、 社会的プロテストの姿勢への評価でもないし、 パフォーマンスを含めた「アート」としての評価でもなくって、、 やっぱりあくまで「Literature」としての賞だと、私は思いたいんですけど…
受賞理由も↓(https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2016/)
"for having created new poetic expressions within the great American song tradition".
「American song tradition」 に 「new poetic expressions」を創造した点にある、というのだから、 60年代数々の名曲をつくったディランに対して、 というよりも、 21世紀の活動の中で アメリカのトラディッショナルな音楽を取り上げ、 それらを下敷きにしつつ、 米国の前世紀に生きた人々を描写することで 現代の歪みや暗部を透視する、、といった ここ10数年ほどのアルバム作品の価値を、 より「文学的」と評価したんじゃないのかな、、と 私はそう思いたいんだけど・・・
、、とは言っても、 ボブの詞を全部(原文で)読んでいるわけでもないし、 ディランの専門家さんはきっと 山ほどいらっしゃるのだろうから、 そういう方々の中でディランの「文学性」をきちんと語ってもらえれば、、。。
古い歌で胸にせまる歌も それはそれはたくさんあるけれど、 「Modern Times」「Together Through Life」そして、詩の到達点としての「Tempest」と、、 ボブの詞はどんどんストーリー性も増して、 叙事的にもなっていると思うし、 人に歌いかける というより 小説的に暗示することで聞く人に「世界像」を提示する、 歌として、 詩として、 ものすごい広さ・深さに、 私は驚かされるのですが…
、、前に IBMのワトソン君と話してて、 「あなたのテーマは 時代の変遷とうつろう愛、ですね」、、とAIに言われて ニヤっとしていたボブ爺。。。 自身の「文学性」について、 スピーチはしてくださるのかしら、、、 楽しみ。。
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ところで、、 (まったく話かわって)
↑これは枕、じゃありません(笑)
先週、 海抜ほぼ0メートルから 標高1500mへ持っていった おやつの〈ビスコ〉。 空気枕みたいにパンパンです。。
これと同じことが人間の体内でも起こっているわけで、、 肺や心血管に病を持つ身としては出かけるのも命懸け、、 命(賭け)、、 と言った方がいいかな、、
だけど、、 守るべきもののためにリスクを全て避けて暮らすか、 守り通したい自分のあり方を貫くか、、 その人、 その人によって、、 或いは 自分自身の年齢によっても、 QOLのあり方は違ってくるものだと思うし、、
自分の今現在の在り方を自分は貫き通したい、、 わがまま? 或いは逃げ? そうとも言えるかもしれないけど、 嫌と思うことも、 無駄と思うことも、、 もうしない。 したくない。
この世界には 幸せ過ぎて叫びたくなるような瞬間が、 いっぱいいっぱいあって、、 それらを追いかけているだけで 1年なんて矢のように速く過ぎて行くんだもの。。。
だから、、 周りの大好きな人たちにも、 無理しないで・・・ って言いたい。 娘のように年若い子に対して、じゃなくて、、 私のたいせつな 愛する人たち。。
無茶はしても、、 お願い、 無理はしないで。。
貴方の生き方を、 それを一番大事にして。。。
こんな美しい雲が 氷(雪)の粒だなんて・・・ 「詰まらないわね」と言ったのは 『三四郎』の美禰子でしたね。。 「雲は雲でなくっちゃ」
雲も、 氷も、 水も、 雪も、、 月も、、
つまらないものなんて ないよね。。 こんな美しいんだもの。