星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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ケアレスパワフル… 『イーサン・フロム』のその後…

2024-10-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
10月が終わります… 今日はまぁ なんて良いお天気なんでしょう…!

長いながい夏、がいつまで続くの?と思ったら、 秋雨&台風ですっきりとした秋の青空がちっとも望めない日々… だから漸く、 ほんとにようやく、 今日みたいな秋の日がほんと恋しかったです。。 

秋の日は恋しい… 

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10月のはじめに書いてあった 新訳の『イーサン・フロム』イーディス・ウォートン著(白水Uブックス 宮澤優樹 訳)の事、 すこし書いておきましょう。。 新訳本の感想というより、最初に読んだときに感じていた事、 確かめるというか 考えてみたかった事、、 のその後… (以下、内容にも触れていますので未読の方はご注意ください)

最初に読んだ、95年荒地出版社発行の『イーサン・フローム』のことなど、 過去の日記はこちらに>>

新訳での感想は、、とてもすっきりとストーリーが理解しやすく感じました。 勿論、 二度目に読むわけですから内容を知っているせいもありますが、 登場人物の印象もずいぶん雰囲気が異なると感じました。 イーサンとマティの若い日の物語は まだ二十代という若々しいときめきや恋の熱情を前よりもくっきりと感じさせてくれましたし、
イーサンの妻ジーナの様子などもありありと…。。 彼女の棘のある言葉とか振る舞いが まるでホラーのように迫ってきます。 確かに、怪談なども沢山書いたイーディス・ウォートンなので、 ジーナの存在がホラーみたいな効果を示すのも作者の狙いのひとつかも知れないと思ったり、、

一方、 会話などは(出版された)百年前の日本語ではなく現代語の話し言葉なので 1911年という時代感はほとんど感じられなくなっています。 イーサンが自分のことを(52歳になっている部分でも)〈僕〉と訳してあるのには最初 それはちょっと違うんじゃないかな…と思いましたが、 考えればイーサンの過去、 本来持っている(農夫というよりも)学者的な性質を表現するには〈僕〉も良いかもしれないと思い直して、、 それはこれから書くことにも繋がるのですけど…

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この物語は、 ただラストの〈衝撃的な展開〉へ導くためにこういう構成になっている、 それだけではないと思えて、、 まだ他にも〈語らせていないこと〉が沢山あるようにも思えて…

小説の冒頭は この村に派遣された技術者の語りで始まります。 そこで見かけた52歳のイーサンの印象を技術者は語るのですが、 でもそれは〈現在〉ではなくて〈数年前〉のことなんですよね、、 この物語を技術者が書いている(語っている)のは、 イーサンが馬橇で彼を送り迎えした冬の〈数年後〉なのです。 だから52歳より数年経った今のイーサンがいて、 その家族がいて、 それが〈現在〉で、、 でも技術者はそれは語っていない。。 読者にも知らされない…

その構成についてはひとまず置いて…
荒地出版社の『イーサン・フローム』を読んだときに引用した部分があります。 もう一度載せますと…
 
 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。 

あのとき私は、 「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに… この物語を考えてみようとしました。。 何故かと言うと、 語り手の技術者は このイーサンの表情に引き付けられて彼に興味を持ったのですし、 この表情こそがイーサンという男を表しているからだろうと私も思ったから、です。 だから 新訳の本でもこの部分がどう書かれているのかをとても興味深く思って読みました。 新訳の文章は出版されたばかりなのでここでは載せません。 さらに私は原文がどうなっているのだろう… と興味を持ったのでした、、 (Project Gutenberg を参照しました) 原文では…

 it was the careless powerful look he had, in spite of a lameness checking each step like the jerk of a chain.

え…? とびっくりしました。。 私は英語が堪能なわけではないので、 〈the careless powerful look〉、、 ケアレス? 不注意な…? ケアレスでパワフル…??

何度も辞書を見ながら読み返して、、 結局、 この「ケアレス」を「気にしない、無頓着な」というような意味だと考えました。 引き摺っている不自由な足、 その足の事など全く気にかけていないような、 身体の不自由さを全く気にしていない=無頓着な、 そういうパワフル=生気に満ちた〈顔つき〉。 look はやはり〈表情、顔つき〉だろうと思います。 身体を含めた見た目、外見、ということなら looks になるみたいなので…。 だから此処では、 イーサンの身体の不自由さと それとは裏腹の力づよい表情との〈対比〉に技術者は眼を奪われたのだろうと…。。

だらだら書きましたけれど、 じゃあ そのイーサンの「ケアレスなパワフル」を支えているものって何なのだろう…。 そう考えると、 作者があちらこちらにしのばせた〈学問〉への繋がり、、じゃないかと。。 技術者が置き忘れた科学の雑誌。 イーサンがふと漏らした科学への関心。 家屋の一部を処分しなければならないほど困窮しているにもかかわらず残してあるイーサンの昔の勉強部屋。 もっと深読みすれば、 毎日今でもイーサンは新聞を郵便局まで受取りに来る。 そんなに困窮しても新聞だけは読み続けているイーサンの外部への関心。

ここからは 私の勝手な想像というか 願望…。
この技術者が有能な人物であればきっと、 嵐の夜にイーサンの家(その勉強部屋)に泊めてもらった事でイーサンの能力を知り、 ストライキを続けている労働者などよりイーサンを雇った方が 自分もわざわざこんな村に滞在しなくても済むし、 毎日イーサンに送り迎えしてもらうより イーサンにちょっと指導すれば彼なら仕事が出来るだろう… そう考えるのが当然じゃないかと…。。 あくまで想像(妄想)ですが…

そこに私はこの絶望的な物語のかすかな〈救い〉を見出したいだけで…

時代の変遷や、 都市と村の格差、 広い世界を知る者と閉ざされた知識との差異、、 そういうテーマに敏感だったと思えるイーディス・ウォートンだからこそ、 単に辺境の村に住む貧しい男の悲劇という物語のほかに、 外の世界との接点や新しい時代の兆し、 そんな仄めかしを読み取っても良いのではないか、と…。 それが科学知識への関心とか、 発電所とか、 些末なキーワードに過ぎないけれども…。 こじつけかな…?  

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さらに、 先ほどの「ケアレスパワフル」から、、 イーサンの「プライド」という事を考え直してみました。 この小説には「プライド」という語が何度か出てきました。

若き日のイーサンは、 プライドの使い方というか 示し方というか、 それを間違えてしまっていたと…。 プライドゆえに追加の借金も言い出せず、 プライドが彼をいつも躊躇させた。 52歳のイーサン、、 今もプライドの高い男ではあるだろうけれど、 もうあの生活では見せかけのプライドなど示しようもない。 でも何も投げ出してはいないし、たぶん恥じてもいない。 52歳のイーサンは自分の貧しさを技術者に隠すこともしなかったし、 技術者が雑誌を貸そうか?と聞いた時、 昔のイーサンなら必要ないと言ってしまったかも…。 叶えられなかった過去の学問のことなど技術者に話さなかったかも。。

それらを含めての、、 careless powerful 無頓着な力強さ。 それがイーサンをさらに強く支えている…


ケアレス、 という単語から いろいろと考えさせられました。 よかったです。

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しばらく前からじぶんが願望としてきた 〈ノンシャランな〉老女になりたい…。 それってイーサンの〈ケアレス〉に近いのかも… などと思いました。 気にしない… 頓着しない… でも、 自分なりの美意識や価値観は手放さない… やっぱり そうでありたい。。 やっぱね…


ひとりごとみたいな読書記になってしまいました…

今は、、 ずっしりと重い犯罪小説と(ちょっと内容から逃げ出したくなって)、、〈猫〉の本を読んでいます。。




美しい秋の日、、 雨が近づいているのが心配ですが



素敵な週末&連休をお過ごしください…