5月になりました。 ゆっくりお休みあるいは沢山おでかけ出来たでしょうか?
GW中は長編小説をわきに置いて、 ちょっと外出しても大丈夫なように随筆集を読んでいました。。 それがすばらしくて…
『日本近代随筆選 2大地の声』(岩波文庫 2016年)という本を。 (内容は岩波書店のこちらで目次を>>)
先月にも書いていた片山廣子さんの随筆を検索していてこの文庫をみつけたのですが、、収録されている作家のお名前をみれば、明治・大正・昭和のはじめの 私でもほぼ全員お名前のわかる有名な方々ばかり。 女性作家さんも、それから詩人の方などの随筆もふくまれていたので読んでみたいな… ということで選びました。。
今年のお休みはこれまでの制限から解放されて、 あちらこちらの観光地、それからフェスやイベントの会場、たいへんな賑わいの様子でしたね。。 そんな光景をニュースなどで見ながら、ひとたび本を開くと… なんというか、、 ほぼ100年前のわたしたちは、なんと閑かでつましく、それでいてなんと豊かに、この日本の四季と山川草木を肌身に感じて暮らしていたことかとおどろくのでした。
そしてわたしたちは どれほど多くの「言葉」を失ってしまったのか、と愕然とするのでした。。
日々のよろこびを伝える言葉、、季節の風物をあらわす言葉、生き物や樹木や花の種類、それに触れる想いを綴る言葉。。 めっちゃ楽しい、めちゃくちゃ美味しい、すっごいキレイ、最高、、 自分でもそんな程度しか感嘆の言葉をこのところ使って来なかったかも… とすごーく(←ほら情けない) 恥ずかしくなりました。
***
小泉八雲先生は「草雲雀」なるちいさな昆虫を愛でていらっしゃる。。 クサヒバリって 何だろう…?
漱石先生のお弟子でもあった松根東洋城さんは お庭にしぜんに芽を出した葉鶏頭を下駄に踏まれぬよう我が子のように可愛がっておられる…
画家の鏑木清方先生が数え上げる庭木のかずかず、、「うめ、あかまつ、くろまつ、、さざんか、もくせい、あじさい」 ここまでは分る、、「さんごじゅ、しじめばな、、はとやばら、、いわたばこ」 、、あぁ わかりません…悲
特にうっとりと心惹かれてしまうのが、 当時でも懐かしさをおぼえるような昔ながらの季節の暮らし…。 谷崎潤一郎先生がなつかしむ京町屋の夏… 「葭簀」もルビがなければ読めませんし、 「とうむしろ」って? 「ゆとん」って??
島崎藤村がえがく「短夜の頃」には(みじかよ、と読むのでしょうね)、 詩人らしく音や色や影や風、香りに満ちみちています、、「蚕豆売」に「朝顔の呼声」、、「青い蚊帳越し」にみる蝋燭の火影や、 「簾に映る物の象(すがた)」
こうしていくらでも引用したくなってしまうのですが、、 一文だけ。。 高村光太郎の「山の春」という随筆から…
やがて、野山にかげろうが立ち、春霞がたつ。 秋の夕方は青い霧が山々をうずめてうつくしく、それをわたくしは「バッハの蒼(あお)」と称しているが、春の霞はさすがに明るく、セリュリアン色の蒔箔のように山々の間にういている…
美術家らしい表現ですね、、 ヨーロッパに滞在されたこともある高村光太郎ですから、バッハの蒼、って?…と思って 作曲家のバッハのことかと最初思ったのですが、、 もしかしたら… 「プルシアンブルー」の顔料を発見したという「ディースバッハ(Johann Jacob Diesbach)」のことなのでしょうか…
秋のプルシアンブルーは「紺青」、、 春のセルリアンブルーはわずかに緑をおびた空色、、 あぁ…月がのぼってくる夕空を思い浮かべると、 なるほどわかります。。
***
うつくしく、 心洗われるような随筆が多いのですが、 編目が「大地の声」とあるように、この時代 大地が怖ろしい怒りの声をあげた出来事、 関東大震災がありました。。 じつは先にあげた松根東洋城が丹精込めていつくしんだ葉鶏頭の庭にも火の手が迫ってくるのでした。。
内田百閒先生の「長春香」は、 以前にもその名の本で読んでいましたが、 震災で行方不明になったお弟子の名を書いた「幟(のぼり)」を肩に焼跡をさがして歩く様子、、 のちに学生が集まって闇鍋で追悼会を催す様子、、 痛ましくも亡き人への優しさにあふれていて何度読んでも涙してしまいます…
、、 それらの震災の記憶の文章を読んだ直ぐあとに、 夕方のTVをつけたら能登の地震の報道をやっていて…。 早くおさまってくれれば良いのですが…
***
連休が終わり また日々の暮らしが始まりました。
この『日本近代随筆選』(まだあと数篇、残っています) 、、文学史にのこる方々の名随筆を集めたものですから ため息が出るような文章がたくさんありました。 このシリーズ、 ほかに「出会いの時」「思い出の扉」とあるようです。 他のものも読んでみようと思っています。 そして 忘れてしまっていた言葉、 知らなかった言葉、、 今ではすっかり失われてしまった言葉、、
言葉がうしなわれると、 そのことばが表現していた情緒もいっしょに消えてしまうようで、、 現代に生きる自分がとても薄っぺらい感情しか持っていない気がして、、 これではいけない と今更ながら日々の暮らし 日々の感じ方、 振り返ったりしてしまいます。。
あらためて
これからむかえる 雨の季節、、 そして短夜の頃を、、 心ゆたかに。 ちいさきものにも、 無限のものにも、 眼を向けて…
そう生きていかなきゃ… と思っています。
GW中は長編小説をわきに置いて、 ちょっと外出しても大丈夫なように随筆集を読んでいました。。 それがすばらしくて…
『日本近代随筆選 2大地の声』(岩波文庫 2016年)という本を。 (内容は岩波書店のこちらで目次を>>)
先月にも書いていた片山廣子さんの随筆を検索していてこの文庫をみつけたのですが、、収録されている作家のお名前をみれば、明治・大正・昭和のはじめの 私でもほぼ全員お名前のわかる有名な方々ばかり。 女性作家さんも、それから詩人の方などの随筆もふくまれていたので読んでみたいな… ということで選びました。。
今年のお休みはこれまでの制限から解放されて、 あちらこちらの観光地、それからフェスやイベントの会場、たいへんな賑わいの様子でしたね。。 そんな光景をニュースなどで見ながら、ひとたび本を開くと… なんというか、、 ほぼ100年前のわたしたちは、なんと閑かでつましく、それでいてなんと豊かに、この日本の四季と山川草木を肌身に感じて暮らしていたことかとおどろくのでした。
そしてわたしたちは どれほど多くの「言葉」を失ってしまったのか、と愕然とするのでした。。
日々のよろこびを伝える言葉、、季節の風物をあらわす言葉、生き物や樹木や花の種類、それに触れる想いを綴る言葉。。 めっちゃ楽しい、めちゃくちゃ美味しい、すっごいキレイ、最高、、 自分でもそんな程度しか感嘆の言葉をこのところ使って来なかったかも… とすごーく(←ほら情けない) 恥ずかしくなりました。
***
小泉八雲先生は「草雲雀」なるちいさな昆虫を愛でていらっしゃる。。 クサヒバリって 何だろう…?
漱石先生のお弟子でもあった松根東洋城さんは お庭にしぜんに芽を出した葉鶏頭を下駄に踏まれぬよう我が子のように可愛がっておられる…
画家の鏑木清方先生が数え上げる庭木のかずかず、、「うめ、あかまつ、くろまつ、、さざんか、もくせい、あじさい」 ここまでは分る、、「さんごじゅ、しじめばな、、はとやばら、、いわたばこ」 、、あぁ わかりません…悲
特にうっとりと心惹かれてしまうのが、 当時でも懐かしさをおぼえるような昔ながらの季節の暮らし…。 谷崎潤一郎先生がなつかしむ京町屋の夏… 「葭簀」もルビがなければ読めませんし、 「とうむしろ」って? 「ゆとん」って??
島崎藤村がえがく「短夜の頃」には(みじかよ、と読むのでしょうね)、 詩人らしく音や色や影や風、香りに満ちみちています、、「蚕豆売」に「朝顔の呼声」、、「青い蚊帳越し」にみる蝋燭の火影や、 「簾に映る物の象(すがた)」
こうしていくらでも引用したくなってしまうのですが、、 一文だけ。。 高村光太郎の「山の春」という随筆から…
やがて、野山にかげろうが立ち、春霞がたつ。 秋の夕方は青い霧が山々をうずめてうつくしく、それをわたくしは「バッハの蒼(あお)」と称しているが、春の霞はさすがに明るく、セリュリアン色の蒔箔のように山々の間にういている…
美術家らしい表現ですね、、 ヨーロッパに滞在されたこともある高村光太郎ですから、バッハの蒼、って?…と思って 作曲家のバッハのことかと最初思ったのですが、、 もしかしたら… 「プルシアンブルー」の顔料を発見したという「ディースバッハ(Johann Jacob Diesbach)」のことなのでしょうか…
秋のプルシアンブルーは「紺青」、、 春のセルリアンブルーはわずかに緑をおびた空色、、 あぁ…月がのぼってくる夕空を思い浮かべると、 なるほどわかります。。
***
うつくしく、 心洗われるような随筆が多いのですが、 編目が「大地の声」とあるように、この時代 大地が怖ろしい怒りの声をあげた出来事、 関東大震災がありました。。 じつは先にあげた松根東洋城が丹精込めていつくしんだ葉鶏頭の庭にも火の手が迫ってくるのでした。。
内田百閒先生の「長春香」は、 以前にもその名の本で読んでいましたが、 震災で行方不明になったお弟子の名を書いた「幟(のぼり)」を肩に焼跡をさがして歩く様子、、 のちに学生が集まって闇鍋で追悼会を催す様子、、 痛ましくも亡き人への優しさにあふれていて何度読んでも涙してしまいます…
、、 それらの震災の記憶の文章を読んだ直ぐあとに、 夕方のTVをつけたら能登の地震の報道をやっていて…。 早くおさまってくれれば良いのですが…
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連休が終わり また日々の暮らしが始まりました。
この『日本近代随筆選』(まだあと数篇、残っています) 、、文学史にのこる方々の名随筆を集めたものですから ため息が出るような文章がたくさんありました。 このシリーズ、 ほかに「出会いの時」「思い出の扉」とあるようです。 他のものも読んでみようと思っています。 そして 忘れてしまっていた言葉、 知らなかった言葉、、 今ではすっかり失われてしまった言葉、、
言葉がうしなわれると、 そのことばが表現していた情緒もいっしょに消えてしまうようで、、 現代に生きる自分がとても薄っぺらい感情しか持っていない気がして、、 これではいけない と今更ながら日々の暮らし 日々の感じ方、 振り返ったりしてしまいます。。
あらためて
これからむかえる 雨の季節、、 そして短夜の頃を、、 心ゆたかに。 ちいさきものにも、 無限のものにも、 眼を向けて…
そう生きていかなきゃ… と思っています。