最近、、 悪魔の形状について興味があって…
5月の入院中に、若き日の芥川龍之介(夏目漱石のお弟子だった頃から作家になりたての頃)の初期作品集を読み返していました、、というのは前に書きましたが
『羅生門・鼻・芋粥』 芥川龍之介、角川文庫クラシックス
この中の 「煙草と悪魔」(大正5年 龍之介24歳)という作品に出てくる《悪魔》がなんとも可愛いくて、、
この悪魔、 聖フランシスコ・ザビエル宣教師が 日本にキリスト教を伝道しに来るその船でいっしょに日本に来たそうなのですが、、 航海途上、 ザビエルの従者の修道士(いるまん)が船に乗り遅れたのをいいことにその男の姿に化けて… (その部分を⤵)
「正物のその男が、阿媽港(あまかは=マカオらしい)か何処かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁へ尻尾をまきつけて、倒(さかさま)にぶら下りながら、私(ひそか)に船中の容子を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた」
、、この 《尻尾を巻きつけてさかさまにぶら下がっている》姿を想像して、 (可愛い!!)と 妙に気に入ってしまい… (芥川は書いてないけれど、その尻尾はやっぱり矢印の形をしてるのかしら…?)とか、、
後半では 悪魔の姿の描写もありました。
「…もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊のやうな角が二本、はえてゐる」
、、この《悪魔》修道士クン、、 ザビエル師と共に日本に来ても まだキリスト教のなんたるかもまるで知らない土地で布教もままならず、 やることがない。。 暇を持て余して《園芸》でもやろうと、 畑を借りて西洋から持ってきた《煙草》の種を撒いて栽培を始める、、 あげく、、 通りかかった牛商人となぞかけ遊びをして…… という、なんだか呑気な ちょっとまぬけなカワイイ悪魔のお話、、
(青空文庫でも全文読めます)
***
ところで、 《悪魔》と言えば、 芥川の師 夏目漱石作品にも登場します。 『三四郎』のなかで、 美禰子が三四郎に送った絵はがきに、二匹の迷える子羊と悪魔(デビル)の絵が描かれている、、
「小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある」
漱石先生の言う「西洋の絵にある悪魔」って、、 西洋画の美術展もほとんど無くて アニメも漫画本も無い時代、、『三四郎』が書かれた明治41年当時の日本で、普通のひとは「西洋の絵にある悪魔」をどの程度知っていたのかしら…? とか。。
ロンドンに行って美術館めぐりをしたり、 美術雑誌ステューディオをとっていた漱石ならまだしも、 龍之介もどんな本や小説や絵画のなかから《悪魔》の形状を知っていったのかしら…? と 興味が湧いて。。
龍之介の《悪魔》は「山羊の角」と「尻尾」があって、 ウィキを見るとどうやら黒魔術に関連する「バフォメット」(wiki>>) の姿に近いようです。
一方、 漱石の《悪魔デビル》は「獰猛」な顔で 「ステッキ」を持っているそうで、 バフォメットはステッキ持って無いようですし、 ギュスターヴ・ドレが挿画を描いたダンテの『神曲』の悪魔なども、 ステッキも持っていませんし、 山羊の角も生えてません。。
で、、いろいろ検索してみたところ、 中世の写本に描かれている《悪魔》には 角が生えていて尻尾があって そして「杖」を持っているのもいる、、 でも「ステッキ」かなぁ……
漱石先生はほかにも《悪魔》について書いていて、 漱石や芥川龍之介らが 東大でドイツ哲学の講義を受けた師、 「ケーベル先生」の思い出にも《悪魔》の話が出てきます。
「烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている」 「ケーベル先生」
、、 これには笑ってしまいました… 漱石先生 コウモリの羽の形が好きなのですって。。 意外に 悪魔好きなのかもしれません。。 現代ならデビルマンとか、、 バットマンとか、、 (バットマンは悪魔ではないけど 笑)
***
知らなかったのですが、 芥川龍之介は もうひとつ 「悪魔」という小品を書いていて全集に収載されているようですが 青空文庫でも読めます。 この中で 悪魔の姿かたちについて描写しています
「古写本の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子を物語つた。それは人間の顔と蝙蝠の翼と山羊の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である」
、、 こちらは角ではなくて 山羊の脚なんだ…… それで 「小さい」とある。。 今までちっちゃな悪魔、というのは余り図像でも見てなかったので 芥川はどこから小さいと想像したのでしょう… このちっちゃな《悪魔》がせつなくて可愛らしいのです、、 短い作品ですからどうぞ読んでみて>> 青空文庫 芥川龍之介 「悪魔」
織田信長の戦国の世にあらわれた悪魔、、 姫君を堕落させようと思ったものの その清らかな魂を前に 堕落させたいという想いと堕落させたくないという想いの二つに引き裂かれて苦悩している 《美しい顔をした悪魔》、、。 どうやら龍之介も このちいさな悪魔をシンパシーをもって書いているようです。 大正七年 龍之介は塚本文と婚約中。 この翌年結婚します。
「堕落させたくないもの程、益堕落させたいのです。これ程不思議な悲しさが又と外にありませうか。私はこの悲しさを味ふ度に、昔見た天国の朗な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします」 芥川龍之介 「悪魔」
ちいさな悪魔の苦悩、、 おそらくは姫君に恋をしてしまった悪魔の胸の痛み、、
文に書き送った手紙のなかで、 龍之介は自分のこれからの仕事のことを 「金にならない仕事」と綴っています。 まだ少女のような文に生活の苦労をさせてしまうかもしれないという怖れや迷いの気持ちも込められているのかもしれませんし、、
『羅生門』などの作品にみるような、 人間の魂の闇と光の双方に同時に共鳴してしまう 龍之介自身の心の裂け目をも 感じているのかもしれません、、
***
人間の世界にあらわれて 人間を破滅の道に誘惑しようとする悪魔が恋に落ちてしまう物語、、
、、芥川が「悪魔」を書いた大正七年とおなじ時期に書かれた 別の悪魔の小説のことを思い出しましたので、 悪魔について考えたこの機会に、 今度はそれを読むことにしました。 (じつはもう読み終えました)
夏目漱石も、 芥川龍之介も読み影響を受けたとされるロシアの作家 レオニード・アンドレーエフの 『悪魔の日記』、、 アンドレーエフの遺作となった作品です。(この作品を漱石、龍之介が読んでいたという記録は残念ながらありませんが)
『悪魔の日記』は 以前にも一度、途中まで読んでいましたが、 ようやく全部 読むことができました。
アンドレーエフの悪魔には 蝙蝠の翼や山羊の角は生えてるのでしょうか… それとも 天使の翼をもつ堕天使ルシファーとして描かれているのでしょうか…
その話はまたいずれ……
So if you meet me
Have some courtesy
Have some sympathy, and some taste
The Rolling Stones - Sympathy For The Devil
「うるがんよ。悪魔と共に我々を憐んでくれ」 芥川龍之介 「悪魔」
5月の入院中に、若き日の芥川龍之介(夏目漱石のお弟子だった頃から作家になりたての頃)の初期作品集を読み返していました、、というのは前に書きましたが
『羅生門・鼻・芋粥』 芥川龍之介、角川文庫クラシックス
この中の 「煙草と悪魔」(大正5年 龍之介24歳)という作品に出てくる《悪魔》がなんとも可愛いくて、、
この悪魔、 聖フランシスコ・ザビエル宣教師が 日本にキリスト教を伝道しに来るその船でいっしょに日本に来たそうなのですが、、 航海途上、 ザビエルの従者の修道士(いるまん)が船に乗り遅れたのをいいことにその男の姿に化けて… (その部分を⤵)
「正物のその男が、阿媽港(あまかは=マカオらしい)か何処かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁へ尻尾をまきつけて、倒(さかさま)にぶら下りながら、私(ひそか)に船中の容子を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた」
、、この 《尻尾を巻きつけてさかさまにぶら下がっている》姿を想像して、 (可愛い!!)と 妙に気に入ってしまい… (芥川は書いてないけれど、その尻尾はやっぱり矢印の形をしてるのかしら…?)とか、、
後半では 悪魔の姿の描写もありました。
「…もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊のやうな角が二本、はえてゐる」
、、この《悪魔》修道士クン、、 ザビエル師と共に日本に来ても まだキリスト教のなんたるかもまるで知らない土地で布教もままならず、 やることがない。。 暇を持て余して《園芸》でもやろうと、 畑を借りて西洋から持ってきた《煙草》の種を撒いて栽培を始める、、 あげく、、 通りかかった牛商人となぞかけ遊びをして…… という、なんだか呑気な ちょっとまぬけなカワイイ悪魔のお話、、
(青空文庫でも全文読めます)
***
ところで、 《悪魔》と言えば、 芥川の師 夏目漱石作品にも登場します。 『三四郎』のなかで、 美禰子が三四郎に送った絵はがきに、二匹の迷える子羊と悪魔(デビル)の絵が描かれている、、
「小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある」
漱石先生の言う「西洋の絵にある悪魔」って、、 西洋画の美術展もほとんど無くて アニメも漫画本も無い時代、、『三四郎』が書かれた明治41年当時の日本で、普通のひとは「西洋の絵にある悪魔」をどの程度知っていたのかしら…? とか。。
ロンドンに行って美術館めぐりをしたり、 美術雑誌ステューディオをとっていた漱石ならまだしも、 龍之介もどんな本や小説や絵画のなかから《悪魔》の形状を知っていったのかしら…? と 興味が湧いて。。
龍之介の《悪魔》は「山羊の角」と「尻尾」があって、 ウィキを見るとどうやら黒魔術に関連する「バフォメット」(wiki>>) の姿に近いようです。
一方、 漱石の《悪魔デビル》は「獰猛」な顔で 「ステッキ」を持っているそうで、 バフォメットはステッキ持って無いようですし、 ギュスターヴ・ドレが挿画を描いたダンテの『神曲』の悪魔なども、 ステッキも持っていませんし、 山羊の角も生えてません。。
で、、いろいろ検索してみたところ、 中世の写本に描かれている《悪魔》には 角が生えていて尻尾があって そして「杖」を持っているのもいる、、 でも「ステッキ」かなぁ……
漱石先生はほかにも《悪魔》について書いていて、 漱石や芥川龍之介らが 東大でドイツ哲学の講義を受けた師、 「ケーベル先生」の思い出にも《悪魔》の話が出てきます。
「烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている」 「ケーベル先生」
、、 これには笑ってしまいました… 漱石先生 コウモリの羽の形が好きなのですって。。 意外に 悪魔好きなのかもしれません。。 現代ならデビルマンとか、、 バットマンとか、、 (バットマンは悪魔ではないけど 笑)
***
知らなかったのですが、 芥川龍之介は もうひとつ 「悪魔」という小品を書いていて全集に収載されているようですが 青空文庫でも読めます。 この中で 悪魔の姿かたちについて描写しています
「古写本の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子を物語つた。それは人間の顔と蝙蝠の翼と山羊の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である」
、、 こちらは角ではなくて 山羊の脚なんだ…… それで 「小さい」とある。。 今までちっちゃな悪魔、というのは余り図像でも見てなかったので 芥川はどこから小さいと想像したのでしょう… このちっちゃな《悪魔》がせつなくて可愛らしいのです、、 短い作品ですからどうぞ読んでみて>> 青空文庫 芥川龍之介 「悪魔」
織田信長の戦国の世にあらわれた悪魔、、 姫君を堕落させようと思ったものの その清らかな魂を前に 堕落させたいという想いと堕落させたくないという想いの二つに引き裂かれて苦悩している 《美しい顔をした悪魔》、、。 どうやら龍之介も このちいさな悪魔をシンパシーをもって書いているようです。 大正七年 龍之介は塚本文と婚約中。 この翌年結婚します。
「堕落させたくないもの程、益堕落させたいのです。これ程不思議な悲しさが又と外にありませうか。私はこの悲しさを味ふ度に、昔見た天国の朗な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします」 芥川龍之介 「悪魔」
ちいさな悪魔の苦悩、、 おそらくは姫君に恋をしてしまった悪魔の胸の痛み、、
文に書き送った手紙のなかで、 龍之介は自分のこれからの仕事のことを 「金にならない仕事」と綴っています。 まだ少女のような文に生活の苦労をさせてしまうかもしれないという怖れや迷いの気持ちも込められているのかもしれませんし、、
『羅生門』などの作品にみるような、 人間の魂の闇と光の双方に同時に共鳴してしまう 龍之介自身の心の裂け目をも 感じているのかもしれません、、
***
人間の世界にあらわれて 人間を破滅の道に誘惑しようとする悪魔が恋に落ちてしまう物語、、
、、芥川が「悪魔」を書いた大正七年とおなじ時期に書かれた 別の悪魔の小説のことを思い出しましたので、 悪魔について考えたこの機会に、 今度はそれを読むことにしました。 (じつはもう読み終えました)
夏目漱石も、 芥川龍之介も読み影響を受けたとされるロシアの作家 レオニード・アンドレーエフの 『悪魔の日記』、、 アンドレーエフの遺作となった作品です。(この作品を漱石、龍之介が読んでいたという記録は残念ながらありませんが)
『悪魔の日記』は 以前にも一度、途中まで読んでいましたが、 ようやく全部 読むことができました。
アンドレーエフの悪魔には 蝙蝠の翼や山羊の角は生えてるのでしょうか… それとも 天使の翼をもつ堕天使ルシファーとして描かれているのでしょうか…
その話はまたいずれ……
So if you meet me
Have some courtesy
Have some sympathy, and some taste
The Rolling Stones - Sympathy For The Devil
「うるがんよ。悪魔と共に我々を憐んでくれ」 芥川龍之介 「悪魔」