prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「愛と殺意」

2005年09月27日 | 映画
ミケランジェロ・アントニオーニ監督、1950年の長編第一作。これまでの資料だと「ある愛の記録」と記されることが多かった劇場未公開作。ビデオも出ているかどうか。9月13日に日本テレビ「チネ・パラ」枠で放映されたのを録画したもの。ノーカット版のはず。

若く美しい妻(ルチア・ボーゼ)を娶った大金持ちの夫が妻の過去を探偵に調べさせると、探偵が嗅ぎまわったのが逆にきっかけになって昔別れた男(マッシモ・ジロッティ)と再会することになる。二人は昔もう一人の女と三角関係になっていたのだが、その女が事故か自殺か曖昧な形で死んだのがきっかけになって別れていたのだった。
男はひどく貧乏で、女は高価な車を夫に買わせて男に仲介させることで経済的に援助しようとしたりするが、男はあまりいい顔をしない。昔の恋人が再会したからといって情熱が再燃するといった展開にならないのがアントニオーニらしく、ぐにゃぐにゃした曖昧なニュアンスな逢い引きシーンが続く。
妻がやはり昔の男と続いていたのかと誤解(?)した夫は、昔の事件を再現するように事故か自殺か曖昧な形で自動車事故で死に、結局二人はまた別れていく。

キネマ旬報「世界の映画作家」シリーズ第5巻「アラン・レネ ミケランジェロ・アントニオーニ編」に収録されているアントニオーニのインタビューによると、いわゆるシナリオには頼らず、俳優に自由にやらせたのをフリーなカメラワークで追ったようなことを言っているが、作品を見る限り首肯しがたい。
脚本には5人の名前がずらりと並んでいて、はっきりストーリーを練ってから作られたとしか思えない。ただ、一つ一つの場面で計算されたリズムに縛られず、その場の流れに応じて昂まったりけだるかったりといった作りは後年のタッチを思わせる。
作る前、スポンサーの前でふだん口下手なアントニオーニがえんえん3時間も独演し、内容は気にいらんが、君が作りたがっていることはわかるからいいだろう、というので製作にGOサインが出たという。

ヒロインのルチア・ボーゼはなるほど玉の輿に乗る筈だと納得させる美しさ。金持ちの夫人らしくとっかえひっかえ素晴らしいドレスを着て現れるが、イタリア映画らしくデザインが半世紀以上経った今でもまるでズレていない。