prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「わが生涯のかがやける日」

2006年04月10日 | 映画
フィルムセンターでの「シナリオ作家・新藤兼人特集」での上映。「監督」ではないのに、御注意。
一般的な印象だと監督と脚本のウェイトが半々くらいの印象だが、以前講演で「私は監督ではないから、俳優にああしろこうしろとは指示できません。しかし、役の人物がどんな人間でどんな物の考え方をするかだったら、いくらでも説明できます」と言っていた。

「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」の構成のハコ書きが展示されていた。ドキュメンタリーなのだが、ドラマ同様に原稿用紙をつないで巻物みたいにしてずらっとシーンが書きこんである。隣には、きれいに削った鉛筆が数十本。生前の乙羽信子が一生の間には書ききれないくらいたくさん削っておいてくれたというが、その一部だろうか。

映画そのものは昭和23年の製作で、当時名コンビをうたわれた吉村公三郎監督。出演は森雅之、山口淑子(李香蘭から日本名に戻した第一作)、滝沢修、宇野重吉(寺尾聰そっくり、逆だけど)、清水将夫、加藤嘉ほかと、イカニモなキャスティング。

軍閥に戦前協力して自由主義者を殺した男が、その主義者の娘と愛するようになって良心に目覚め、戦後ものうのうと体制(新聞社!)の中で生き延びている元鬼検事と対決して倒し、娘に罪を告白して自首していくという、戦争悪が清算されていないことへの告発とメロドラマとを巧みに組み合わせたお話。
作られた時代のせいか、作者の体質か、戦争犯罪者の残党(ともいえない)が滝沢修のやたら凝った役作りもあって禍々しい。山口淑子がエキゾチック。

アクションシーンで銃で撃たれた鏡の扱いなど当時としては凝っていたのだろうが、いささか今の目で見ると間延びして見える。



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