prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「グッドナイト&グッドラック」

2006年06月20日 | 映画
まず、敵役であるマッカーシーがもっぱら実写映像で描かれるのにびっくりした。ちらっと遺族から文句が出ないかと思ったくらい。
上院議員が委員会や聴聞会で発言した内容を公開するのに制限があっていいはずもないが、アメリカという国の記録と保存にかける徹底ぶりを改めて見せつけられた観。コレ、日本では「七人の侍」や「ゴジラ」が作られたのと同時期(1954頃)の話なんですよ。
東京裁判批判論が最近盛んだが(私も多分に批判的だが)、アメリカに記録そのものが残っていなかったら、批判すらできなかったはずなのだ。

マッカーシーの主張は軍の三分の一は共産主義者だの、エレノア・ルーズベルト元大統領夫人やトルーマン大統領もぐるだのといった、荒唐無稽に属するものだから、そのいいかげんさを突けば勝手に崩れた。人を攻撃する時の勇ましさに比して、受けにまわった時の憔悴しきったようすは、昨今の日本の政治報道でもよく見られる光景だ。
禿かけた頭といいゲジゲジ眉毛といい、何よりお粗末きわまる発言は、一流ライターがセリフを書いて役者ががっちり役作りしても、これだけそれらしくできたかどうか疑問なくらいの矮小な悪役ぶり。

しかし、一方で、これほどチャチでない相手に対しては、どうだったか。
マローも、「なぜ共産主義がいけないのか」とはついに言っていない。共産主義はいけないのだ、という前提は暗黙に認めているようで、言論の自由からすれば、主張そのものを封じること自体を批判しなくてはいけないところたが、実際問題としては当時ちょっとでも「アカ」をかばうような発言をしたら、地位を失っていただろう。
「大衆」の支持どころか、大衆こそが批判の先鋒に立っただろう。
だいたい、共産主義ってどういうものなのか、一般のアメリカ人にどの程度知られていたのか。また共産主義に傾いた人が、すべて今で言うテロリストにあたるような存在だったかどうか、といった検証はここにはない。

赤狩りというのは、占領下の日本(今でも実質占領下だが)でもあったことで、多分にマッカーシーがハリウッドを狙い撃ちにしたように、日本でも映画界で端的に赤狩りが行われた。黒澤明が一時東宝を離れて大映や松竹で仕事していたのも、そのせいだし、多くの独立プロが生まれて質的に日本映画を支えもした。
ロバート・デ・ニーロ主演で赤狩り当時のハリウッドを描いた「真実の瞬間」という映画があったが、日本で東宝争議(米軍が装甲車を出撃させ、「来なかったのは軍艦だけ」というくらいの大労働争議になった)が映画化されることなど、考えられるだろうか。

エド・マローの取材班は部分的にカラーフィルムさえ使っていて、回したフィルムと放映されるのと比は1対20。スポンサーはアルミ製品製造会社アルコア一社で、スポンサーが負担するのは製作費のうち四分の一程度で、あとはCBSが埋めた、というからテレビ会社としては作れば作るほど損する勘定になる。
スポンサーもテレビ局も、よく支えたといえる。

ニュースキャスター―エド・マローが報道した現代史と照らし合わせると、ここで描かれたエピソードは省略や時間的順序を入れ替えた以外は、ほとんど事実に忠実であることがわかる。ただ、映画での印象とするとマローを賞賛するためにあるような冒頭とラストのスピーチの場面が、実はCBSの上層部の態度を硬化させ、不仲へとつながっていくことがわかる。

コントラストの強い白黒画面なもので、字幕が画面の白い部分にかかると見えなくなってしまうものであっちこっちにさまようから、いささか見ずらい。白い文字に黒い縁をつける字幕というのがあったはずなのだが(「スーパーマン」のクリプトンの場面に使われた)。しょうがないので出来るだけ耳で聞き取ったが、発音は聞き取りやすいけれど話の内容が詰まっていて置いていかれぎみ。

現代だとテレビやキャスター自体が一種の権力と化している観があるので、単純に「反権力」ばかりを期待できない(単なる権力争いの一環になりかねない)が、もろに癒着されたらもっと困るのは確か。

余談ながら、CBSドキュメント(TBS系列水曜深夜1:55)は見ごたえあり。今のテレビで毎週欠かさず見ているのは珍しい。伝統ですかね。
(☆☆☆★★★)



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