「青い山脈」の石坂洋二郎原作で、女学校の生徒と独身の男教師との関係を描く1952年作などと聞くと、真っ先に古びてしまう内容ではないかと思えたが、案外そうでもなかった。
女生徒の母親が男出入りが止まらない性質で実の父親が誰なのかわからないという設定で、当時はそんな言葉は使わなかったろうがアイデンティティが曖昧でいくらか父親代わりのような形で男教師と近づいたり遠ざかったりする。
母親役の杉村春子が見もので、小沢栄の船乗りとのぐちゃぐちゃの痴話喧嘩とか、妙に娘と教師とをデキさせようとしているような入れ知恵をみせるあたり、自分を再生産しようとしているようでコワい。
結局肉体的にデキるわけではないみたいなのは製作当時のご時世でもあるだろうけれど、キリストのイメージが導入されたりして、女学校のチャペルのでかい十字架を壊すなんてのは借り物っぽいが、杉村春子の母親の和風の部屋にも小さな十字架があるのはかえってモダン。普段でも母娘で和服で出て歩いているのも面白い。
監督が市川崑のせいか、ラストに唐突にアナトール・フランスの引用が出てくる前から、感覚が戦前の「制服の処女」「格子なき牢獄」あたりのフランス映画っぽいと思っていた。抑圧の要因が学校よりむしろ家庭の中にあるのが違うところだが。
万年筆を小道具にして接近させるのだが、パーカーというのを(ゲイリー・)クーパーと間違えるのが時代色。小津の「晩春」(49)にもクーパーの名前が出てきた。
ちなみに、主演の池辺良の21人の僕―映画の中の自画像で、「朝の波紋」で共演した先輩の高峰秀子が「池辺良はね、鉄砲の弾丸の下をくぐってきたましたなんて陰気な顔をしないことと、二枚目顔しないとこが良いと思うよ。(略)地でやってるようなとこあるから、ゲイリー・クーパーかジェームス・スチュワートみたいになるといいんだけどさ」なんて言っているところがある。
(☆☆☆)
本ホームページ
女生徒の母親が男出入りが止まらない性質で実の父親が誰なのかわからないという設定で、当時はそんな言葉は使わなかったろうがアイデンティティが曖昧でいくらか父親代わりのような形で男教師と近づいたり遠ざかったりする。
母親役の杉村春子が見もので、小沢栄の船乗りとのぐちゃぐちゃの痴話喧嘩とか、妙に娘と教師とをデキさせようとしているような入れ知恵をみせるあたり、自分を再生産しようとしているようでコワい。
結局肉体的にデキるわけではないみたいなのは製作当時のご時世でもあるだろうけれど、キリストのイメージが導入されたりして、女学校のチャペルのでかい十字架を壊すなんてのは借り物っぽいが、杉村春子の母親の和風の部屋にも小さな十字架があるのはかえってモダン。普段でも母娘で和服で出て歩いているのも面白い。
監督が市川崑のせいか、ラストに唐突にアナトール・フランスの引用が出てくる前から、感覚が戦前の「制服の処女」「格子なき牢獄」あたりのフランス映画っぽいと思っていた。抑圧の要因が学校よりむしろ家庭の中にあるのが違うところだが。
万年筆を小道具にして接近させるのだが、パーカーというのを(ゲイリー・)クーパーと間違えるのが時代色。小津の「晩春」(49)にもクーパーの名前が出てきた。
ちなみに、主演の池辺良の21人の僕―映画の中の自画像で、「朝の波紋」で共演した先輩の高峰秀子が「池辺良はね、鉄砲の弾丸の下をくぐってきたましたなんて陰気な顔をしないことと、二枚目顔しないとこが良いと思うよ。(略)地でやってるようなとこあるから、ゲイリー・クーパーかジェームス・スチュワートみたいになるといいんだけどさ」なんて言っているところがある。
(☆☆☆)
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