先日の「ロッキー・ザ・ファイナル」の原題が「ロッキー・バルボア」であるように、今度の原題は「ジョン・ランボー」、つまり主人公のフルネーム。
「ランボー」の原作でランボーは戦闘マシーンとしての育ての親のトラウトマンと相打ちになって死ぬのだが、なんでも映画版でも自殺するラストが撮影されてから悲惨すぎると不評で差し替えられたそうで、気づかなかったがそのシーンの断片が今回ちらっと出てくるらしい(出典)のも原点回帰というニュアンスが濃い。
Go Homeというセリフが何度も出てくるが、ラストに帰る生まれ故郷の牧場の郵便箱にはR.RAMBOとあって、全盛期のロッキーとランボーを抱えていたスタローンがダブルRなんて言われていたのと重なってくる(ロナルド・レーガンRonald Reagan政権時代だったのに合わせた言い方だろう)。
二作目三作目のランボーはやたらとアメリカを背負って戦っていたが、今回はもう国家としてのアメリカに帰属意識はまったくないみたい。戦うのが本能である「戦士」の原点に戻った感じで、女のためにというのはつけたり。
ボランティアも傭兵も自分勝手な生ぬるい連中という図式的な描き方で(実際はそれほど甘いものではないだろうが)、凄惨な暴力に揉まれているうち、一作目で「先に手を出された」(原題のfirst bloodはそこから来ている)ランボーが徹底的にやり返したように、途中からランボー同様に戦いにのめりこむ。
これまでもっぱら一匹狼を通していたランボーが、「戦士」仲間に入ると、一番強いものだから自然とリーダー格になってしまう。
「プライベート・ライアン」以来の凄惨な戦闘シーン、川を船で行き来するところや生首や死体がごろごろしているあたりや色のついた発煙筒などは「地獄の黙示録」みたい。そういえば、「怒りの脱出」のヘリコプターの使い方もだな。
実際にミャンマーで行われていることのリアリティの追求ということになっているけれど、特殊効果の技術が一人歩きして人間の感覚の閾値を超えてしまっていると見た方がいいのではないか。
セリフの発音も地図も「ビルマ」となっているのに、字幕は終始「ミャンマー」で統一してある。「怒りのアフガン」でも、「ロシア」と発音していたのに字幕では「ソ連」になっていたが、日本では相手の国の政府の主張する調子を合わせることになっているらしい。何が根拠でだか知らないが。
エンド・タイトルでデジタル処理スタッフにロシア人と思しき名前がずらりと並ぶところがあるのが、三作目の扱いとは隔世の感。
Music special thanks Carole Goldsmithと出る。三部作の音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスの二度目の(最後の)奥さんの名前はCarolのはずだが、見間違えたのだろうか。もちろんランボーのテーマは最初と最後に出てくる。これがないと気分が出ない。本編の音楽はお囃子みたい。
そういえば「怒りのアフガン」の音楽を担当した時、右翼扱いされたゴールドスミスが「戦士のキャラクターに興味があっただけだ」と語っていた。
(☆☆☆)
本ホームページ
ランボー 最後の戦場 - goo 映画
「ランボー」の原作でランボーは戦闘マシーンとしての育ての親のトラウトマンと相打ちになって死ぬのだが、なんでも映画版でも自殺するラストが撮影されてから悲惨すぎると不評で差し替えられたそうで、気づかなかったがそのシーンの断片が今回ちらっと出てくるらしい(出典)のも原点回帰というニュアンスが濃い。
Go Homeというセリフが何度も出てくるが、ラストに帰る生まれ故郷の牧場の郵便箱にはR.RAMBOとあって、全盛期のロッキーとランボーを抱えていたスタローンがダブルRなんて言われていたのと重なってくる(ロナルド・レーガンRonald Reagan政権時代だったのに合わせた言い方だろう)。
二作目三作目のランボーはやたらとアメリカを背負って戦っていたが、今回はもう国家としてのアメリカに帰属意識はまったくないみたい。戦うのが本能である「戦士」の原点に戻った感じで、女のためにというのはつけたり。
ボランティアも傭兵も自分勝手な生ぬるい連中という図式的な描き方で(実際はそれほど甘いものではないだろうが)、凄惨な暴力に揉まれているうち、一作目で「先に手を出された」(原題のfirst bloodはそこから来ている)ランボーが徹底的にやり返したように、途中からランボー同様に戦いにのめりこむ。
これまでもっぱら一匹狼を通していたランボーが、「戦士」仲間に入ると、一番強いものだから自然とリーダー格になってしまう。
「プライベート・ライアン」以来の凄惨な戦闘シーン、川を船で行き来するところや生首や死体がごろごろしているあたりや色のついた発煙筒などは「地獄の黙示録」みたい。そういえば、「怒りの脱出」のヘリコプターの使い方もだな。
実際にミャンマーで行われていることのリアリティの追求ということになっているけれど、特殊効果の技術が一人歩きして人間の感覚の閾値を超えてしまっていると見た方がいいのではないか。
セリフの発音も地図も「ビルマ」となっているのに、字幕は終始「ミャンマー」で統一してある。「怒りのアフガン」でも、「ロシア」と発音していたのに字幕では「ソ連」になっていたが、日本では相手の国の政府の主張する調子を合わせることになっているらしい。何が根拠でだか知らないが。
エンド・タイトルでデジタル処理スタッフにロシア人と思しき名前がずらりと並ぶところがあるのが、三作目の扱いとは隔世の感。
Music special thanks Carole Goldsmithと出る。三部作の音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスの二度目の(最後の)奥さんの名前はCarolのはずだが、見間違えたのだろうか。もちろんランボーのテーマは最初と最後に出てくる。これがないと気分が出ない。本編の音楽はお囃子みたい。
そういえば「怒りのアフガン」の音楽を担当した時、右翼扱いされたゴールドスミスが「戦士のキャラクターに興味があっただけだ」と語っていた。
(☆☆☆)
本ホームページ
ランボー 最後の戦場 - goo 映画