作るべき映画を作るべき人が作った。
これまで若松孝二は「シンガポール・スリング」の“戦士”の誕生や、「完全なる飼育・赤い殺意」のパレスチナ国歌が流れるラストになど、ちらちらとかつての盟友・足立正生への目配せを送っていたが、ここでひとつのオトシマエをつけたと思える。
もっとも、アラブゲリラの記録である「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」を作ったときも、共同監督で赤軍派に身を投じた足立とは違って、若松は撮影したフィルムをどこに売れば採算がとれるか計算していたというから、左翼に思想的・政治的にべったりではなく、むしろ心情的・同志的な結びつきなのだろう。
実録と銘打つだけあって、人物は実名だし冒頭のニュース・フィルムを使ったかなり長い状況説明が続き、漠然と当時について知っていたことを整理したり、「総括」で中心的な役割を果たす森恒夫がいったん運動から脱落して働いていたこと(そのため、それがコンプレックスの裏返しの攻撃的言動に出たらしいと想像される)など、重要な伏線と思える情報をピックアップできる。
コンプレックスが透けて見えるといったら、不美人の副委員長が「同志」の美人を反革命に名を借りてネチネチ糾弾し、あげくに自分で顔を殴らせてお岩さまみたいにさせるあたりの陰惨さはすさまじい。
狭いタコツボ的環境で煮詰まった中、「総括」という言葉が濫用されているうちに意味を失って浮遊し、意味がないからこそ奇妙に絶対化して疑義や反論を許さなくなりその場の「空気」が同調圧力を上げて、「異分子」を作ってはそれを潰すことでしか正当性を主張できなくなり互いに殺しあうに至る恐ろしさは、過激派内部に限らず閉鎖人間集団では普遍的に見られる現象だろう。
ムリにこじつけることはないが、近くはオウム、遡れば戦時中の日本全体をおのずと想起させ、世界的にも類似の現象がいくらもある。
クライマックスの機動隊突入シーンで包囲している当局の姿をまったくといっていいくらいほど見せず、もっぱら拡声器でのアナウンスで表現しているのは単純にそんな画を用意するだけの予算がなかったせいでもあるだろうが、あくまで籠城した赤軍たちに密着した視点を選んだからだろう。人質になった山荘の管理人の奥さんが、「革命」の意義を説かれても白けた目つきで黙っているあたり、過激派が「人民」の救済を掲げながら最もそこから遠いところに来てしまったアイロニーを痛烈に感じさせる。
「突入せよ! あさま山荘事件」の視点がもっぱら当局に密着していたのとは対照的で、これまでもっぱら当局側がコントロールしていた情報しかつかまされてこなかった中、単なるアンチテーゼという以上の正当な異議申し立てになっている。
小林正樹監督があさま山荘事件を赤軍派の学生の親の視点から描いた「食卓のない家」を作った時は、鉄球で山荘を壊している実写映像を使うのも大変だったらしい。あさま山荘の攻防の映像は、有名な割りに実は案外「封印」されていたみたい。
今では当時の文章で知るしかないが、五木寛之が総括された惨死体を当局があるのを知っていながら初めて見つけたような顔をして徐々に見せていって世論を反過激派に誘導していったのではないかと発言している。こういう世論が「作られる」ものだという考えは今では常識に近いが、そのさきがけになるような発言だろう。
(☆☆☆★★★)