死の灰を浴びて顔が真っ黒になって戻ってきた乗組員たちと周囲の反応が、知らぬこととはいえあんまりのんきなので、見ているこっちの方が怖くなる。
入院している乗組員たちのところに見舞いとしてテレビが運び込まれるのが1954年という時代を感じさせる。当時は民放としてはその前年に開局した日本テレビしかない(TBSの開局は1955年)。
事件の影響で「原爆マグロ」が大量に破棄され、魚の消費全体が落ち込んだといった風評被害は現在のフクシマにも通じていると思うが、映画ではそういう描写を省略して消費が回復したところにいきなりとぶ。映画は事件があった五年後に作られていて、まだ配慮が必要だったのだろう。
オープニングから十分近く、セリフらしいセリフなしで丹念に労働を描くシンプルな力強さは新藤兼人監督の後年の「裸の島」ほかにつながる。
それがだんだん新聞が出てきて政治・行政が関わり、アメリカとの交渉が絡んでくると、どんどん話がややこしくなって見えにくくなる。アメリカは今でも被害は放射能によるものとは認めておらず、200万ドルの補償も「好意による見舞金」であって賠償金ではない。なんだか「思いやり予算」の裏返しみたいだ。
第五福竜丸が調査のためタグボートに引かれて去っていくのをじっと見送る場面では、船そのものがひとつのキャラクターみたいに見える。物にも命を見ようとする日本的な感覚とも思える。
それにしても、この事件があってからもう五十年以上経っているけれど、核兵器はいっこうになくなりませんね。脱原発(って具体的に何だろう)のかけ声も五年後はどうなっていることか。