原作は古代ローマの大宴会が描かれる「サチュリコン」の影響を受けているらしいけれど、フェリーニの「サテリコン」とか、ゼッフィレッリの古典の再生(「ロミオとジュリエット」をラーマン版と比べてみるといい)みたいな古典の裏打ちの厚みは3Dでもあまり感じられない。
とはいえギャッビーという男が裏に抱えたダークサイドと純情をディカプリオはよく出した。ただし、周囲の演技陣は役者全員を放し飼いにしているみたいでアンサンブルが乱れ気味。
友人がアルコール依存で入院している病院で治療のために書く文章、という一種の枠物語にしたのは、原作者のフィッジェラルドが依存症になった事実に合わせてのことなのは明白。
原作小説はグレート・ギャッビーか偉大なるギャッビーかで、「華麗なる」とついたのはロバート・レッドフォード主演の映画化からだと思う。映画にはその方がいいですね。英語のグレートというのは、日本語の偉大というより使う範囲が広いみたいで、映画「シャンプー」ではかっこいい、切れ者、イケてる、といった意味で使われていたと思う。
貧しい青年が幼馴染の初恋の相手のもとに金持ちになって戻ってくる、という発端は「嵐が丘」みたいなのだが、そのあとの展開は真逆ですね。女が作った物語と男が作ったものとの違いというか。
(☆☆☆★★)
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華麗なるギャツビー@ぴあ映画生活