そのくせ渋天街の遠景に今は渋谷ヒカリエになっている東急文化会館の屋上にあったプラネタリウムらしきドームが見えていたりする。
そういう世界の造形のおもしろさの一方で、後半バケモノの世界と自在に行き来しているうちに、バケモノと人間の違いというのがいささか強引に理屈をつけているみたいで説得力が薄くなる。人間だけが心に闇を抱えているものなのかと思うし、バケモノ自体擬人化されてもいるわけだし。
心の中の剣といったセリフが映像に重ねて何度も出てくるとどうもうるさく感じられてくる。
観念的といったら「白鯨」の扱いが典型で、必ずしも白鯨はエイハブ自身の投影とばかり言えないと思うし、同じバケモノに育てられた人間として敵役みたいな立場になる一郎彦の方は白鯨については何も知らないのだから、白鯨そのものになってしまうというのはいささか飛躍がすぎる。
熊徹のキャラクターはまるで三船敏郎みたいだと思っていたら、やはり意識して造形していたらしい。刀は鞘の中に納まっていなくてはならないというのは、「椿三十郎」っぽい。
あと、同じキャラクターがフレームから外れたり物陰に隠れたりしたかと思うと別の場所に出没したりするのは、タルコフスキーが割と使った手法だけれど関係あるのだろうか。
(☆☆☆★)
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映画『バケモノの子』 - シネマトゥデイ