韓国現代史映画の怒りと熱さには毎度ながら圧倒される。
それだけ民主化前に隠蔽されたことも多いし、それを告発できる自由を全力で行使してもいるのだろう。
公安警察内部で反共という言葉を挨拶あるいは号令として繰り返し、結果として独裁と弾圧という意味ではミイラとりがミイラになった状態や、拷問が口を割らせるというより見せしめや権力の誇示に傾く腐敗そのものであることをありありと見せる。
学生を拷問死させたのを隠蔽しようとしてどんどんこじれていき、警察の下っ端に責任を押し付け、あげくさあ殺せと開き直った下っ端を当人ではなく家族を脱南者として川に沈めてやると脅して屈服させる手口の汚さは権力というものの体質を典型的に見せる。
激しい学生たちや市民デモが後半に続き、こうやって韓国は民主制をかち取ったわけだが、あまり言いたくないが日本では60年代70年代に結局ここで負けてそのままずるずると政治的にも、今では経済的にすら後退を続けている感が深い。