西部開拓史を描いているには違いないが、虚像を剥いでリアルな実像をさらけ出すといったニューシネマ的な手つきではなく、男たちが世にもあやふやなまま道を決めて、それに女たちはついていくしかないという先の見えなさがそののまま「現代」の見通しになっている。
「ファースト・カウ」もそうだったが、1:1.37のスタンダードサイズ。
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」もそうだったが、字幕で「先住民」ではなく「インディアン」と訳している。当時の言葉遣いを考えればそうなる。
ビーバーが乱獲されてほとんど絶滅したことは「ファースト・カウ」にも言及されていた。
幌馬車が崖から落ちて樽から水が漏れ、そのまま銃を向け合うクライマックスになだれ込むあたりは生死を賭けている割にどこかそれが特別なことではない感じが残る。