ラストが三通りあって、イタリア公開版、ディレクターズカット版、フランス公開版と全然違う。
イタリア公開版はベッドに横たわった猿女の遺体が黒味に囲まれてだんだん小さくなっていく、ディレクターズカット版は死後ウーゴ・トンニャッティ扮する猿女の夫が見世物小屋を開くところまで続く、フランス公開版は猿女が死なないのみならず顔中に生えていた毛が抜けてアニー・ジラルド(当然、美女)の素顔が現れるといった具合。
正直、なんべんもラストを見せられるのは生理的にきつかった。もろに終わりそうで終わらないのだから。考証的、研究としての意義があるのはわかるけれど。
多毛症の女を猿まがいの見世物にして金を稼ぐという最低な真似をしておいて途中で結婚するのにはあれと思ったし、妊娠する(その後の展開は前述の通り分かれるが)ということは性交したわけで、途中から自分が何やってるのかわからなくなってくる、良くも悪くも慣れたということか。一筋縄ではいかない。