あれ?と思ったのは、マックスみたいな恰好をしている人が出てきた時。フュリオサがマックスと出会うのはこの後の「怒りのデスロード」ではなかったっけと思い、そういえばマックスはフューリー・ロードの初めの方ではイモータン・ジョーのところで囚われの身になっていたから、ここで曖昧にいなくなるのと辻褄は合っているのだなとやっとわかった。みたいも何も、マックスその人だ。
こっちもいい加減鈍いが、役者がトム・ハーディでも、もちろんメル・ギブソンでもないから混乱したわ。
というか、フュリオサの前日譚という予備知識はあったけれど、マックスが出てくるとは実は思わなかった(これまたよく考えてみると、マックスが出てなかったらマッドマックスじゃないわ)。
Jacob TomuriがThe Dogman / Mad Maxという役名で出ている。
世界観がもろに地続きというのは、これまでのシリーズの作り方と違う。
考えてみると、シリーズ第一作は当時のジャンル映画としてのポリスアクションにプラスアルファがあるという範囲の作りで、全面的に荒廃した世界観を構築するようになったのは二作目からだ。
世界観を作るというのも善し悪しで、シリーズの他のも見てないと通じないって面がどうしても出てくる。こっちみたいな面倒くさがりには必ずしもありがたくない。
クリス・ヘムズワースが情があるのかと思うと逆に非情に振り切る役。
画面がおそろしくクリアで、IMAXで見るとザラついた埃っぽさまでが解像度高く再現していた。
横長のサイズを活かしてぐぐっとアップに寄ったり引いたり、前後左右の方向を的確にカットを割って組み合わせる、というか振り付ける手際が明快で暴力描写とは裏腹にエレガントですらある。