回転する宇宙ステーションとやはり回転する轆轤(ろくろ)とをカットバックするオープニングで、これ外宇宙の大きさと閉鎖系の内宇宙との対照を表わしているのかなと思ったら、だいたい当たった。
保存されている記憶=記録から女を再現するという筋はちょっと「ソラリス」を思わせ、他にも映画の作り手がどこまで意識してそうしたのかわからないが、地上の場面がかなり交錯するところや、無重力状態の描写など、いろいろと通じるところがちらちらと混じる。
はっきり違うのは女の立場・視点から見ることも可能になったこと。
同じ人間がずらっと並ぶ合成画面があるけれど、微妙にカメラが揺れている。固定画面にした方が手間はかからなかったろうけれど、何気に手をかけているのがわかる。
いかにも目立つスペクタクルでなしに大セットを組むというのも、贅沢な話。
伊藤英明が「悪の教典」以来のサイコパスぶりでおよそ感情移入しずらいキャラクターだが、かといって対する新木優子はアイデンティティ(自己同一性)が土台存在しないものでどちらにも入り込みにくい。
あと、このステーションの扉ってずいぶん簡単に開くのね。力まかせに開けたら開いてしまう。