舞台になっている街はどこでロケされたのだろうと思ったが、エンドタイトルを見ると神戸らしい。ところどころ横浜っぽいと思ったが、神戸「らしい」イメージにこだわらず微妙にエキゾチックな味つけをしている。
あちこちにある看板も架空の地名のようだが確認するには小さすぎる。
舞台になる学校の廊下の幅がやたらと広い。
クラスメイトに黒人がいるのだが、「日本人」と「黒人」という分類ではなく人種のるつぼのひとつ同志のニュアンス。
空音央監督がローリングタイトルの最後という特別な位置ではなく大勢の名前の並びのひとりとしてクレジットされるのは、石川慶監督ばり。
冒頭近く、黄色い車がどうやったのか鼻面を路面にこすりつけて逆立ちしているのが現代美術的な感覚。
冒頭から何度も繰り返し地震が襲うのだが、地震警報が出たり出なかったりで、政府の緊急事態宣言の口実になっていることは明らか。振動自体が広義の危機の予感のニュアンスがある。
終盤の自衛官を教室に呼ぶ措置といい、あからさますぎやしないかと思わせるが、今や現実の方がリアリティがないくらいあからさまなのだ。
監視カメラで生徒を顔認証して減点するシステムが導入された設定なのだが、カップルがいちゃいちゃしていると「不純異性交遊」とアラートが出るのが可笑しい。
意識高い系の女の子が、警察など権力者を守るだけの存在だと上滑り気味の意見を上滑り気味のまま言うのが逆にリアル。