アートとそうでないものとの区別というのは偶々というか運次第というか、かなり寓意としてはミエミエな感じでありましてね、わかりきったことをわかりきったまま描いている印象。
というか、現代美術はウォーホルのキャンベルスープの缶のようにそれ自体「作者」の存在を否定しているところがある。違うのは値段がつくかどうか、「売れる」かどうかというのは、小林聡美に言われるまでもなく事実。
綾野剛や吉岡里帆(きつめのメイクで唇にピアスをしている姿は珍しい)が嫉妬むき出しにしている姿も相対化されていて、その中で堂本剛だけがぼーっとしているのがまた一回り上から見ている感じ。