prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「風の電話」

2020年02月02日 | 映画
両親と弟を震災で失った少女が保護者になっていたおばさんが病気で倒れて意識を失ったのをきっかけに目的地が曖昧なまま旅に出るロードムービーの体裁をとる。

終始、映画的文体が揺るがない。フルショットの長回し中心で家族や大切な人を東日本大震災で失った喪失感や悲しみといったものが表に現れていなくても背後に張り付いているのを丸ごと掴んで見せる。

震災にざっくりつけられた爪痕や草ぼうぼうだったり自然に半壊していたりする風景が時に人間自身よりも雄弁に人の内心を語る。
車から流れて見える送電線が何のためにあるのか、移動先に電気の大消費地帯である東京が不可視の存在として立ち現れてくる。

放射能はもちろん画面に映らないのだが、それがかえって放射能という以上に普遍的な、東北地方に限らないこの国の病んで荒廃したさまを画にしてみせる。

終盤に出てくる壊れてコンクリートの土台だけが残った家の跡に水が溜まり草が生えている光景はタルコフスキーの「ストーカー」を思わせ、あそこの遠景にも原発が映っていたのも思い起こさせる。
それにしても「ストーカー」というのは世界の破滅が迫っている感覚をありありと描き出した先駆的な作品だったと改めて思う。

主演のモトーラ世理奈は結構芸能人としてのキャリアあるのだが、そばかす顔が素人っぽくて、しかも素人では難しいだろう誰もいない場所での激しい悲しみの表現クライマックスの長台詞をこなす。
脇のキャスティングが豪華でしかも全員に芝居の見せ場をもうけているのは細かい。

大詰めに出てきた風の電話そのものがあまりにメルヘンチックなのに驚いたが、本当にああいうのだろうか。







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