prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ドゥー・ユー・ライク・ヒッチコック?」

2009年04月13日 | 映画

通りの向こう側の女を覗く「裏窓」的趣向、「見知らぬ乗客」の交換殺人、あと人を操って人を殺させる「ダイヤルMを廻せ」、「逃走迷路」「めまい」の高所恐怖症、「サイコ」のシャワーヘッドの撮り方、ブロンドとブルネットの女の使い分け、などなど「サスペリア」の頃「イタリアのヒッチコック」と呼ばれた (?)ダリオ・アルジェントがヒッチコック的趣向を使いまくっているのだが、あまりに映画青年的にミエミエ、というより自分で解説しているのと、エロ味も露骨なので、パロディみたいに見えてくる。
血みどろシーンはそう多くないが、アングルやつなぎは相変わらず、変なところで凝りくるっている。

主人公の映画オタク青年は、ガールフレンドにやたらわがままな態度はとるわ、覗きはするわ、家宅不法侵入して追っかけられて足を折るわ、肝腎のクライマックスで何の役にもたたないわと、かなりのサイテー男。こういう奴、主人公にするかと思うくらい。
ラスト、何のつもりかスターリンの肖像なんて壁に貼っているあたり、作り手も悪意を持っているのだろうか。
(☆☆★★★)


「黒い家」

2009年04月12日 | 映画

韓国での翻案映画化版の方。
日本で森田芳光監督・大竹しのぶ主演による、才気走ってやや悪く凝りすぎた映画化に比べると、良くも悪くもオーソドックスなホラー調の作り。

大竹しのぶの大車輪の怪演に代えて、ロングヘアの美人が妙に踊るような足取りで(足が悪いからだが)迫ってくるのは「貞子」ばりで、オチのつけかたもホラーではありがちなもの。

保険会社の社員の幼児期のトラウマを強調していて人間を信じたがる分、保険サギ師相手の対応が甘く、あなたこの職業向いてないんじゃない、と思ったりする。
(☆☆☆)


「ウォッチメン」

2009年04月11日 | 映画
ヒーローが大勢いる上に、およそヒーローらしからぬ性格なのが多くて、原作読んでないとけっこう入り込むのが難しい。
画にはずいぶんこだわって作っているのだけれど、誰にくっついてストーリーをたどるのか、あるいは誰にもつかないで見るのがいいのか、よくわからない。

ニクソンが五期を勤めたという設定で、その間の時代の風物がカウンター・カルチャーも含めてごっちゃになっている。

音楽の使い方が、「サウンド・オブ・サイレンス」(卒業)、「ワルキューレ」(「地獄の黙示録」)など明らかに映画に結びついているものや、「コヤニスカッティ」など映画のサントラそのものなど、60年代から80年頃にかけての映画が音楽を通して引用されていたり、ニクソンやキッシンジャーも列席して核戦争を指揮する会議室の円形のデザインは「博士の異常な愛情」のコピーといった具合に、ポップアート的な引用の織物になっている。
(☆☆☆)


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「ザ・バンク -堕ちた巨像」

2009年04月09日 | 映画
オープニングの暗殺シーン、殺されて路面に倒れた男と駆けつけて車にひっかけられて倒れたクライブ・オーウェンが横たわる姿がほぼ左右対称になるので、これオーウェンの後の運命を暗示しているのかな、と思ったら別に関係ないのだね。ほか、思わせぶりの描写があとどういう意味なのかちゃんと説明しないで終わってしまうところが散見する。
断崖沿いの道を走る車を空撮で追って、トンネルに入って出てこないのをそのまま遠ざかっていくカメラワークなど思わせぶりが成功しているところもあるが、銀行とそれに結びついた権力集団の不気味さを思わせぶりに暗示するのか、派手めの見せ場でつないでいくのか、どっちにするか迷ったままみたいな作り。

それにしても、オーウェンが髪はぼさぼさ、無精ヒゲは伸びっぱなし、服はよれよれでネクタイもしていない、という格好で銀行みたいにやたらびしっとした格好をした連中ばかりがたむろする場所を出入りするというのはどんなものだろうか。反権力的な体質の表現なのかしれませんけど、当人だって一応役人だと思うのだが。
ロケ効果や美術館の銃撃戦は見もの。
(☆☆☆)


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「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」

2009年04月08日 | 映画

作るべき映画を作るべき人が作った。
これまで若松孝二は「シンガポール・スリング」の“戦士”の誕生や、「完全なる飼育・赤い殺意」のパレスチナ国歌が流れるラストになど、ちらちらとかつての盟友・足立正生への目配せを送っていたが、ここでひとつのオトシマエをつけたと思える。
もっとも、アラブゲリラの記録である「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」を作ったときも、共同監督で赤軍派に身を投じた足立とは違って、若松は撮影したフィルムをどこに売れば採算がとれるか計算していたというから、左翼に思想的・政治的にべったりではなく、むしろ心情的・同志的な結びつきなのだろう。

実録と銘打つだけあって、人物は実名だし冒頭のニュース・フィルムを使ったかなり長い状況説明が続き、漠然と当時について知っていたことを整理したり、「総括」で中心的な役割を果たす森恒夫がいったん運動から脱落して働いていたこと(そのため、それがコンプレックスの裏返しの攻撃的言動に出たらしいと想像される)など、重要な伏線と思える情報をピックアップできる。
コンプレックスが透けて見えるといったら、不美人の副委員長が「同志」の美人を反革命に名を借りてネチネチ糾弾し、あげくに自分で顔を殴らせてお岩さまみたいにさせるあたりの陰惨さはすさまじい。

狭いタコツボ的環境で煮詰まった中、「総括」という言葉が濫用されているうちに意味を失って浮遊し、意味がないからこそ奇妙に絶対化して疑義や反論を許さなくなりその場の「空気」が同調圧力を上げて、「異分子」を作ってはそれを潰すことでしか正当性を主張できなくなり互いに殺しあうに至る恐ろしさは、過激派内部に限らず閉鎖人間集団では普遍的に見られる現象だろう。
ムリにこじつけることはないが、近くはオウム、遡れば戦時中の日本全体をおのずと想起させ、世界的にも類似の現象がいくらもある。

クライマックスの機動隊突入シーンで包囲している当局の姿をまったくといっていいくらいほど見せず、もっぱら拡声器でのアナウンスで表現しているのは単純にそんな画を用意するだけの予算がなかったせいでもあるだろうが、あくまで籠城した赤軍たちに密着した視点を選んだからだろう。人質になった山荘の管理人の奥さんが、「革命」の意義を説かれても白けた目つきで黙っているあたり、過激派が「人民」の救済を掲げながら最もそこから遠いところに来てしまったアイロニーを痛烈に感じさせる。
「突入せよ! あさま山荘事件」の視点がもっぱら当局に密着していたのとは対照的で、これまでもっぱら当局側がコントロールしていた情報しかつかまされてこなかった中、単なるアンチテーゼという以上の正当な異議申し立てになっている。

小林正樹監督があさま山荘事件を赤軍派の学生の親の視点から描いた「食卓のない家」を作った時は、鉄球で山荘を壊している実写映像を使うのも大変だったらしい。あさま山荘の攻防の映像は、有名な割りに実は案外「封印」されていたみたい。

今では当時の文章で知るしかないが、五木寛之が総括された惨死体を当局があるのを知っていながら初めて見つけたような顔をして徐々に見せていって世論を反過激派に誘導していったのではないかと発言している。こういう世論が「作られる」ものだという考えは今では常識に近いが、そのさきがけになるような発言だろう。
(☆☆☆★★★)


「ウォンテッド」

2009年04月07日 | 映画
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主人公が動体視力を鍛えるのに、機を織る機械で横糸を通す抒(ひ)がすごい勢いで行き来するのを見てすばやく手をつかむ、というあたり、なんだか中島敦の「名人伝」で描かれた中国の弓の名人が瞬きをしない修行で機織機にもぐりこんで目の前を機械が行き来するのを瞬きしないで睨み付けた、というくだりを思わせる荒唐無稽テイスト。

全編そんな調子で、弾丸がカーブしたり、射殺された瞬間から時間を逆戻りして弾丸の軌跡をたどり発射した人間まで案内するといった画面の発想の大胆さを楽しむ。音響効果も絶好調。

イケてない生活にうんざりしているサラリーマンが突然「選ばれた者」だったことがわかり、美女に鍛えられてみるみる特殊能力を発揮するというオタクの妄想みたいな話だけれど、「マトリックス」みたいに変な理屈をつけないのは助かる。
イルナミティなんて出てくるもので、ユダヤ陰謀論につきあわされるのではなかろうなと恐れをなしたけれど、幸いただの歴史ある暗殺集団というだけの設定にとどまって、あまり深入りしないのはいい。

もっぱらアンジェリーナ・ジョリーで売っていたけれど、配役序列でいうと最初ではなく最後に出てくるいわゆる「トメ」で、主役はジェームズ・マカヴォイの方。ただし鍛えられてもあまりヒーロー然とはしていなくて、女王さまに仕えている感じ。
(☆☆☆★★)


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ウォンテッド@映画生活

「ジェネラル・ルージュの凱旋」

2009年04月06日 | 映画
阿部寛が登場する前に竹内結子が悪寒を感じるというあたり、ほとんど怪獣扱いで、出てくるタイミングも怪獣映画の怪獣みたいに思えてきた。第一作だと登場がいささか遅くて竹内とのコンビとして十分機能しないまま話だけとんとん進んでいってしまったが、今回はお膳立てが十分整ってちょうどいいあたりでぬっと出てくるのも、成功した怪獣映画の続編ものみたい。

ストーリーの要になるジェネラル・ルージュと異名をとる救急外科部長役の堺雅人が、傲慢さと有能さをないまぜて怪しいようなそうでもないような役をよくこなした。ほか、かなり多彩なキャストがそれぞれ見せ場をもらっているし、クライマックスの大事故救命シーンでは映画らしいスケール感も出た。

これ伏線だろうなと思うところがみんなきちんと後で拾われて、それほどの意外性はないが目が詰まった作り。
(☆☆☆★★)



「ワルキューレ」

2009年04月05日 | 映画
ヒトラーを殺せばいい、という単細胞的行動主義から踏み出して、そのあとどうするのかというフォローの方がむしろ重要で、爆破そのものは成功したあとのヒトラーが死んだのかどうか正確な情報が出回るまでに次の手を打たなくてはいけない時間との追っかけがスリリング、史実からして結末がとうぜんわかっていても飽きさせない。

情報の流通のかなめである逓信部で、飛び込んできたとんでもないニュースにタイピストの女性たちがひきつったようにおずおずと手を挙げるあたりや、どちらにつくか決断する部長と部下の軍曹のやりとりなどの見せ場が散りばめられていて、直接作戦と関係ない連中がいやでも巻き込まれるサスペンスになっているのも面白い。情報が目に見える形でやりとりされていた時代ならでは。

ナチスの制服や飛行機などのデザインとともに、主にブルーを基調にした中にハーケンクロイツの旗が赤くずらっと並んでいるあたり、画面のカラーデザインもよくできている。

トム・クルーズも身体障害者になった姿で思い切りよく好演していて、それぞれナチスに反発する軍人たちが史実だとプロシャ貴族出身が多かったらしいという格式を感じさせるキャスティングなのもいい。
(☆☆☆★★)


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「釣りキチ三平」

2009年04月04日 | 映画
うーん、ドラマらしいドラマっていうと東京に行って自活している姉が帰ってきて、村に残って釣り三昧の弟の三平とその祖父との葛藤を起こすのがメインなのだけれど、いくら東京の生活が長いといっても中学まで村にいた人が山の歩き方をまるで知らないとかわざわざi-podをつけて歩くなんてことあるのか?そのくせ、紫外線対策にはあまり気を使っているようすがない。

山河のロケーションはとても魅力だけれど、魚のCGはどうしても作りものくさくて水と油気味。宣伝の上でもCGを前面に出したのが良かったのかどうか。山河の映像もどの程度CGで手を加えているのだろう、と余計なことを考えてしまう。
(☆☆☆)


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「アミスタッド」

2009年04月03日 | 映画

本来、ドラマの中核にいるはずの黒人奴隷たちが「荷物」扱いされ、その「所有権」を巡る裁判でさまざまな立場の人物たちが争うのだが、最終的に奴隷が一応人間扱いに脱皮するにせよ、そうなるのはもっぱら他力本願なので、どこか核心を避けて周囲をぐるぐる回っている印象は免れない。

主にマシュー・マコノヒーの勝つのが第一で思想的なバックボーンはない弁護士が、奴隷に対する同情論ではなく国の成り立ちに関わる抽象度の高い議論として弁論を組み立てるようになっていくドラマに、法が国の根幹になっているアメリカのありかたを見る勉強にはなる。

積極的な行動のとりようがない中、忍耐し続けること自体が強い訴えになっている辛抱役のジャイモン・ハンスゥはこれが映画デビューだったと思うが、アフリカのベナン共和国出身ということもあって、白人の血が混ざっているアメリカ黒人とは顔つきや体型がかなり違う気がして、存在自体がひとつの重しになっている。
ライオンを倒した男、という設定なのだが、出身のシアラレオネという国名自体、語源はポルトガル語で「ライオンの山」という意味だそうで、同じハンスゥ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」の舞台になっている。昔は奴隷狩りの舞台、今は内戦の舞台と、何ともやりきれない。
(☆☆☆★)


「マンマ・ミーア!」

2009年04月02日 | 映画
舞台ならともかく、風光明媚なギリシャの海と空の下だと本来若い出演者の方が映えるはずなのだが、中年の出演者たちに比べて出番がずいぶん少ない。ふつうだったら一番遊んでいそうな花婿周辺の描き込みがひどく手薄で、中年組の回春劇に座を追われているみたい。明るいのはいいけれど、ちょっと騒々しい感じもする。
メリル・ストリープが若いころ、荻昌弘が「ばばあお嬢みたい」と形容していたが、年くってもそんな感じ。

三人の父親候補のうち誰が本当の父親なのかといった話が、今だとDNA鑑定で決められるせいか、あまり綾がなく簡単にギャラの順(?)に決まってしまう。

ミュージカル演出とすると、もとからある歌に振り付けをくっつけたせいか、内から感情が盛り上がって歌や踊りになる自発性に乏しい感じ。MTV風でないのはいいけれど。
(☆☆☆)


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「潜水服は蝶の夢を見る」

2009年04月01日 | 映画

ほとんどまったく身体の機能がマヒしている人間が針の穴ほどの意思表示の方法を通して外部との接触を切望する話として、戦争で四肢を切断され顔面もほとんど吹き飛ばされた男を主人公にした映画「ジョニーは戦場に行った」をちょっと思い出したが、あれでは主人公がモールス信号を知っているという設定だったからもう少し能率がいい。
こちらは使う頻度順に並べたアルファベットを順に読んでいって、それといいたい文字のところで瞬きして確定するというおそろしく能率の悪いやり方で、特に前半は片目しか見えず口もきけない男の主観にカメラが密着して朦朧とした画像に主人公に話しかける人物のバランスの悪いアップがえんえんと続いて、これ最後まで見通せるか不安になった。

それが良くも悪くもさほど苦労せずに最後まで見通せるのは、小出しに外部と意思の疎通ができていくのにつれてカメラが客観的な視点をとりだし、過去の回想が入って自由にふるまう主人公の姿を見せるようになる、といった具合にカメラワークも自由になっていき風通しをよくする構成の工夫があるから。
DVDの5.1chだと前半、主人公の声が後方のスピーカーから聞こえてくるのだが、後半はセンタースピーカーから聞こえるようになるというのも、意識のポイントが内部にとどまっているのから客体化されていく表れだろう。
ただし、完全に想像の産物であるイメージ・ショットの造形はいささか凡庸だし、飽きさせないように工夫している分、表現の突きつめ方が甘くなっている。

昔、映画評論家の金坂健二が、「ジョニーは戦場に行った」を、“意識の流れ”の技法を駆使した原作のように主人公の主観に即して真っ暗な画面にきれぎれに意識の断片が呟かれるような、映画が映画であることをやめるような映画になるべきだった、そうならなかったのは、と原作者でもある監督・脚本のダルトン・トランボが「ハリウッドの飯を食いすぎた」からだと評したことがあるが、これもそういう口当たりのよさを意識した形跡がある。
(☆☆☆★)