チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

秋の山椒の新芽

2013年09月10日 06時02分42秒 | 日々のこと

晴れ,27度、87%

 日本から山椒の小さな苗木を持ち帰ったのは,昨年の春のことでした。根がついた物,土が付いた物は、香港に持ち込み禁止のはずです。こっそりとトランクに忍ばせて持って帰りました。山椒の苗木を持ち込んだのは、これで2回目です。水やりや日のあたり具合に気難しい山椒です。前の物はデパートの地下の野菜売り場で買いました。今度の物は,植木屋さんで40センチほどに成長した苗木です。期待は大きく膨らみます。

 去年は,そこそこに葉を付けましたが、秋口からは真っ裸の山椒です。それでも年を越して,2月の下旬には,枝の至る所に小さなこぶのような芽が付きました。見ていると,日増しに大きくなるような気すらします。ところが,春先に開いた新芽は。たったの10枚ほど、それっきり、またしても丸裸の山椒になりました。こぶのような芽は先がやや緑がかって,まだたくさん付いたままです。枯れてしまったのではないと信じて,夏の間,水遣りを欠かしませんでした。すると,8月の終わりごろから、 小さな芽が開き始めました。春先よりもずっとたくさんの新芽です。小学生の頃は大嫌いだった,観察、らしきものを毎日飽きもせず続けます。

 山椒の香りは,ちょっと贅沢な和食のイメージです。でも,その香りがあるのとないとでは、主になる食べ物の格まで違って思えてきます。ゆっくり葉が大きくなるまで待ちました。

 湯葉をたっぷりと炊いたので,秋の新物の木の芽を載せました。 山椒やシソ、ハーブを身近で育てていると、おかずの彩り,新鮮な香りに恵まれます。

 でも,どうして秋になって芽吹いたのでしょうかね?

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常夜灯

2013年09月09日 06時05分06秒 | 身の回りのもの

晴れ,26度、86%

 狭い我が家の短い廊下の壁の両脇に,小さな常夜灯がついています。小さな子供がいるわけでもありませんので,ほとんど使っていません。先日、掃除の時にまじまじと眺めると、意外に手の込んだ作りをしています。壁のスイッチを入れると,鎖を引いて明るさの調整が出来ます。

 一番明るいとき、 そんなに変わりませんが次に明るいとき、 この2つどこが違うかといえば、 この周りの豆電球が点いているかいないかです。10数年この家に住んでいますが,このネックレスのような豆電球だけが点くことを知りませんでした。うまく写真に撮れませんでしたが,真ん中の磨りガラスには木々に留る鳥たちが彫られています。

 まだ息子がいた頃の家には,ネオンが壁に埋め込まれていました。チカチカと点くネオンです。7色の虹の絵柄で,リビングのちょうど食卓の横の壁にありました。これも,人様がみえた時にしか付けなかったと思います。その同じ家は,洗面所の蛇口がセンサーで流れる自動の物でした。25年前の香港、自動センサー付きの蛇口は公共のトイレでもありませんでした。小学生だった息子の友達が遊びに来ると,列を作って手を洗うほど珍しかったのです。おかげですぐに壊れたので,水道屋さんに同じ型の物を頼んだところ、香港中そんな物ひとつもないと返事が来ました。一体どうして自動センサー付きの蛇口が我が家にあったのか、未だに不思議です。香港の家は、どうもこんな茶目っ気のある作りをしています。かと思うと,小さな家にもシャンデリアがあるのです。いままで,香港で住んだどの家もシャンデリアが付いていました。当初は嫌だったのですが,今では何ともなく使っています。神経麻痺です。最近は,どの家も無駄のないすっきりしたデザインに変わって来ています。

 我が家の常夜灯,使ってくれる人が一人だけいます。タイ人のお手伝いさんです。私たち夫婦揃って帰りが遅くなる時に,モモさんの散歩や夕飯をやってもらい、暗くなるまでいてもらうことがあります。私たちの帰宅前に我が家を出るお手伝いさんは,モモさんを暗い中に一人で残すのはかわいいそうと、この常夜灯を点けて帰ります。

 常夜灯の点いた家に帰ると,モモさんばかりか私たちもホッと和みます。

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朱肉

2013年09月08日 06時08分29秒 | 身の回りのもの

晴れ,26度、80%

 自分の名前を雪輪模様の中に篆書で彫った小さなツゲのはんこを作ってもらったのは、3ヶ月ほど前のことでした。苗字ではありません,名前を彫ってもらいました。小さいはんこですから,篆書で書いた私の名前など判別付きかねます。それでも嬉しいので,本の裏に蔵書印みたいにポンポン捺します。手紙の封筒にもポンポン。そしたら,主人が今度は猫の後ろ姿のはんこを日本から買って来てくれました。

 香港に来て以来,はんこを捺すのは、お月謝袋に領収の判を捺すときだけでした。朱肉は日本いる時から使っていた、ケースに入ったスポンジのような朱肉です。30年ほど一度も補充していませんが,まだしっかり使えます。普通,はんこを捺した物は、人様の手に渡ります。役所に提出したり、銀行の窓口で渡したり、つまり手元には残りません。

 本の裏に捺した名前のはんこを見ていると、何となく気になることがありました。朱肉の色です。深みのない朱色,今まで気にならなかった朱肉の色が気になり始めます。朱肉はもともとは中國伝来の物です。筆や墨を売っている専門店に行けば朱肉があるとは解っているのですが,時間がないまま、先日文房具屋で見つけたのが,朱泥。スポンジタイプの朱肉ばかりの中に、ポツンと上海製造の小さな缶がありました。中を確かめたくても,セロテープで封がしてあります。家に帰り開けてみると,昔ながらの朱肉でした。

 まだ朱肉が作られる前は,泥を使って判を捺していたと聞いたことがあります。きっとその名残で,朱泥と呼んでいるのでしょう。スポンジタイプの物と捺し比べてみました。 色の違いが解るでしょうか? 朱泥の方が,深みがある赤です。朱色というから、黄色がかった赤なのでしょうが,私は朱泥の赤の方がしっくりと感じます。朱泥は,赤い色素に松脂やヨモギ,和紙を塗固めた物だそうです。そういえば,昔の朱肉は独特な匂いがありました。松脂やヨモギの混ざった匂いだったのかも知れません。

 この朱泥,とってもお安い物です。書道具専門の店に足を運んで,また違った朱色に出会いたいと思っています。

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ムーランアレギューム

2013年09月07日 06時07分22秒 | 身の回りのもの

曇り,25度、91%

 ムーランアレギュームなんて,長ったらしい名前がついていますが,単に裏ごしの道具です。まだ日本にいた頃ですから,30年近く前、このムーランを探していました。今のように,インターネットなんてありません。東京合羽橋に行くと,ムーランあるにはありますが,業務用で大きいこと大きいこと。

 香港に引っ越してくるとき,我が家は,大半の台所道具を持ち込みました。電化製品ですら,アイロンやミシンを持って来たほどです。もちろん,こんなに長く香港にいるとは,あの時はユメユメ思っていませんでした。香港にくれば、中華の台所道具は揃えようと意気込む私でした。香港のローカルのデパートにウィンオンという老舗があります。このウィンオンの台所用品売り場は,30年ほど前から今に至まで、なかなかの品揃えです。日本製はもちろん世界各国の台所用品があります。当時はまだ,日系の大丸デパートがありましたから,日本人の人はこのウィンオンの品揃えをご存知ありませんでした。何分にも,大丸などに比べると見劣りのする店構えです。

 そのウィンオンで見つけたのが,イタリア製のムーラン。フランス製でなくてもかまいません。即座に買ったところを見ると,そんなに高い物ではなかったはずです。 ムーランは柄が付いた裏ごしの道具です。好きな大きさの目のふるいをセットして,柄をぐるぐると回すと, その名のように野菜の裏ごしが出来上がります。私はバーミックスもフードプロセッサーも持っていますが,バーミックスとの相性は悪く,壁や床にまでまき散らします。フードプロセッサーは,あの鋭い刃の後始末が億劫です。人間の手回しですから,あっという間には出来ません。それでも,好みの裏ごしが日本の裏ごしなんかよりずっと手軽に作れます。カボチャの蒸した物を裏ごししています。皮も一緒に裏ごししても,下に落ちずに固まってとることが出来ます。後始末もいたって簡単。

 小豆の晒あんを作る時も使います。きんとんをしぼる時にも使います。カボチャは中くらいの目で漉すと,少しざらっと口に当たります。ミルクで溶いて軽く塩こしょう、 さっぱりしたカボチャのスープです。

 このムーラン,今ではネットショップでも買うことができます。フランスのマトファーの物はデザインも素敵です。台所仕事を楽に楽しくする,私の永年の相棒です。

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雨上がりの朝散歩

2013年09月06日 06時02分33秒 | 日々のこと

曇り,23度、98%

 夜半過ぎからの雨が,目覚めた時も降り続いていました。

 いつもは、朝一番,起きたら直ぐに、陽が上る前の街をモモさんと散歩に出かけます。車も人もほとんど通っていない道をテクテク,不思議なもので、そんな早朝でも犬の散歩をさせている人がいます。皆さん永年の顔なじみばかりです。

 雨が少々降っていようが,勇んで散歩に行くモモさんですが、私ときたら暗い雨の中を散歩に出るのは,気が引けてしまいます。そこで,起きて服も着替えて,雨が上がったら外に飛び出せるように整えて,窓の外を眺めています。

 空が白み始める頃、雨が小降になりました。空はまだ厚い雲が覆っています。トイレを我慢しているモモさんがかわいそうです。さあ出かけましょうか。

 朝の散歩は夕方の散歩と違って,用だけを足せば帰ってきます。それでも、3コースある中からモモさんのその日の気分で,2,30分テクテクとします。モモさんとの散歩の後、私は走りに出かけますから、あまりゆっくり時間をかけてあげれません。

 朝は決まって、家から西向きに向かいます。途中から下の道に下りて,ひと回り。涼しくなって,自分の体力に余力があると解るのか,モモさんこのところ、下の道に下りずに,まだまだ西に向かって行きたがります。暗いし,遠くまで行くと走りに出る時間が遅くなります。それで,いつか連れて行くからね、とモモさんをグイッと引っ張るわけです。

 陽が上ると,私は走りには行きません。小雨が残る中を,西に西にテクテク。モモさんは,私がいつもと違ってのんびりしてることを感じているのでしょうか。普段下に下りる道には目もくれず,ひたすら西を目指します。行きたいところは解っています。道沿いから,少し香港島のピークに向かって上がった,ポッシャンロードです。車も通りません。犬たちもたくさんやって来ます。我が家の近くで唯一、リーシュを放すことが出来る場所です。

 リーシュを私が持っていなくても,決して私の側から離れません。私がどこにいるか解らなくなると、じっと動かずに固まっています。モモさん目がよくありませんからね。

 少し山向きに上がるだけで,ひんやりと雨上がりの土の匂いまで立ち上ってきます。木々の間から見える空は,また雨が降り出しそうな気配です。お友達にも会ったし,そろそろお家に帰りましょう。来る時は静かだった道沿いに,スクールバスを待つ子供たちが三々五々と群れています。眠たそうな子もいれば,朝からテンションの高い子もいます。これから2時間あまりが,この道の一番のラッシュ時です。

 家に着いて台所でお茶を入れていると,また大粒の雨が降ってきました。家を出て1時間15分。ゆっくりとしたモモさんとの朝の散歩です。

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太古(タイクウ) 香港

2013年09月05日 04時40分00秒 | 香港

雨、24度、100%

 香港島の北を走る地下鉄の東の方に,太古という駅があります。観光でみえる人は、ほとんどトンローワンまでしか行きませんので,時には観光地図にも載っていないところです。この太古の駅で地下鉄を降りると、南側の山手にはイオン,北側の海向きにはアピタがあります。海向きには太古城というマンション群、山向きにはコーンヒルというこれまたマンション群が建っています。2つの日系のスーパーがあるこの地域は,一時は一番日本人が多く住んでいました。日本人が多く住む地域も,時とともに変わって行きます。それでも,便利の良さからこの太古,今でも日本人がたくさん住んでいます。日系の幼稚園までありますから,若いお母さんが昼過ぎに子供の手を取って、買い物をしている姿を目にします。

 昨年辞めた私の家庭教師の仕事は,この香港島ではなく海の向こう九龍サイドから初まりました。一日3軒ほどの家を廻ります。仕事を初めて3年目の頃でしたか、香港島の方から仕事の依頼がありました。お受けしたのはいいものの,教えに行く家から家への移動が大変でした。私の住んでいるのは香港島です。九龍サイドから仕事を始めます。香港島の次の家に行くために,夕方の人の渦のようなモンコクの街を地下鉄の駅へと急ぎます。若かったので,あの時期を乗り越えたと思っています。そのうち,仕事場は全部香港島になりました。

 一番教えた子供が多かったのが太古城です。 30階近いマンションが、はて?何棟建っているでしょう。海際に建ち、海の向こうは,昔の啓徳空港で,飛行機の煩雑な離着陸が見えていました。

 一歩太古城を出ると,その西も東も香港のローカルの街でした。太古城が開発された時は,香港の普通の街にニュッと出来た近代都市のようではなかったでしょうか。今では,西には  オフィスビル群が建ち,太古の地下鉄の隣の駅を,多くの外人を含む勤め人が朝夕利用しています。太古城の海際は埋立てられて,公園に変わりました。その公園が東の方まで伸びて,やはり埋立てた土地に新しいマンション群が出来ています。

 太古城に住んでいた方が一番驚かれるのは,きっとあの好運市場が無くなってしまったことだと思います。駅のすぐ横にあった好運市場は、シャレたホテルになりました。 左手前で建物です。香港はホテルが次々に建てられています。それでも,まだ足りないそうです。きれいな生きたエビが売られていた好運市場は,跡形もありません。

 今でも,日系のスーパーに行くために太古にはよく行きます。変わって行く街ですが,変わらないものがあります。街の匂いです。朝晩仕事に通ったこの街は,私の住む街と違う匂いがしました。今も,車から降りるとそのにおいを胸いっぱい吸い込みます。

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封筒のシーリング

2013年09月04日 06時10分36秒 | 日々のこと

曇り,26度、91%

 手紙を書いた後,封筒に入れて蓋をします。蓋の縁の糊だけで封をしますか?

 可愛いシールを使って,封をした手紙をいただくことがあります。そのシールも様々,送ってくださる人の人柄まで表しているようで,シールの部分から手紙を開けるのは出来ません。私が好きなパグのシールで封をしてくれる人もいます。でも,やはり最近は手紙をいただくことが少なくなりました。

 手紙を書くのが好きな私に,主人はいろいろな手紙周りの物を買って来てくれます。便箋、封筒にハガキはもちろんのこと、シールも選んで来てくれます。ところがシールで,手紙の封をするのはどうも私らしくありません。この私らしさの基準は,自分にしか解らないことですが,どんな素敵なシールでも,私の書く手紙にはしっくりとこないのです。ですから,いつも普通に〆としか書きません。洋封筒の場合は,何も書かずに閉めます。

 主人が買って来てくれたロウを使ってシーリングするセットがあります。 イギリスの物です。これが,イギリスからの土産だったか,日本から買って来てくれたのかすっかり忘れるほど,昔の土産です。

 ロウを 封筒の上にタラーッと垂らします。この量加減が難しいのですが、タラーッと垂らすのが,なんとも楽しい。そこに、 こういう私のイニシャルがはいいたものを,ブチュッと押し付けます。 これでシーリングの出来上がり。

 古いイギリス映画で,アンソニーホプキンスが暖炉の火でロウを溶かして,シーリングするシーンがありました。いかにも手慣れたといった一コマでした。なぜか,ロウを垂らしている間,あのシーンが頭をよぎります。自分ではシミュレーションのつもりですが,やはりうまくロウが落ちてくれません。

 このロウのシーリング滅多に使いません。和封筒にはもちろん使いません。このロウの代えが手に入らないかもしてないと,恐れていたからです。今ではちょっとした日本の文具屋さんには,スペアが売っています。色も赤ばかりではありません。でも,この赤はインパクトがある赤です。

 私の頭文字は,M。逆さまに押したらWになってしまいます。ロウが乾く前に,上下を確かめて,ブチュ。この瞬間もまた楽しい。

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かすみ草

2013年09月03日 06時06分04秒 | 

曇り,24度、97%

 白のバラがいいかな?いや,白のあじさいがいいかな?何となく迷いながらも,帰り道には、あじさいかバラの大きな束を抱えているだろうと、秋空のした花市に向かいました。

 いつもよりちょっと早い時間です。道にはトラックが止まって,花の入った箱が次々に下ろされて行きます。普通は,どこのお店と決まっている私ですが,花市ばかりは、その日の花の顔を見てお店を選びます。荷下ろされたばかり花でも,黄みがかったピンク、白みがかったピンクと微妙に違います。まずは,花市を隈無く一巡。

 香港の花市は,昔からの老舗が3、4軒あります。そのひとつは,アレンジから庭木までを扱う店,もう一つは,最近,日本やオランダからの最先端の花やテラリウムを入れている店があります。不思議なもので勢いのある店は、花まで元気にみえてきます。

 トラックから下ろされた花は,箱にはいっていますからここで荷を解かれます。ぐるっとひと回りした私の目の前で,ポンと取り出された大きな花束,かすみ草です。小さい花が,細い茎にみっしりと付いた何気ない花です。 香りもありません。

 まだこんなにフラワーアレンジなんて流行る前、日本でバラなどを数本買うと花屋さんが必ずと言っていいほど1、2本のかすみ草を花の間に忍ばせてくれていました。いつも,タダで頂けるかすみ草,そんなに気にも留めませんでした。ところがここ香港、花を買っても付いてくるのは黄色いキク科のボワッとした花です。そのうえ,かすみ草なんてどこの花屋にもありません。今まで,たった一度だけ黄ばんだかすみ草を見たことがありました。

 真っ白なかすみ草が,6本。白いバラも,白いあじさいもどこかに吹っ飛んで,買い求めたのはかすみ草です。ついでに横に荷に下ろされた白のトルコキキョウも買いました。びっくりしたのは、かすみ草の方がお値段が高いことです。すっかり満足していたので,どこの産地か聞忘れましたが,きっと中國の昆明からだと思います。

 白のトルコキキョウと白のかすみ草を合わせるつもりはありません。かすみ草をギュッとかためて生けてみたかったのです。

 家に戻り早速,硝子の花瓶に、 この花瓶に一束生けるつもりでしたのに、これだけ入れてもまだまだ,花があります。細い茎が横に張り,たった6本なのに3つの花器に入れることになりました。

 白い花だけを扱っている花屋さんが,東京にありました。今もあるかしら?青山通りの裏手、フロムファーストビルの1階にありました。お店の方の潔さにも感じ入ったのですが,白の花だけでどうしてあんなに華やかなのかと思う位に,素敵な花屋でした。

 今、我が家は,4カ所に白い花が咲いてます。 かすみ草、遠くから見れば霞んでいますが,ひとつひとつが可愛い形です。

 

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マッチ売りの少女

2013年09月02日 06時11分56秒 | 

晴れ、25度、86%

 この二月ほど、時折「マッチ売りの少女」のことを考えます。アンデルセンのあの時代19世紀初めのデンマーク、マッチを売って歩く仕事があったのかしら?とか、もし貴重品のマッチならどうして貧しい子供が持っていたのだろうかな?などと、他人から見たら何でもないようなことが頭の中を廻ります。

  2004年のアンデルセンの生誕200年を記念にペンギンブックより出版された、アンデルセンの童話ばかりを集めた本です。「マッチ売りの少女」の英語の題名は,[THE LITTLE MACH GIRL]です。デンマーク語の題名には,みすぼらしいと言うような意味のような形容詞が付くそうです。この題名を見て,あれ?と思いました。マッチを売る女の子ではないのです。日本の題名に縛られて考えていたばかりに,私は、「マッチを売る」という部分に何か意味を探していたようです。

 確かにこの女の子は,家々の戸口にマッチを売りに歩いていたわけではありません。雪の舞う人通りの多い道を,小さい手に持ったマッチを大きな大人に向かって,差し出していたのだと思います。「マッチはいかかですか?」と。この女の子は,マッチを売るのではなく,物乞いをしているのです。マッチでなくても,いいわけですが,このマッチがこのお話の展開には必要不可欠なわけです。マッチを擦って暖をとる少女に,火が灯る度にこの子の憧れの七面鳥やクリスマスツリーを連れて来てくれます。

 世界のあちこちで見た物乞いの子供たち,真っ黒な手をそのまま差し出してくる子、缶や箱を差し出してくる子、そして,今にも萎れそうな花や必要もない風船を差し出してくる子もいました。マッチ売りの少女のマッチは,萎れそうな花や風船と同じ意味を持ったものだと気が付いたのは,ほんの先日のことです。

 この本の注釈に,この話はアンデルセンの実の母の貧しかった幼少期の話が、下敷きだと書かれています。そして,話の最後にマッチの明かりとともに祖母が迎えにくるのは,アンデルセンを可愛がった祖母への思いが込められているとも書かれています。

 本のページにして,2ページ半のこの話,アンデルセンは1845年11月18日に、一日にして書き上げあたといわれています。母の話、祖母への思いがあったにしても、一日で話を書き上げるその原動になったものが,何かアンデルセンにあったのではないでしょうか。例えば,その頃、実際に貧しい少女が雪の朝行き倒れていた、ということがあったのかもしれません。

 小さい時読んだ絵本は、ただかわいそうなお話でした。その話を,50も越してまた読み直してみると,アンデルセンの社会批判が、こうした童話の向こうに見えてきます。

 切り絵が得意だったアンデルセンが,マッチ売りの少女のために作った切り絵です。 見出し写真は,2004年に私が刺したデンマークのクロスステッチのアンデルセンの主人公の一部です。

 

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テレビのない夕方

2013年09月01日 04時51分22秒 | 日々のこと

曇り、23度、86%

 モモさんとの夕方の散歩は、モモさんの行きたいところにテクテクと歩きます。涼しい季節は、遠くまでもお散歩しますが、夏の間はガハガハ遠くには無理です。でも、やはりお外は大好き。暑い時は散歩の途中で、 このように休み休み散歩をします。モモさん、風が抜けるところ、地面が冷たいところをよくご存知です。散歩を終えて家に帰ると、モモさんは、夕飯です。私はいつも帰るなりテレビにスイッチを入れ、夕飯の支度を始めます。NHK ワールドの英語のニュース、広東語のローカルニュース、英語のローカルニュースを1時間半見るとテレビを切るのが毎日です。

 ほんの少しですが、香港も気温が低くなりました。日の沈むのも少し早くなりました。

 先日、散歩から帰宅して、珍しくテレビのスイッチを入れない日がありました。まだ、電気を付けるほど暗くもありません。主人は出張中、せかされるように夕飯の準備をする必要もありません。だんだんと、暮れて行く部屋の中で音も明かりもない時間を過ごしました。外から聞こえてくる音もほとんどありません。とはいっても都会の中の生活です。静寂とは言いがたいのですが、いつものテレビの音がないだけで、静けさが胸の中までで染み渡って行きます。

 子供が小さい頃は、台所でその日あったことなど話しながら、にぎやかな夕方でした。子供が家を離れてからは、ずっと、この夕方は私の仕事の時間でした。

 静かな、音のない夕方の時間、こんな時間を大切に思えるのは、慌ただしいかった時間を経験してからだと思います。

 毎日毎日静かな時間を作るのは、まだ無理ですが、テレビの音がない時間は、私の中に大きな空間を作ってくれました。

 

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