両国の江戸東京博物館で表記の展覧会が開催されている。先日、みて来た。江戸っていいな、こんな時代に住みたかった、と思わせてくれる展示品がずらりと並んでいた。ちらし絵の大版錦絵三枚続”東都両国ばし夏風景”(橋本貞秀)は、まさに、この展覧会を象徴するような絵で、花火見物で、両国橋の立錐の余地もないほどの人々の群れ、隅田川の舟遊びと、江戸の賑わいが伝わってきて、わくわくするような絵だ。この絵は、”龍馬伝”のタイトルバックにも使われているというので、前回、気をつけてみていたら、たしかにあった(汗)。
浮世絵、屏風、絵巻等、159点の作品が展示されているが、その8割は江戸博が蒐集したもだそうだ。隅田川といえば、舟遊び。屋形船や小舟に乗って、花火見物もあれば、きれいなお姉さんと一緒に遊んだり、お酒を飲んだりと、いろいろ楽しんでいる。当時は、日本橋から日本橋川を舟で渡り、隅田川に入り、そこから川上りするのが舟遊びの定番だったらしい。お金持ちは、さらに吉原の遊郭にも足を延ばす。ああ、うらやましい(汗)。そんな舟遊びの絵がいっぱいあって、そうゆう絵が、一番、印象に残っている。
みんな、楽しそうに絵をながめている。小舟に乗っている人がうらやましそうに、豪華な屋形船の方をみてるな、とか、舟の上に乗っている人は、舟方さんかね、とか、いちゃいちゃしているね、とか、女ばかりの舟遊びもあるんだね、いや、あとから男が来るんだよとか、慶応の池田弥三郎さんが生きていれば、いろいろ解説してもらえるんだがねとか(関係者だろうか)、話声が聞こえてくる。”江戸の人はいいね、遊んでばかりいて、あんたも江戸に生まれたかったでしょう”と奥さんに云われ、旦那がにっこり、こっくりした。ぼくもにっこり、こっくりした(爆)。
両国花火之図(歌川豊国)。両国橋の観客は女性が多い。一人ひとりの表情が楽しそうに描かれている。
回向院を背景に両国橋を渡る力士たち。見物人の好奇心の目や嬉しそうな表情が面白い。この当時、力士は大小の刀を差している。(国貞作)
これも花火見物の図(国貞作)
展示構成は、プロローグ 古典から現世へ、第1章 舟遊びの隅田川、第2章 隅田川を眺める、 第3章 隅田川の風物詩、エピローグ 近代への連続と非連続、となっている。
プロローグでは、隅田川のほとりで亡くなった梅若の悲しい伝説(梅若塚)、浅草寺の本尊聖観音像が三人の漁師に拾われた縁起(三社祭の起源)などを題材とした作品が展示されている。下図は、”宮戸川三社の由来”(国貞作)であるが、漁師を娘に変えて描いている。観音様から光が放たれている。
第1章 では、隅田川舟遊び(鳥文斎栄之)が。きれいに着飾った女性ばかりが乗っている。北斎の”絵本隅田川一覧”、吉原通い図巻(鳥文斎栄之)、六曲一双の隅田川屏風(筆者不詳)等が印象に残った。
第二章では、広やかな景色、隅田川界隈の名所、橋をめぐる光景の三つのグループに分けて展示されている。ここでは広重が多く登場し、名所江戸百景の大はしたけの夕立など、また北斎の富嶽三十六景の内ふたつ、春信の風流江戸八景・両国橋夕照、その他、大相撲風景、料亭風景、中洲風景(当時は、三ツ俣と呼ばれた中洲があった)など楽しめる。
第三章では、春夏秋冬の風物詩ということで、春は花見、夏は花火、秋はなくて(笑)、冬は雪の風景が描かれている。ここの夏景色が、前述のように、一番印象に残ったところだ。今でも両国の花火大会といえば、浅草サンバ(汗)、三社祭と並ぶ、大賑わいのおまつりだ。
そしてエピローグ、 江戸幕府が終りを告げるが、明治、大正、昭和と隅田川は描き続けられる。大正時代には新版画も生まれる。ぼくの好きな、川瀬巴水の清洲橋が最後を飾ってくれた。
江戸がますます好きになった、楽しい展覧会だった。