平塚市美術館で”堀文子展”が昨日から始まり、初日に行ってきた。平塚駅前の蕎麦屋さんで大ザルをいただき、雨が降っていたのでバスをつかった。午後1時頃だっただろうか、展示室に入り、すぐに、うしろから、5,6名のグループが。そして、あっと驚いた。な、ななんと、その中に、作者の堀文子さんがおられるではないか。写真で知っているのですぐ分かった。もうたしか、92,3歳のはず。お若い、それに、色白で上品な顔立ちで、おきれいだ。近くのご婦人が、写真でみるよりも、素敵ね、と小声で話していた。
もちろん、堀文子さんのあとをついて行った。それぞれの絵をみながら、感想を述べられている。この猫の絵は、うちの物置から出てきたのよとか、若いときの絵をみて、上手ね、どうやって描いたのかしら(笑)とか、この絵は、思い出のある絵なのよ、どこで所蔵しているの?とか、画家自らの”ギャラリートーク”だから、こんなぜいたくはない。30分くらいで、出られてしまったが、そのあと、またじっくり、はじめから観賞した。
去年、箱根の成川美術館で堀文子展をみている。成川は、堀文子作品の所蔵、ナンバー1の美術館なのだ。そのときの絵もいくつか、ここに来ていたが、多くは初見のものだった。第1章は、”画業の始まり”で、女子美を出てから東大農学部で作物の形態を描く仕事を経て、画家としての途を歩き始めた頃の作品が並ぶ。八丈島や、各地の山々、高原、また猫の絵など。猫やフクロウ等は自分で飼っていたものをモデルにしたそうだ。ルソーの影響がみられる画風だった。
廃墟 月と猫
第2章は”初の海外旅行とメキシコ・シリーズ”1961年から3年間、欧米やメキシコ旅行をする。とくにメキシコが気に入ったようだ。そのときの印象や写生をもとに、多くの作品が生まれた。紫の野、マヤの落日、うつろな神々等。
仮面と老婆
霧の野
第3章 ”絵本作家としての堀文子” 絵本作家としても活躍する。生活のためよ、と笑いながら言っていた。でも、色彩あり、物語あり、子供たちが喜ぶ仕事で楽しかったという。いい絵ね、どうして描いたのかしら忘れちゃたわ、と回りを笑わせていた。夫を亡くした、1960年代まで続けた。”こどものとも”創刊号の”ピップとちょうちょう”などの作品が多数展示されていた。
第4章は”大磯・軽井沢・トスカーナ。1967年に大磯に転居(逗子に住んでいたこともある)、この頃から湘南の明るい季節感を感じさせる絵が多くなる。軽井沢にもアトリエをもつ。そして、高度成長の日本をのがれるように、イタリアのトスカーナ地方にあしかけ6年も住む。自然が大好きで、そうゆう風景のところを転々としているのだ。晩年には、ヒマラヤまで行って、ブルーポピーを描いている。初秋、夕映え、トスカーナの花野、などいい作品が目白押しだった。
早苗の頃
流れゆく山の季節
春炎 (御舟の炎舞みたいですね)
そして最終章は”堀文子現在”。まだまだお元気。顕微鏡の世界まで眼を向けている。生き物が大好き。花から蝶、猫、犬、ふくろう、そして微生物まで。ぼくとそっくり(汗)。
極微の宇宙に生きるものたち ミジンコもいるのよと話しておられた。
ブルーポピー
展示室を出ると、壁に、大きな”葉切り蟻の行列”と堀文子さんの言葉が、かかれていた。堀文子さんが、一層、好きになった展覧会だった。