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平塚で堀文子展に行ったときに、同時開催していた、磯江毅展もみてきた。はじめて観る作品ばかりだし、どんな画家であるかも知りたかった。よく写真のような絵、という褒め言葉があるが、彼の作品はまさにそれだった。
堀江は大阪に生まれ、18歳でスペインのマドリッドに渡る。美術学校に通うかたわら、ぼくも行ったことのあるプラド美術館で名画の模写に没頭していたという。20年以上、スペインにいたというから、半分スペイン人みたいなものだ。マドリッドは新たなリアリズム表現を求める画家たちの世界の中心地だったそうだから、彼の写実画は、”世界の写実画”なのだ。
美術学校で勉強している人は、きっと、写実的な模写から始まるのだろうから、ぼくのような素人には、写実的絵画はあたりまえの絵だと思ってしまう。でも、”釣りは鮒に始まり、鮒に終わる”という言葉があるように、絵画にも”写実に始まり、写実に終わる”なんてことがあり、写実は、奥の深い画法なのかもしれない。実際、堀江はこんな言葉を残している。
”私は写実は出発点であって、最終目的とは思っていません。いうなれば、写実を極めることは写実でなくなってしまうことと思っている。”
”物をよくみるということは、物の成り立ちを見極め、やがてそれを解体、解剖することだと思うようになってきたのは、私の個人的な発想ではなく、永年住んだスペインでみることを極めてきたヨーロッパ美術の歴史が教えてくれたことと確信しています。”
56点の作品が展示されている。静物が多いが、構図は独特なものだった。ぼくの一番好きだったのは、”新聞紙上の裸婦”で、鉛筆、水彩で描いたものだった。裸婦のうつくしさだけではなく、新聞の文字までまるで写真のように細かく描かれている。絵ハガキもないし、ちらしにもないのが残念だ。その横に”深い眠り”という裸婦が横たわる絵画があり、それはちらしに載っていた。この裸婦の下に新聞紙があれば、その絵に近いと思ってもらえばいい。
鮭”高橋由一へのオマージュ”というのがあって、芸大所蔵の”鮭”とそっくりだった。”横たわる女”は未完とあった。亡くなる4年前から手掛けていて完成していないということだが、ぼくにはどこが未完なのか分からなった。十分な完成品だと思った。完全主義者なのだろう、寡作だったということだった。2007年、53歳の若さで急逝するが、遺作は、最後に掲載している、”鰯(いわし)”である。食べかけの鰯が、骨を出して、皿の端に申し訳なさそうに、ひっそりとのっている。ぼくはいつものように、遺作に宿る、作者の魂に祈っていた。
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