気ままに

大船での気ままな生活日誌

鎌倉めだか

2010-10-20 19:05:22 | Weblog
今日の、鎌倉市と女子大共催の公開講座のテーマは、”空と陸から見る鎌倉の自然環境とその魅力”で、とても面白く聞かせてもらった。先生は鎌倉育ちで、お父さんの転勤の関係であちこち移動したが、現在は、鎌倉、山崎に住んでおられる。鎌倉三大緑地のひとつ、台峯の麓に当たる。あとの二つは、常盤山緑地と広町緑地で、これらは粘り強い住民の宅地化反対運動により、鎌倉市が不動産屋さんから買収し、管理されている。

いつかも記事にしたことがあるが、日本における最初のナショナルトラスト運動は、八幡さまの裏山を宅地化しようとした、ふとどきな(笑)不動産業者を相手に、鞍馬天狗(大仏次郎)が大将となって大勝した、いわゆる御谷(おやつ)運動がさきがけなのだ。この運動がもとになり、”古都保存法”が制定され、現在まで、市内の緑地が保存されているのだ。大船はこの風致保存地区から外れているので、六国見山の上の方まで宅地化している。

講義では、”昭和の鎌倉攻め(笑)”というタイトルで、昭和35年くらいから始まる、宅地造成の推移を片瀬・腰越地区の航空写真をスクリーンでみせてもらったが、おどろくほどの速さで緑地が蚕食されているのがよく分かる。いよいよ食いつくされそうになったとき、住民運動が起き、”広町緑地(38・7ヘクタール)”が残ったということだ。

”広町の森”は、まだ行ったことがない。こんど、暇をみて(暇ばかりだけど;汗)、出掛けてみよう。

雑談で、先生のお父さんの故郷が、ぼくと同じ、三鷹だという。先生も三鷹のICUで学んだそうだ。もしかすると、お父さんは、ぼくと同じ小中学校卒業の可能性が高い。えへん(いばることはない)。もうひとつ、雑談(いや、これは講義の一環)で、女子大の構内の、東山のふもとに池をつくり、以前、鎌倉の中心地を流れる滑川に住んでいたという、個人宅でわずかに残っていた鎌倉メダカ(クロメダカ)を導入したところ、群れをなすほど増えているという。

講義のあと、雨も止んだので、池を覗いてきた。アサザや水草が繁茂していて、よくみえないが、5分ほどの間、一度だけ、鎌倉メダカと思われるの魚の群れがちらりと姿をみせてくれた。

構内の東山


池 鎌倉めだかは写っていない。


ヒメジオンも外来種とのこと、知らなかった。セイタカアワダチソウは外来種、”国産”ススキは負けない。池のそばに咲いていた。


おまえは、カラス天狗か?すると中国からわたってきた可能性がある(笑)。先日”天狗推参展”でみて知っておるぞよ。中国の文化は好きであるぜよ。青島ビールも好きであるぜよ
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小泉八雲展

2010-10-20 12:26:10 | Weblog

横浜山手の神奈川県立近代文学館で表記の展覧会が開かれている。ラフカディオ・ハーン/小泉八雲の生誕160年、来日120年記念ということだ。小泉八雲といえば、KWAIDAN(怪談)、ぼくらの中学か高校のとき、英語の副読本として使われた。日本人に帰化し、奥さんの言によれば、日本人より日本人らしい気質だったという。

展示構成は、彼の一生を辿り、最終章で、一番の見どころの日本における作品群の展示となっている。はじめて知ることが多かった。不幸な少年時代であった。ギリシャに生まれ、アイルランドのタブリンに移る。6歳のとき両親と離散、16歳で片目を失明。預けられた乳母からアイルランドの怪談や妖精物語を聞かされていたという。成人して、アメリカのニューオリンズのジャーナリストになるが、そのとき、綿花万博があり、日本館の展示に心惹かれた。これが日本へ行ってみたいというきっかけになったそうだ。

そして明治23年、特派員として2カ月の予定で横浜に上陸したのだった(そのあと再来日し、万博のとき知りあった文部省役人の斡旋で松江の師範学校の教師となる)。そのとき、わが鎌倉(円覚寺、建長寺、大仏、長谷寺等)、江の島、そして藤沢でははじめて混浴の風呂に入ったそうだ(混浴復活して;汗)。その4年後には、熊本から来県し、また鎌倉、鵠沼の吾妻荘(白樺派が定宿にしていた)、そして箱根の富士屋ホテルにも泊っている。”神奈川県立”だから神奈川情報は詳しいのだ。

(当時の鎌倉大仏)


各時代のラフカディオ・ハーンの写真がいくつも展示されているのだが、隣りの二人組の中年女性が、”いつも横向いてるね”と笑っていた。そういえば、よくみると、50人くらいの集合写真でも一人だけ横向いているのだ。だから、図録の表紙の写真も横顔であるし、その横の鈴木朱雀画”小泉八雲”も横顔である。

松江、熊本(五高)、神戸、東京(帝大)と移り住み、妻から民話を集めてもらい、その話をまとめて、”KWAIDAN”等の、70篇近くの作品を英語で著す。帝大の学生に、純文学と比べて怪談が劣っているなどとは考えてはならないと説いていたそうだ。ぼくも最近、そう思うようになっている。小泉凡が記しているが、これらの物語は”愛、死、畏怖、好奇心、約束、怨念など不可欠なメッセージがあり、・・私たちに生きる目的や自然を畏怖することを教えてくれた”。

大地の果てまで堀りつくし、それでも足りなく、今度は、大海の底まで穴ぼこをあけ続けてているアホどもには、巨大なろくろ首の海坊主をみせなければ、わからないだろう。最近、メキシコ湾沖で顔をみせたのにまだ分からない。どあほうと言っていいだろう。

小泉八雲は、こんな言葉を残している。”日本の将来は、日本人のシンプルライフを維持し、自然との共生を続けられるかどうかにかかっていると説き、日本人が節制心を失えば将来、中国が有利になる”。その通りになっているが、同じ言葉を今の、どあほう中国にも返したい。

小泉八雲自筆の、ろくろ首と雪女)



JAPAN:An Atempt at Interpretation ”日本、ひとつの試論”の1200枚の原稿。出版をみぬまま、明治37年急逝する。


最初の赴任地、松江の宍道湖の夕景


文章の一部を載せます。

日本には熱帯の、ああいうどぎつい日没はない。夕陽の光が、夢の光のように静かだ。そこには、色の強烈というものがひとつもない。・・色彩や色合いの点における日本人の繊細な趣味は、あの美しい織物の染色にあらわれているとおり、きらびやかなものはひとつもない。それは、この中庸をえた自然の色調の、じみで、繊細な美しさに負うところ、大なるものがあるのだと思う。

本当に、日本人より日本人らしい感覚ですね。
。。。。、

今、この本を読んでいます。”怪談”の主要な物語が20篇ほど入っています。子供の頃、読んだはずですが、だいぶ忘れていたことがありました。







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