気ままに

大船での気ままな生活日誌

電中八策

2010-10-25 22:04:45 | Weblog
昨日の”龍馬伝”の、龍馬が長崎から京都に来るまでの船の中で考えた、”船中八策”を中岡慎太郎にみせるシーン良かったね。ジーンときたね。文字通り、”一生懸命”な若者の姿。大政奉還をはじめとする、八つの今後の、新しい日本の基本方針を示した、”船中八策”。それにひきかえ、とほほな、みっともない最近の我が国。

ぼくも、電車の中で、悪しき隣人でもつきわなければならない国の対策を、”電中八策”としてブログで発表しようと、考えたんだけど、大船から鎌倉まで、わずか5分、短すぎて、まだ一策しか、考えていない。

相手はとにかく、脅したり、すかしたり、デモしたり、♪デモはデモでも あの娘のデモは いつもはがいい じれったい♪ で守屋浩のありがたや節のデモみたいに、やらせという説もあるし、反日は名目で、敵は本能寺にあり、という説もあるし、とにかく、わけのわからない、要するに、”老獪”な国であるのは間違いない。

だから、みんなからアカン、イカン、スカン、どんかん、空缶といわれているような大将では、とても太刀打ちはできない。で、ぼくも、その第一策は、龍馬のと同じ、大政奉還にした。そして大将には、どんな妖怪変化にも対応できる、七つの顔どころか、33面相をもつ男を大将に選んだ。もちろん、コロッケ首相だ。

相手が強く出てくれば、何を言ってやがんでえ、この背中の桜吹雪(尖閣諸島が日本領だとしている古い中国の世界地図を刺青しておく)に見覚えねえのか、と啖呵をきる片岡知恵蔵(杉良でもいい)の遠山の金さんで対応するし、尖閣問題は棚上げにしようとごまかしにきたら、鼻の横にほくろをつけて、ちあきなおみになり、逆に四つのお願い聞いて、と色っぽく迫る。またデモが多発したときは、コロンボ警部のようなよれよれのレインコートを着て、古鞄を持った千昌夫になって600人訪中団を引き連れ、デモ隊の中に入り、中国でも流行った”北国の春”をみんなで歌い、なごやかにさせ、カラオケ屋に退散させる。

その他、どんな場面になっても、あごを出した岩崎宏美シンデレラハネムーン・バージョン、その他、美川憲一、郷ひろみ、野口五郎、沢田研二、森進一、八代亜紀バージョンと、いくらでも対応でき、勝利することができる。

そして、〆は、目を細くして五木ひろしになって、”もう尖閣については絶対文句はいいません。こんなに軍事力もついたし、ODAもいりません”と約束させ、ロボコップバージョンで”契り”を両国首脳で合唱する。そして、鼻の穴に詰めものを入れ、大きくした北島三郎になって、♪祭りだ 祭りだ 祭りだ大漁祭り 見ろよ真っ赤な陽が昇る 伜 一番船をこげ♪ と日本漁民に安心して尖閣諸島で漁ができるように、お祝いの歌を歌う。

たぶんこれだけでは、十分でないと思いますので、これから、二策、三策そして八策まで考えて、ときどき発表したいと思います。

今日、散歩した荏柄天神社の神輿蔵がちょうど開いてました。祭りにはこの神輿を使いましょう。コロッケ首相、よろしくお願いします。


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手塚雄二展

2010-10-25 11:47:18 | Weblog
横浜のそごう美術館で”手塚雄二/一瞬と永遠のはざまで”展が開催されている。作家ご自身がギャラリートークする日があることを知り、昨日、午後出掛けてきた。日本画ももちろん、良かったけど、手塚画伯のお話が、まるで噺家のようでおもしろかった。美術館にきたのか寄席にきたのか、一瞬、迷うほどだった(笑)。

ぼくゴロウ(?)です、という話から始まった。芸大日本画科に入るのに五浪したというのだ。一番上かと思ったら五浪が5人、八浪までいて三浪が並だそうだ。たしか競争率の高い学校だった。寮に入ったら奇人変人ばかり(爆)、全裸で、ろうろうと歌曲を歌いながら、廊下を歩いて風呂場へ行く声楽科の学生もいたそうだ(爆爆)。

鎌倉生まれで東京育ち。一年生のときの担任の先生が鎌倉の故平山郁夫さん。いい先生だったらしい。絶対作品をけなさないそうだ。下絵をもって、これでつづけていいですかと聞くと、だれにも、”うん、やんなさい”か、”う、うん、やんなさい”と言うだけ。だんだんわかってきて、前者は本当に、いい、後者はちょっと物足りない、ということらしい。この手の話がたくさんあって、もっと書きたいのだけど”著作権”(笑)の関係もあるし、これからギャラリートークを聞かれる方にネタをばらすのも、なんなんでこの種の話はこれでおわりにします。

展示構成は、年代順ではなく、「寂」(じゃく)「雅」(みやび)「塊」(かたまり)「謐」(ひつ)「燦」(さん)という5つのテーマに分けられている。それぞれの代表的な作品の前で、どういう状況で描かれたのか、どういう見かたがいいのか等、教えてくださる。「寂」では、”夜の海の霧”と”朝霧”。前者は九十九里の海岸で、後者は軽井沢でスケッチしたものをもとに仕上げたそうだ。霧が出ると、すべてを美しくさせてくれるので霧は大好きだそうだ(ぼくも大好き)。”朝霧”は2年前の院展の作品で、ぼくも当時のブログに印象に残った作品として絵ハガキの写真を掲載している。

朝霧


そして「雅」では、風神雷神屏風の大作。三十三間堂の風神雷神図をモデルに、まとめたという。知人のお嫁さんがここの出で、めったに入れない場所に入れたそうだ。たくさんの仏像さんの裏に入り、行の始まる前の早朝に作務衣を着てスケッチしたそうだ。風の表現は風に飛び散る紙片を金箔で表したとのことだった。琳派の風神雷神図の、雅の精神が受け継がれているような大作だった。絵ハガキがなかったので掲載できない。

「塊」では、”黒の壁”。宇奈月のセレナ美術館の依頼で描かれてもので、くろよんダムの壁だ。これが、めまいのするような高さの、ダムの壁の、2メートルほどの狭い空中通路で2時間余りスケッチしたものだそうだ。画家の邪魔になるだろうと、案内した電力会社の人は去ってしまい、ひどく心細かったそうだ。そう思って見ると、またより面白く(といっては悪いけど)観賞できる。隣の絵”落日”は、セレナ美術館でお願いされたもので、贅沢な額縁をつけて完成させたが、文化庁買い上げになり、御礼はわずかなものだったらしい(爆)。ここの章には、万里の長城やロダンのカレーの市民などをモチーフにした重厚な感じを受ける作品が並んでいる。
(落日)


「謐」音のない世界を描いた作品が並んでいる。”月の腕輪” インドの女性をモデルに、三日月のような腕輪。月もお好きらしく、月があちこちの作品に出ていた。”夜奏”にもきれいな爪のように細いお月さまが出ていた。”山音”も良かった。
”夜奏”


そして、最後は「燦」。”木漏れ日の坂”。ぼくも大好きな木漏れ日。よく写真に撮る。この道は、岩手県北上市にある夏油(げと)温泉でふとみつけた風景だそうだ。画伯にはそうゆうモチーフが多く、蜘蛛の巣にひっかかった葉っぱ、雑草、空蝉とか、カタツムリとか、何気ない風景も多い。よくみればなずな花咲く垣根かな、だ。”木漏れ日の坂”の見かたを教わった。この絵は屈んでみてください。あっと驚いた。立ってみていたときには、それほど感じなかった、金箔の木漏れ日が輝いているのだ。一番、はじめの絵、”雨明”(ちらし絵にもなっている)もそうですよ、というので、あとで、見たら、雨後の日差しが上部から輝いて差しこんでいた。
(木漏れ日の坂)

(雨明)


作家自身のギャラリートークという、贅沢な美術観賞だった。先日は、平塚美術館で、堀文子さんだったし、今年はついている。

コメント (2)
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