12月2日。母の月命日には、できるだけお墓参りに行っている。今日がその日だった。墓参りを終えて、境内の薬師堂のうしろの仏像保管庫の前まで来た。先日まで、ここの十二神将立像が鎌倉国宝館に展示されていたので、もう戻っているのかなと確かめにきたのだ。でも、保管庫の扉は、春と秋のお彼岸のときにしか開かいないことに気付いた。たぶん帰っておられるだろうと思い、お帰りなさいと心の中で言った。ふと、振り向くと、ご住職がおられた。その話をすると、鎌倉でみてくれましたかと、喜んでくれた。でもまだ、戻っていないということだった。それも、そうだ、”薬師如来と十二神将展”は終わったばかりだし、輸送に時間もかかることだろう。
ちょうどいいところに来ていただいた。ぼくは、このお寺に芭蕉の句碑があることを、最近、ある本で知り、今日はそれを捜し出そうと思っていたのだ。あそこですよ、ご住職は、西脇順三郎の詩碑の横の、石碑を指差していた。石碑に刻まれている字は読みにくいし、説明文もなかったものだから、もう十数年も訪れているのに、これまで全く気付かなかったのだ。ついでに、どんな句のか尋ねてみた。こういう句だった。
春の夜はさくらに明けてしまひけり
夜桜をみているうちに、夜が明けてしまった、という意味なのだろうか。桜好きのぼくには、よくわかる。お酒も呑んでいたのだろうか。ぼくなら、そうしないと夜明けまでもたないかな。
ぼくの好きな芭蕉の、それもぼくの好きな桜の、句碑が、父母の眠るお寺にある。そして、いつの日か、ぼくもここで眠る。なんだか、とてもうれしかった。
そのあと武蔵小杉駅から、東横線、それから地下鉄に乗り換え、六本木に行った。”ゴッホ展”と”その名は蔦屋重三郎展”を観てきた。
家に帰る頃は日もすっかり暮れて、近くの女子大前のクリスマスツリーの灯りが点滅していた。