気ままに

大船での気ままな生活日誌

保田春彦展

2010-12-11 10:44:26 | Weblog

 

八幡さまに近い鎌倉街道沿いに、神奈川県立近代美術館鎌倉・別館がある。そこで”保田春彦展/白い風景シリーズとクロッキー”が開催されていたので、覗いてきた。ぼくには馴染みのない彫刻家(画家でもある)であったので、どんな彫刻と絵が並んでいるのか、楽しみであった。

展示室に入って驚いた。裸婦のクロッキーが、部屋の壁の端から端までずらりと並んでいるのだ。80点もある。そして、展示室の中央あたりに、得体の知れない白い、物体(彫刻なのだが)が7点ほど置いてある。

まず、裸婦のクロッキーをはじめから、ひとつひとつみてゆく。様々な姿態の裸婦が写実的に、単純な線で描かれている。背中や胸や足の筋肉まで描きこまれているので、ボディービルをやっていたモデルさんの裸婦のようだった(笑)。はじめの頃のは顔の細部は描かれていなかったが、後半のはモデルさんの顔がかなりはっきりとしていた。必ずしも、美人とはいえないし、スタイルだってそういいわけではない。

ぼくはいつも、先入観が入るから、解説のパネルは後から観るようにしている。裸婦裸婦裸婦、何故そんなに描き続けたのか、説明を読んでほろりとした。2000年に伴侶の同じ彫刻家のシルビアを亡くしてから、すでに”白い風景”の彫刻家として名をなしていた保田は2007年、突如、裸婦のクロッキー1000点を目指す。そして、2008年に1300点を完成させるが、厳選して700点にしぼり、残りは若き日を過ごしたパリのモンパルナスで描くことにする。多彩な個性をもつモデルさんがいたことを思い出したからだった。もう80歳を目前にしたときだった。しかし、途中、病気をして帰国、現在も療養中だとのことだ。

裸婦シリーズのほか、”闘病シリーズ”というのもある。病院内の治療風景や、自身の姿、を日記帳のように文章も画面の余白に入れている作品である。これも、また戯画をみるようで面白かった。ご自身はつらい思いをされているはずなのに、自分を客観視し、作品を作り続ける。子規の”病床六尺”を想い出してしまった。86年から大磯に住んでいるので、その近くの病院かもしれない。若い時は世田谷区に住んでいたためだろうか、来年は世田谷美術館に巡回するとのことだ。

小冊子のような図録を買ったので、その中からいくつか作品を載せておく。

”裸婦シリーズ”

 

”闘病シリーズ” 右側の絵、脳梗塞自画像と書かれている

”白い風景シリーズ” イタリアの田舎で出会った民家に想を得たそうだ。

 

 

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紅葉納めは東慶寺で

2010-12-11 08:52:20 | Weblog

鎌倉の紅葉も、いよいよ終盤。”紅葉はじめ”は東慶寺だったので、”紅葉納め”も東慶寺にした。”紅葉はじめ”のとき早々とうつくしい姿をみせていた本堂前の楓はもうおわっているだろうと、思っていたが、まだまだ十分、艶やかだった。ちょうど、日が当たり、紅色が一層、輝いていた。

一番、期待していたのは、あのときは青葉だった、高台墓地の入り口の楓だった。いつも、赤、緑、黄の(信号機のようだな)葉が混在して入り口を覆う姿は、まさに錦織りなす、うつくしさだ。今年はもう、ひとつだった。光線の関係もあるかもしれない。でも、十分、有終の美を飾っていた。

左手の石壁の紅葉も青葉をまじえて、魅せてくれた。

見どころは紅葉だけでない。♪粋な黒塀見越しの松に、婀娜な姿の洗い髪♪、ボケもぼけずに咲いていた。赤と黒のブルースかもしれない。 ♪夢をなくした 奈落の底で 何をあえぐか 影法師♪

明日は咲こう、花咲こう、のローバイの蕾に心がうきうきした。もうすぐに春がくる。 ♪はじめひとつの花の実がいつかは大きな花園に 暮らしの中に根をはろう あなたもわたしもみんなみな 明日は咲こう花咲こう 明日は咲こう花咲こう♪小百合ちゃんの歌です。

東慶寺を出て、鎌倉街道を八幡さまに向かって歩いていると、長寿寺の紅葉が見事だった。かけこみ寺での”紅葉見納め”より、長寿寺で”紅葉見納め”の方が縁起がいいかもしれないな。

そのあと、神奈川近代美術館に寄り、本館、別館で、ふたつの美術展をみて帰る頃には、もう日が暮れようとしていた。

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