二宮の吾妻山には三つの昇り口がある。二宮駅に近い入り口のほか、そこより小田原寄りの海側から、そして、その反対側の山側からの口である。頂上の広場で、富士山と菜の花を見物したあと、いつものように駅方面への坂道を降りようとすると、岐路で”動物園こちら”の立て札をみつけた。”うさぎだけです”、との案内があった。どうしようかと迷ったが、来年は兎年だし、あいさつしてこようと、山側の道を降りた。
駅から昇る道より、こちら側の道の方が、いかにも自然林といった雰囲気があり、ここち良かった。ぼくの故郷、三鷹の”武蔵野の雑木林(ぼくらは山と言っていた)”、そして、中学2年から住み始めた、川崎の多摩丘陵の雰囲気にもよく似ていた。誰ひとり、歩いていない。落ち葉を踏みしめる音だけがやさしく耳に届いた。
10分も降りて行くと、紅葉の向こうに小屋らしきものが見えた。ここがそうかなと、小路を入ると、門が閉じていた。でも、鍵が開いているので、扉を押して、中に入った。
そこには、金網に囲われた、粗末の小屋があった。その中を覗いてみておどろいた。2,30匹もの、それもさまざまな色模様の毛皮をつけたウサギたちがたむろしていた。めったに人が来ないらしく、ぼくの姿に気づき、一匹が動き始めると、次々と動き始め、飛び跳ねるのもいた。しばらく眺めていた。野うさぎのような感じのもいた。”うさぎの眼”のような、西大寺の善財童子さまをみてきたばかりだが、本当に兎の眼はかわいい。疑うことをしらない眼だ。
”動物園”というよりは、ただの、”うさぎ小屋”だったけど(笑)、来た甲斐があった。きっと来年は、うさぎ年で人気の動物園になることだろう。
山路を降りながら、動物園に何故、兎だけなのだろうと考えた。あっ、と思った。二宮駅の南口の広場に”ガラスのうさぎ”の像があるのだ。女の子がガラスのうさぎを抱いている像だ。二宮・吾妻山とうさぎが結びついた。
少女の母と妹は東京大空襲で命を失うが、その焼け跡にガラス工場を経営していた父がつくったガラスの兎が残っていた。少女はそれを形見に持ち帰る。その後、父親も疎開先の二宮で少女の目の前で、米軍の飛行射撃で命を落とす。少女(高木敏子)はのちに、この悲しい経験をもとに”ガラスの兎”を著し、大きな反響を呼ぶ。NHKの銀河テレビ小説にもなった。ワイフの元職場の先輩が、敏子さんと同い年で、”ガラスのうさぎ”のことをよく話していたわと、昨日の夕飯のとき話題になった。
反対側の二宮駅南口に行ってみた。少女はいつものように、ガラスのうさぎを抱いていた。兎はやさしい目をしていたが、少女の目は悲しげに遠くをみていた。