大河ドラマでは、泥と埃にまみれた(笑)、若き日のイダテン政子が、頼朝と伊豆の山中で出会うところだが、のちに栄華を極めた政子が愛したという手箱が、鎌倉国宝館に展示されている。
正式名は”沃懸地籬菊螺鈿蒔絵手箱(いかけじ、まがききくらでん)”。全体を金粉を蒔いた下地に螺鈿で籬と菊の文様を刻んでいる。まるで、今つくられたような華やかさでうっとりする。それもそのはず、これは、復元品で平成11年に、螺鈿の技では右に出るものがいない、人間国宝の北村昭斉氏によって制作されたものである。
学芸員さんによると、この現物は、後白河法皇から政子に下賜されたもので、明治のはじめまで存在していたそうだ。それが、明治6年のウイーン万博に出展したあと、帰りの運搬船が座礁し、現在も、政子の生まれ育った伊豆の、海の底に眠っているそうだ。
何故、復元できたかというと、江戸時代に作成された、精密な絵図が存在していたからだった。文様まで細かく写している。その”北条政子手箱図”の修理が完成し、その記念に復元品が初公開されたとのこと。
サントリー美術館の”おもしろびじゅつワンダーランド”に行った人は覚えてるでしょうか。はじめに出てきた国宝・浮線綾螺鈿蒔絵手箱も”政子の愛した手箱”のひとつだった。だから現物が海に沈まなかったら、もちろん国宝。
その隣りには、頼朝所蔵だった国宝の”籬菊螺鈿蒔絵硯箱”。こちらも後白河法皇からの下賜。これは、現物なので、約800年の月日が流れている。品格のあるうつくしさには惚れ惚れ。いずれも、両人から八幡宮に贈られたもの。
沃懸地籬菊螺鈿蒔絵手箱(政子の愛した手箱)

北条政子手箱図(江戸時代)

籬菊螺鈿蒔絵硯箱(鎌倉時代)の一部

国宝・沃懸地杏葉螺鈿太刀、国宝・黒漆矢、重文・舞楽面、菩薩面など八幡宮の神宝がいっぱい。仏像さんも重文クラスがずらり。もう一度散歩がてらに行ってみよう。
正式名は”沃懸地籬菊螺鈿蒔絵手箱(いかけじ、まがききくらでん)”。全体を金粉を蒔いた下地に螺鈿で籬と菊の文様を刻んでいる。まるで、今つくられたような華やかさでうっとりする。それもそのはず、これは、復元品で平成11年に、螺鈿の技では右に出るものがいない、人間国宝の北村昭斉氏によって制作されたものである。
学芸員さんによると、この現物は、後白河法皇から政子に下賜されたもので、明治のはじめまで存在していたそうだ。それが、明治6年のウイーン万博に出展したあと、帰りの運搬船が座礁し、現在も、政子の生まれ育った伊豆の、海の底に眠っているそうだ。
何故、復元できたかというと、江戸時代に作成された、精密な絵図が存在していたからだった。文様まで細かく写している。その”北条政子手箱図”の修理が完成し、その記念に復元品が初公開されたとのこと。
サントリー美術館の”おもしろびじゅつワンダーランド”に行った人は覚えてるでしょうか。はじめに出てきた国宝・浮線綾螺鈿蒔絵手箱も”政子の愛した手箱”のひとつだった。だから現物が海に沈まなかったら、もちろん国宝。
その隣りには、頼朝所蔵だった国宝の”籬菊螺鈿蒔絵硯箱”。こちらも後白河法皇からの下賜。これは、現物なので、約800年の月日が流れている。品格のあるうつくしさには惚れ惚れ。いずれも、両人から八幡宮に贈られたもの。
沃懸地籬菊螺鈿蒔絵手箱(政子の愛した手箱)

北条政子手箱図(江戸時代)

籬菊螺鈿蒔絵硯箱(鎌倉時代)の一部

国宝・沃懸地杏葉螺鈿太刀、国宝・黒漆矢、重文・舞楽面、菩薩面など八幡宮の神宝がいっぱい。仏像さんも重文クラスがずらり。もう一度散歩がてらに行ってみよう。
