気ままに

大船での気ままな生活日誌

初秋 海蔵寺、淨光明寺&英勝寺

2012-09-19 11:18:27 | Weblog
暑さ寒さも彼岸まで。そろそろ秋がきてもらわないと。

草冠に秋、萩。文字通り秋の花が咲き始めた鎌倉。海蔵寺、淨光明寺&英勝寺をめぐってみた。

海蔵寺

山門前の萩


境内の萩




紫苑も咲き始めた。




コムラサキも色づいて


海蔵寺は初秋の風情だった。


淨光明寺

萩は咲いたか、彼岸花はまだかいな。まだでごわす。萩はOKでごわす。




楊貴妃観音さまは反日ではなかった。うれしか。


淨光明寺も初秋の風情だった。


英勝寺

ここも、萩は咲いたか、彼岸花はまだかいな、だった。

境内の萩


苔緑がビロードのようだった。


竹林


竹林でみつけた姫御殿跡。ここは尼寺でやんす。


英勝寺も初秋の風情だった。


寿福寺も初秋の風情だった。


大船の花屋さんも初秋の風情だった。友禅菊。






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藤田嗣治と愛書都市パリ

2012-09-19 09:42:04 | Weblog
”藤田嗣治と愛書都市パリ”展は、現在、北海道立近代美術館に巡回している。二か月ほど前、札幌のそこを訪れたばかりだ。松濤美術館で、その展覧会を観たのはBUNKAMURAミュージアムでレーピン展を観たときだから、9月6日頃か。もう終わろうとするときだった。

藤田嗣治といえば乳白色の裸体画が大好き。少し前まで、鎌倉(近代美術館、別館)に、”寝室の裸婦キキ”がしばらく展示されていて、散歩がてら、よく観に行ったものだ(汗)。今回の展覧会には、そういう絵はない。藤田は1910年代から70年代の長きにわたって挿絵本を描きつづけられてきた。とくに1920年代は精力的に30点以上の挿絵本を仕上げたという。この数は、同様に挿絵本好きだった天才ピカソの倍以上というからすごい。藤田の挿絵を中心にした作品が、次のような、括りで展示されている。

1「藤田嗣治の挿絵本」
 1-1愛書都市パリ
 1-2 記憶の中の日本
 1-3 フランス文化との対話
2「エコール・ド・パリの挿絵本とその時代」
 2-1 花開く挿絵本の時代
 2-2 秩序への呼びかけ


このような、展示構成の中で、ぼくが知らなかった藤田のいろいろな顔が次々と現れてくるのはとても楽しい。それらの挿絵は、文章によりそうような繊細な女だったり、ちょっと、こてこてしているけど、おかしな、可愛い子供であったり、ほのぼのした漫画風の人物や風景であったり、その多様さにはびっくり。日本に帰国したときには、巴里風な作品を、逆にフランスでは和風の作品を描いたというのも面白い。

以下、ちらしの絵からの作品を。(図録は買いませんでした)。

”海龍”(1955年、コクトー著)。彼が世界旅行の途中で、1936年に日本に立ち寄った時の思い出。この作品は、戦後、藤田が住みづらくなった日本を脱出し、フランスに戻ったころのもの。


”ラ・フォンテーヌ 二十の寓話”1961年


”中毒について”1929年、ポワシエール著。


”朝日の中の黒鳥”1927年、ポール・クローデル著 表紙


油彩画もいくつか。そのひとつ。”二人の女”。1918年。


”しがない稼業と少ない稼ぎ”の子供の絵も面白かった。ポーラでもみたことがあるような絵。また、”日本昔噺”、”芭蕉とその弟子のハイカイ”も良かった。

そして、エコール・ド・パリの画家も登場。

ピカソの”知られざる傑作”より 1931年、うらわ美術館蔵。


シャガール ”ダフニスとクロエ”より 1957-1960年




美術館で立ち読みした本の中で、明治以降、世界で一番知られている日本人画家はフジタだと書かれていた。たしかにそうかもしれない、と思っていたが、先日みた、”おとなのけんか”というフランス・ドイツ・ポーランド・スペイン 合作のコメディ映画にもフジタの画集が出てきた。子供の喧嘩のため、二組の夫婦が、はじめからおわりまで、えんえんと口げんかをつづけるという、おかしな映画(笑)なのだが、一方の奥さんが途中でゲロを吐き、フジタの画集を汚してしまうというシーン。あまりいい場面ではないけど(笑)、それほど、フジタは欧米の人にはよく知られている画家なのだ。なのに、日本の画壇ではあまり認められなかったようだ。とくに戦後は、戦争画のこともあり、批判もされ、フランス人にならざるをえなくなったのだ。

今日は、彼岸の入り。お墓参りに行く予定にしてたが、荒天のため順延にした。

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