気ままに

大船での気ままな生活日誌

バーナード・リーチ展

2012-09-25 09:14:22 | Weblog
横浜の高島屋でバーナードリーチ展がはじまったというので、雨の日に出掛けてきた。生誕125年(1887-1979)記念の展覧会である。

バーナードリーチが、北鎌倉に窯をもっていた六世尾形乾山に弟子入りしていたことは、六世の長女、乾女の自伝的エッセイ”蓮の実”(非売品)で知った。富本憲吉と共に免許皆伝の意味をもつ伝授書を渡されている。ついでながら、魯山人も一時、ここにいた。

そのあと、我孫子の柳宗悦邸の庭先の小屋に住み、ここで窯を開いて、陶芸家としての一歩を踏み出した。常磐沿線に住んでいたころ、ここを訪ねたことがある。旧志賀直哉邸あたりから坂を登っていくと、高台に旧邸宅跡地の石碑がある。柳の叔父、嘉納治五郎の旧居もその隣りにある。

10年ほど日本にいたが、1920年に濱田庄司をつれて、英国のセント・アイビスに戻り、登り窯をつくる。そこを活動拠点にするが、その後、92歳で亡くなるまで、十数回に渡り、日本を訪れ、益子、出雲、小鹿田(大分県日田)など各地の窯を巡り、自身で作品もつくった。この展覧会では、彼の足跡を辿りながら、約100点の陶芸品、そして素描、版画が展示されている。

はじめの頃の、素朴な、のどかな雰囲気のある作品から、黄釉とかガレラ釉(鉛の硫化物)とかの、華やかなもの、そして一転、白い焼き物がひっそり佇んでいたりして、実に多様だ。”東と西の出会い”という副題にもあるように、東西融合の陶芸を目指していたから、当然のことかもしれない。富本憲吉タイプではなく、魯山人タイプである。

バーナードリーチの回顧展は、はじめてみたので、とても面白くみさせてもらった。

美術展を楽しんだあと、同じ階で開かれていた”用と美とこころ/民芸展”も回った。益子、小鹿田、南部鉄、越中八尾の和紙などのお店が出ていた。高島屋は柳らの民芸運動に当初から賛同し、支援しつづけてきたとのことだ。











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