気ままに

大船での気ままな生活日誌

百花繚乱/女性の情景展

2012-09-21 10:24:54 | Weblog
観てみたいなと思いながらも、なかなか出会えない絵が、ふいに目の前に現われてきたときのうれしさは格別だ。横須賀美術館で開催されている "百花繚乱 女性の情景/生きて行く私"展で、それがあった。

第三章”画家とモデル”の中でみつけた、梅原龍三郎の”高峰秀子像”だ。これは、梅原が87歳のとき、巴里のチュイレリー公園前のホテル・ムルスで描いたものだ。衣装は、(梅原がインドの生地屋さんで選んだ)金色の飛び模様のある真紅の絹の布をただ身体に巻きつけただけのもの。安全ピンでとめただけなので、ときどきずり落ちて、おっぱいぽろりとなる。あわてて同行の長女がとめなおすということを繰り返して出来上がった。以上は、(展示場にもあったが)ぼくももっている、高峰秀子著”私の梅原隆三郎”の中の、”チュイレリー公園の木”の本文から引用した。ちょっと原文を脚色してありますが(汗)。大きな目だが、でこちゃんの目の光が強いから、そうみえると梅原は述べている。本物の絵がみられ、うれしかった。穴のあくほど、顔と布地をみつめてきた。

梅原龍三郎”高峰秀子像”


さて、この章には、すごい作品がずらりと並んでいる。劉生の童女図(麗子立像)は、自身が、数ある麗子像の中で一番の出来といった自信作。岡田三郎助”支那絹の前”のモデルは妻八千代。この頃はまだ夫婦仲はよかった。中村つねの”少女”のモデルは新宿中村屋の相馬家の娘。仲良くなっていくが恋は実らなかった。藤島武二の”夢想”の女は、題名通り夢想している顔。前にそごう美術館でみた。林武は、”うつむく女”。モディリアーニのような首長女。美術誌の発行元の娘さんらしい。古賀春江の”考える女”。奥さんだからシュールには描かない。ミーハー的なことを知ると、よけい楽しくみられる。

劉生”童女図”


岡田三郎助”支那絹の前”


さて、はじめに戻り、第1章は、”歴史・物語にみる女性”。ここも良かったなあ。菱田春草は、お能に題材をとった”砧”。浄瑠璃の”朝顔日記”は大観。堂本印象は、神話から”木華開耶媛”、コノハナサクヤヒメが満開の桜に囲まれている、わすれられない印象。どうも(汗)。北澤映月の”女人卍”は、卍型に、淀殿、阿国、ガラシャ夫人、加賀千代、一葉が。月岡栄貴の”かぐや姫”の眠そうな(?)目がかわいい。そして、女子文壇、明星、青鞜、女人芸術などの創刊号を含む雑誌もガラス越しにみることができる。

菱田春草”砧”


第2章”モダンガール”も華やか。モガというから、洋装の娘ばかりかと思うと、大間違い。和装の、むしろ令嬢といった感じの女性が多い。清方、深水の美人図が一枚ずつ。中村大三郎の”編物”、菊池契月、菊池華秋、菊池隆志(親戚かな)とつづき、町田隆要(信次郎)の美人ポスター絵。美人に囲まれ、いい気持ち。

中村大三郎”編物”


第4章は”現代と女性”。ここに、小倉遊亀が登場。越路吹雪が浴衣姿でくつろいでいる。こんなところでこーちゃんに会えてうれしい花一匁。”コーちゃんの休日”。遊亀の作品がもうひとつ、子供の”姉妹”。伊東深水がここでも出てくる、”祇王寺の秋”。一方、あっとおどろくサイケ調は、中村正義の”祇女”。そして、横尾忠則、中村宏、澤田知子と眺めてゆくと、あっあっあっ、仰天大画面。この展覧会のポスターでおなじみになった女の子が、こちらを異常に大きな目で睨んでいる。一見、写真のようだな、と思って近づくとそうではない。加藤美佳の”カナリア”。

絵の横に説明があった。まず架空の少女を粘土細工でつくる。それをカメラ撮影する。そしてそれを基に下絵を、それから油彩画に仕上げたという。おどろくほど手が込んでいる。だから人間のような人形のような、不思議な雰囲気をもっているのだ。目は大きく見開き、こちらの心の底まで見透かすような強さ。唇は大人のように色気がある。ほつれ毛、まつ毛、肌のほくろまで細密に表現。一度みたら忘れられないような女の子だ。やっぱり予想した通り、これが、この展覧会一番、印象に残った絵になってしまった。

中村正義 ”祇女”。


加藤美佳の”カナリア”



まさに、”百花繚乱、女性の情景”だった。堪能した。1時間以上、かけて来た甲斐があった展覧会であった。

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イチロー、今日も大活躍。ホームランと二塁打。まだまだ打ちそう。これから、お相撲をみに、お出かけ。
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