気ままに

大船での気ままな生活日誌

紅筋山百合 6株15輪の花盛り

2020-07-10 22:13:54 | Weblog

こんばんわ。

七夕の日に行ったばかりだが、今日も大船フラワーセンターに行ってしまった。もちろん、お目当ては、ここでしか見られない紅筋山百合。あの日はたった一株で二輪の花だけだったが、今日は5株で、花の数はなんと15輪の花盛り。こんな豪華な紅筋山百合を見たのは初めてかもしれない。

今日はまず、桃色の百合が咲いているもみじ山から。ここにも紅筋が数株あるのだ。そのうち3株が、計4輪の花をつけていた。

紅子1,2

紅子1アップ

紅子3

ここには、まだたくさん蕾をつけている株があるので、もう一度、来なければ。

そして、築山へ。

七夕に初見した紅子4。花数が2輪から5輪に増えていた!

アップ

アップアップ

築山の上の道から。入り口に紅子5。一輪、咲き始めていたが、みすぼらしかったので撮らない。この株はここ数年来、弱っている。

そして、坂の上から見下ろすように、紅子6。これは大きな株。5輪ほど咲いている。蕾もたくさんあるので、これが全部開くと、すごいことになる。女王さまといってよいだろう。数日後、もう一度!

下の道から見上げて撮る。お見事!

併せて、紅筋山百合6株15輪の世界最高記録達成!

ここでは、山百合はつけたし。

桃色吐息山百合もつけたし。

青と白の桔梗もつけたし。

人気の蓮の花もつけたし。

すばらしい紅筋山百合の花盛りでした。

カルガモ日誌(21)午前中に滝越え決行か。滝の傍で目撃。母さんが離れて、呼んでいるが、子供たちはこわがっている様子。今日もだめかの予感。

こわがる子供たち。

今日こそ、獅子の子落しだワ。お母さん、鬼の顔。

帰りにも出会う。どうも、今日も失敗の雰囲気。子供たちはおどおど。お母さんはそっぽを向ている。喜びが感じられない。 成功していれば、滝の上流にいるはず。とほほ。いくじなし。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

ペンタス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逗子の分離独立運動

2020-07-10 10:13:13 | Weblog

おはようございます。

七月に入ってから各地の図書館が平常に近い形で開館するようになって、よく出掛けるようになった。平常開館と言っても様々で、滞在時間に制限をつけていないのは茅ヶ崎市と鎌倉市の図書館で、一時間半までが逗子市図書館、藤沢市が一番厳しく、30分ほどで、おまけに座席がない。

ぼくはこちらに越してきた年に、大磯から葉山までの湘南の図書館をすべて見て廻った。蔵書の質と数、居心地の良さなどからベスト3を選出した。順に、逗子市図書館、茅ヶ崎市図書館、鎌倉市中央図書館の三つである。次点には大磯図書館を上げたい。コロナ明け後の対応でもこれらがベスト3に入った(笑)。

さて、昨日は逗子図書館に入ったのだが、逗子の分離独立運動というコーナーがあり、ぎくりとした。逗子市が、あの井上ひさしの吉里吉里人による独立国のような国を目指すのかなと思ったのだ。これだと、大ごとで、すでに大ニュースになっているはずなのに新聞やネットのニュースでも見たことがない。

展示されていた資料を見ると、これは戦前から戦後にかけての過去の話だった。それも、独立国というような大それたものではなく、戦時中に軍港都市の横須賀市に無理やり吸収合併されたのだが、終戦後、やはり、横須賀とは肌が合わない、分離独立しようという運動のことなのである。

その運動は昭和22年から始まり、まず署名を集めて廻ったが住民の関心はまだ低かった。昭和23年に地方自治法が改正され、強制的に合併された市町村は住民の意思によって元の姿に戻ることが可能になった。ただ期限があり、2年間だけの限定的な法律だった。さらに、三つの条件も必要で、1)有権者の1/3の署名、2)有権者の投票により過半数の賛成票、3)県議会による賛成決議、と道は遠い。

昭和24年、市民討論会で時期尚早という結論の中、独立賛成派の青年が中心の20名が”逗子独立期成同盟会”を発足させた。そして即座に活動を開始し、たちまち第一の関門の1/3署名を突破した。気運が高まる中、横須賀市では逗子を離すまいという運動もあり、紆余曲折した。そして、住民投票が3月19日が行われた。賛成票6990対反対票1722で圧勝。勢いを得て、県議会でも29対24と辛勝ながら勝利をもぎ取った。そして、正式に昭和25年7月1日、逗子町として分離独立した。その4年後に市制施行で逗子市となった。この日は旗行列が逗子銀座商店街を練り歩いたそうだ。以上が逗子独立運動の中身である。

逗子銀座近くの亀井児童公園内に独立記念碑があるというので、帰りに寄ってきた。

戦後の市町村合併にはいろいろ面白い話がある。わが大船町や江の島をもつ片瀬町も鎌倉市と藤沢市の取りあいとなり、大船は鎌倉市、片瀬は藤沢市に吸収された。そのうち、経緯を紹介したい。その後、両町から分離独立運動が起こったという話は聞いてない。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする