気ままに

大船での気ままな生活日誌

シネマ歌舞伎 東海道中膝栗毛

2020-07-17 11:33:48 | Weblog

おはようございます。

辻堂でシネマ歌舞伎、東海道中膝栗毛が上映されているというので最終日に見てきた。これは、2016年歌舞伎座で上演されたときのもの。翌年、シネマ歌舞伎で上映されたときも見逃していて、今回が三度目の正直。ちょっと、膝栗毛の歴史を振り返りつつ。

まずは原作。十返舎一九の東海道中膝栗毛。享和2 年(1802)刊行。江戸中を沸かせた滑稽本の横綱。

この滑稽本はその後、いろいろ脚色され、変貌していく。

幕末の戯作者、仮名垣魯文がエピソード等をさらに増やして脚色し、落合芳幾の絵を添えて、出版。東海道中栗毛の弥次馬(1860)。日本橋から京都までの58図を巻物に仕立てている。ぼくはこれを藤沢浮世絵館で見ている。

嶋田 越すに越されぬ大井川。

蒲原 喜多さん、二階の若い娘に夜這いしたが、間違えて婆さんの布団に忍び込み大騒ぎ。

さらに魯文は”万国航海 西洋道中膝栗毛”を落合芳幾・3代目歌川広重のさし絵入りで著す(1870年、明治3年)。弥次郎兵衛、北八の3代目の孫ふたりが、ロンドン万博見物に出かけるという設定。上海、香港、シンガポールなどに寄港しながらの失敗談をおもしろおかしく著した名作。

そして、歌舞伎での初演は、(以下、歌舞伎美人による)昭和3(1928)年に木村錦花が脚色し、初世市川猿翁(当時 猿之助)と六世大谷友右衛門により歌舞伎座の夏芝居として大評判をとりました。流行を取り入れ、時代を風刺した内容は肩が凝ることなく楽しめます。以降、様々な脚本・演出により上演されてきましたが、新たに手掛けられた本作も原作の世界観を生かしながら、真面目に生きてこなかった弥次喜多と必死に目標に向かって進んでいく子供たちがともに伊勢へと向かっていきます。多彩な顔ぶれによる出演はもとより、宙乗りや本水の立廻りなど歌舞伎ならではの趣向が満載の舞台は客席を大いに沸かせました。

という歴史を辿り、戯作者猿之助は、さらに笑いを超拡大する。なんと東海道中だけではあき足らず、越せぬ越されぬ大井川から海に出て鯨に乗り、アメリカのラスベガスまで!そこでは、日本から来た歌舞伎役者として遇され、猿之助と染五郎(現・幸四郎)として、見事な連獅子を演じる。アラブの石油王亜刺比亜太(門之助)と夫人(笑三郎)に気に入られるも、何とか、戻って来られ、お伊勢参りに。終幕はお二人の宙乗り花火大会という華やかさ。

どたばた喜劇の中にも本歌舞伎もあり、いろいろ楽しませてくれる。江戸からはじまった歴代膝栗毛の中で一番、面白い膝栗毛かも。戯作者、猿之助、喜劇役者、染五郎(幸四郎)最高!若君の金太郎(現染五郎)とお供の市川団子も名演技。5年近く前で、随分、成長されているでしょう。

読売屋文春(笑)(市川 弘太郎)が案内役。盗賊白井髭左衛門に市川 右團次、天照大神に市川 笑也、十六夜に中村 壱太郎、奉行大岡伊勢守忠相に中村 獅童。あとは、予告編のユーチューブでご覧ください。

シネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛』予告編

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする