おはようございます。
2020年7月24日は東京五輪2020が始まる日だった。延期となったが、この日のためにつくられた祝日だけはスポーツの日として残った。
せっかくだから、この日は五輪にゆかりの場所を訪ねようと考えを巡らすと、すぐ頭に浮かんできたのが東慶寺だった。ここには有名人の墓がたくさんあり、その中に、日本人最初の金メダリストの織田幹雄と前回の東京五輪の女子バレー監督の大松博文の墓がある。
東慶寺はコロナ後、拝観料をとらない自由参観となっている。祝日とはいえ、紫陽花や花菖蒲の季節も終わり、訪ねる人もまばらだった。ただ、秋の七草のいくつかが秋を待ちきれず咲いていた。
女郎花


なでしこ

白桔梗 仏性は白き桔梗にこそあらめ(漱石)。句碑は向かいの円覚寺の帰源院にある。

七草ではないが、のりうつぎ(水無月)が白さでは負けないわよ、と。


ヒオウギ

さて、墓地を参ろう。
小林秀雄の墓を背にしたこの通りの奥にお二人の墓がある。

まず、日本最初の金メダリストの織田幹雄の墓。

胸像の下の説明。日本最初の金メダリスト。1928年アムステルダム大会三段跳び(Hop Step Jump)

なお、日本人最初のオリンピック参加者は大河ドラマ”いだてん”の1912年ストックホルム大会の金栗四三と三島弥彦。
1964年東京五輪で日本中を沸かした東洋の魔女を率いた大松博文監督。鬼の大松と呼ばれ、根性論で金メタルを獲得。
なお、東京大会では16個の金メタルを獲得した。重量挙げの三宅義信を皮切りに、体操男子団体、レスリング、柔道。そして、銀メタルは、体操男子の種目別、柔道無差別の神永など5個、銅メタルは、競泳800リレー、女子体操団体、円谷のマラソンなど8個、計29個と大活躍だった。織田幹雄はこのときの陸上総監督を務めたようだ。

草葉の蔭で両首脳は現在の状況をどう思っているだろうか。来年の今日、コロナ退散大会として開催され、大会初日に金メタル1号が出て、日本中が沸き立っているといいのだが。
小林秀雄もオリンピックが好きで、テレビに釘付けになっていたようだ。とくに投てき種目が好きだったようで、こんな文章もある。或る外国の女子選手が、これから円盤を投げるところだ。彼女の顔が大きく映る。しきりに円盤に唾を付けている。この緊張した表情と切迫した動作は、一体何を語るのか。どんな心理、どんな感情の表現なのか。空しく言葉を求めていると、解説者の声が聞えて来る。口の中はカラカラなんですよ、唾なんか出やしないんですよ。私は、突然、異様な感動を受けた。解説者の声というような意識は、私には全くなかったからだ。ブラウン管上の映像が口を利いたと感じたからである。私は全身が視覚となるのを感じた。(オリンピックのテレビ)
小林秀雄の墓



それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

東京五輪の開会式が予定されていた24日、全国121カ所で一斉に花火が打ち上がる。日本青年会議所が「新しい日本をはじめる合図」と銘打って企画。新型コロナウイルスの影響で花火大会の中止が相次ぎ、苦境にあえぐ業者は「打倒コロナ」と意気込んでいる。写真は多摩川の花火(時事ドットコム)