気ままに

大船での気ままな生活日誌

明月院 花菖蒲チョー見頃 紫陽花ショー見頃

2008-06-09 09:00:24 | Weblog
明月院といえば、紫陽花。でも同じ頃に咲く、花菖蒲も見逃すことが出来ない。
日曜日の午後、紫陽花そして花菖蒲もそろそろではないかと偵察に行った。

紫陽花はほんのり青く、色づき始めてきていた。
ここのは、日本古来の姫紫陽花がほとんどで、淡い青色から濃い青色へと移っていく。ボクはこんな淡いブルーが好きなので、ボクにとっては今が見頃かな。
でも多くの人にとっては、”ショー(小)見頃”といったところかな。





花地蔵さんもお花見。”余もショー満足じゃ”。


この丸窓の向こうが花菖蒲園。ここからはみえない。


500円払って、庭園に入る。”チョー(超)きれい!”若い女性が素っ頓狂な声をあげる。みんなびっくりしている。最高に出来あがった状態だ。ボクもまねして”チョー見頃”宣言。





写生したりカメラに撮ったり。



遠目もいいけど、近目だって。




みんなが満足している姿をみて赤地蔵さんも、”余もチョー満足じゃ”。



ここ数日が花菖蒲の”チョー見頃”です。近くの方は是非観に行ってください。鎌倉一です。
紫陽花の”チョー見頃”は今週末でしょうか。


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円覚寺 今日の花と言葉

2008-06-08 17:40:25 | Weblog
梅雨の晴れ間、今日もブラリと北鎌倉へ。
円覚寺の紫陽花はどうなったか?。
色づきはじめた。あと少しで見頃か。



知らない間に、仏殿うしろの庭の、ひめつるそばが”満開”になっていた。


居士林前の苔も”満開”になっていた。


黄梅院の庭に、めずらしい花が咲いていた。チャボ藪手鞠。
紫陽花に似ているけど、スイカズラ科ガマズミ属だとのこと。
”花と蝶”。森進一の歌を思い出す。♪花のいのちは 短いけれど 蝶のいのちもはかなくて 花が散るとき 蝶が死ぬ そんな恋する 二人になりたい♪ 




黄梅院の山門前にこんな言葉が。
”花には散ったあとの悲しみはない、ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ(坂村真民詩集より)” なるほど。

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マティスとボナール展 in 葉山

2008-06-08 11:06:54 | Weblog
葉山の県立近代美術館で開催されている”マティスとボナール展”を観てきました。11時頃到着し、一回り見学したあと、午後から企画担当された学芸員によるギャラリートークがあるというので、昼食後、それにも参加しました。素人のボクにも分りやすく説明してくださり、ふむふむ、なるほど、こうゆうふうに美術史的に鑑賞するのも、面白いなと思いました。

マティスとボナールは2才違いの同世代です。19世紀末から20世紀初めの時代、それまでの高い精神性を追求してきたヨーロッパ美術に代わり、もっと身近な普通の人々が楽しめる”装飾的”絵画を復活させようと気運が盛り上がってきた時代です。ボナールは改革グループであるナビ派の中心画家として活躍し、彼自身、”ジャポナビ(日本かぶれのナビ)”とあだ名されるほど、日本の浮世絵等の影響を受け、平面的形態や大胆な空間処理を取り入れるようになります。この絵がボナールの画家としての出発となったものです、と学芸員の先生が”フランス・シャンパーニュ”(シャンパンの宣伝ポスター)を指されました。これを含め、ロートレック風の作品がいくつもありました。

一方、マティスはフォーヴィスム(野獣派)を推進し、強烈な色彩を使い、さらに芸術を単純化(”率直化”)する、とゆう方向に進み、絵画の改革を目指します。この絵などが典型的なものです、と色彩では、”ラ・ムラド(コリウール風景)”、形の単純化では”ピエールマティスの肖像”を先生が指し示しました。ふむふむなるほどと思いました。

そのあと時代別に詳しい説明がありましたが、ボクが面白いと思ったのは、ボナールは、絵の鑑賞者にいろいろ考えさせるために、仕掛けをいくつも絵の中に仕込んであるということでした。たしかにそうです。花瓶のようで花瓶でないよう、でやっぱり花瓶だ(笑)とか単純に理解させない絵がいくつもあるのです。

マティスでは、”色彩とデッサンの永遠の葛藤”への解決に切り絵手法を用いたのも面白いと思いました。ボクは、この切り絵風の絵が、マティスの絵の中では一番分りやすく、かつ、うつくしいと感じました。

ふたりは生涯交友関係にあり、晩年を、地中海の光りが溢れる南仏のコート・ダジュールですごします。信頼関係を示す、ふたりの言葉を紹介して終わりたいと思います。

絵画万歳!有情を込めて マティス
私はひとりではないと感じたいとき、君のことを考える ボナール

。。。。。
ボクが買った絵はがきから。

浴槽の裸婦 (ボナール)


花咲くアーモンドの木 (ボナール)遺作


ベールをかぶった女 (マティス)


ジャズ Lagoon (マティス)
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植田ジャパン、16年ぶり五輪決める!

2008-06-07 20:44:17 | Weblog
速報です。現在20時21分。ネット速報の試合をチェックしています。3対2で見事、強豪、世界ランク6位、アルゼンチンを撃破。植田ジャパン、16年ぶり五輪出場決めました。やった!!

現在やっている”実況”は、生中継風ですが、実は録画です。今”テレビ実況”では、まだセット1:1です。少し前の時間の試合を放送しているのです。ボクはこういうときは必ず、ネット実況をみてます。最終セットも大接戦でした。はじめリードしていたのですが、追いつかれ、ジュースジュースでしたが、最終的に、20対18で勝利しました。

今テレビでは第3セットに入っていますが、もう実際は、選手たちは祝杯をあげているはずです。
ばんざい、万歳、バンザイです。

さあ、これから、10時からは、サッカーですね。これは生中継でしょう。オマーンに負けるわけにはいきません。みんなで応援しましょう。猛暑の中、俊輔がやってくれるでしょう。がんばってね、こちらも一気に決めましょう。
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和みの展覧会

2008-06-07 18:17:26 | Weblog
ボクのうちの近くの鎌倉芸術館では毎週のように、何らかの展覧会があります。それもプロの美術・工芸家等の展覧会というよりむしろ、市内や近郊の美術教室等の生徒さんたちの発表会みたいなのが多いのです。いつも、そのレベルの高さに驚いています。今日は”マチスとボナール展”を葉山で観てきたのですが(明日紹介するつもりです)、その帰りにちょっと覗いてきました。三つの会場で、それぞれ、ステンドグラス、フラワーアレンジメント、そして植物画が展示されていましたが、会場に入ったとたん、ほんわかした気分になり、いいなと思いました。十分、和ませてくれました。和みという点では、マチスやボナールに負けないと思いました。

二会場で写真OKでしたので、お裾分けしたいと思います。和んでください。
。。。

ステンドグラス




フラワーアレンジメント




植物画は写真ダメでしたので、そこでいただいた絵はがきの写真を載せます。それに、ボクが数日前ここで紹介した、フェイジョアの、とてもよく描けた植物画がありましたので、帰り道、その花をまた撮って、代わりに載せてみました。本当は並べて載せたかったのですが。写真ぐらいいいと思うんですがね(笑)。






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タイサンボク、ヒメシャラそしてホオズキの花

2008-06-07 09:17:56 | Weblog
今朝の散歩道で気づいた、タイサンボク、ヒメシャラ、そしてホオズキの花。

タイサンボクは大きな、何事にも動じない、堂々たる木です。その木がハクモクレンのような大きな蕾をもっているのを数日前観察してました。そして、朝散歩の往きに、その蕾がさらに大きく膨らんでいて、もう開花宣言でいいかなと写真を撮りました(左写真)。一回りして、1時間後、そこを通りかかりましたら、こんなに開いていました(右写真とトップ写真)。一気に開くもんなのですね。



つるつる肌の色っぽいヒメシャラの木。ひょうきんそうでもあります。箱根の恩賜公園のヒメシャラ林をみてすっかりフアンになりました。”箱根の木”だそうです。ボクの散歩道にも、一本のヒメシャラの木があります。その木に白い椿のような花が咲いていました。ツバキ科 ナツツバキ属だそうです。花ははじめて見ました。来週あたり、花咲くヒメシャラ林に行ってみたくなりました。



そして、お寺の境内のほおずきの花。これはもう、1週間ほど前から気づいています。だいぶ花も増えてきましたが、まだ咲き始めです。本当に目立たない花です。ほとんどの花がうなだれていて、生きていて申し訳ない、といった感じで咲いてます。でも、もしかしたら”実るほど頭をたれる稲穂かな”かもしれないと思いました。謙虚で礼儀正しいのかもしれません。



昨日、都内の教会で、大学同級の友のお別れ会がありました。今朝の散歩道で、彼は花にたとえると、どんな男だったのかな、と想いめぐらしてみました。堂々としていた、タイサンボクのようだったな、教育者としても研究者としてもがんばり、大きな花を咲かせたもんな、でも、ヒメシャラのようでもあったな、男の色気があったし、ひょうきんなとこがあって、学生時代はよく皆を笑わせていたっけな。ホオズキのようでもあったな、おまえは意外と繊細なところもあったし、謙虚な一面もあったな。

おまえが逝った日は、こんな花々が咲いていた頃だったなと、いつまでも憶えておこう。
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岡鹿之助展

2008-06-06 10:03:27 | Weblog
梅雨の晴れ間の、その日、ボクは銀座から京橋のブリヂストン美術館に向かった。そのときも、”気の向くまま散歩”だったから、その美術館で、はっきりと、誰れそれの展覧会があると知ってての行動ではなかった。ただ、そこで、ボクの関心のある画家展があるはず(何かの情報から得たものだが)だと出向いたのだ。

岡鹿之助展であった。もし意にそわない画家の展覧会であれば、日本橋の美術館に行こうと思っていたのだが、ためらいなく、この美術館に入った。点描画法による、ほのぼのとした、というか幻想的というか、なんともいえない印象を与えてくれる岡鹿之助画伯の絵を好ましく思っていたのだった。でも、考えてみると、このように岡鹿之助展として主要な作品を一同にして観るのは今回が初めてであった。

展示構成が面白かった。題材別のグルーピングなのだ。第1章は”海”、以下、掘割り、献花、雪、燈台、発電所、群落と廃墟、城郭と礼拝堂、そして、最後の章は融合である。なるほど、年代順の構成より、こういう分け方の方が、岡画伯にはあっているなと見終わったあと、そう思った。

ボクの好みは、第4章、雪であった。中でも、”積雪”が気にいった。音声ガイドによると、この雪の白は、キャンパスの白地の感じをそのまま利用したものだそうだ。川の中州の雪、橋の雪、屋根の雪、山の雪と、画面いっぱいに拡がる雪は本物の雪よりうつくしく感じた。モネの雪、先月観たばかりの東山魁夷の雪とも違った雪だった。白と褐色が、画伯の好きな色だそうだ。そういえば、この絵もこの二色が他の色を圧倒している。

雪は、この章ばかりでなく、ほかの章の絵でもたびたび顔を出す。岡鹿之助の代表作とされる”雪の発電所”もそうだ。雪が好き、白が好き、絵をみれば黙っていても画伯の好みがわかってしまう。

そして、三色スミレが好き、これも黙っていても分ってしまうなと思った。第3章の”献花”では三色スミレのオンパレードだ。ボクが面白いと思ったのは、どの三色スミレも、花がまるで、ひょうきんな子供の顔か、かわいい子犬の顔にみえてくるのだ。ボクだけが感じていることかもしれないが、本当にそう思ったのだ。そして、岡画伯はきっと家の回りに三色スミレを植えて、愛犬のように可愛がっていたのではないかと、いらぬ想像までしてしまった。

最後の章の最後の絵が、遺作の”段丘”であった。説明によると、丘の瀟洒な家々は、画伯が住んでいた田園調布の家並みをイメージしたものだそうだ。そして、右手前にはオレンジ色の三色スミレが一鉢。それは段丘を見下ろしているのではなく、こちらに視線を向けている。この三色スミレが画伯だなということが一目で分る。でも、このスミレだけは、いつものひょうきんな顔ではなく、すました顔をしていた。お別れのサインなのだろう。

ボクはこの絵をみながら、ふと前日に訃報を知らされた、大学同級の友人のことを想った。日曜画家であった彼は、どんな絵を遺したのだろうかと、想った。今日はこれから、彼のお別れ会に出掛ける。

。。。。。

積雪


遊蝶花


段丘


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梅雨の晴れ間に 銀座で水芭蕉

2008-06-05 17:39:26 | Weblog
麻布十番の永坂更科でおいしい太兵衛蕎麦をいただき、ボクは地下鉄大江戸線で大門(浜松町)に出て、そこからJRに乗り換え、有楽町に降りたちました。銀座で、尾瀬の水芭蕉が咲いているという某新聞ニュースを、今朝の湘南ライナーの車中で知り、是非みてみたいと思ったのです(相当のミーハーです;汗)。

その某産経新聞ニュースには、”銀座に尾瀬がやってきた。国立公園に指定されている尾瀬から取り寄せた水芭蕉、約250株と木道で銀座に”尾瀬”を再現。都会のオアシスになっている”とあり、見事な水芭蕉の写真が一面真ん中に大きく出ていました。

でも、銀座といっても広うござんす、一丁目から八丁目、いったいそれはどこにあるんでごわすか、その場所を書いていないのでやんす。写真をみても水芭蕉を中心に裏側から撮っているので、回りのビルの風景がよくわかりません。でも、ボクはピンときました。ミーハーなボクを喜ばすことをやるのはミーハービルのあそこしかない、絶対にあそこだ、と思ったのです。有楽町駅を降りて、まっしぐら、そこへ向いました。

あああああった・・。やっぱり、思った通り、ソニービルでした。晴海通りと西銀座通りが交叉した四つ角に面したあの場所です。いつもなにかしら季節の展示をしていて、オアシスのようになっている、あの場所でした。

よくできていました。木道までつくり、人口沼地に、今、まっ盛りの水芭蕉がたくさん植えられていました。そして、背景に尾瀬沼の大きな写真が飾られ、五木ひろしみたいに目を細めてみると、本当の尾瀬沼に行ったような気がしてきます(少しおおげさですが、ぺこり)。では、まずその写真から。



そして、目を大きく開いて、個々の水芭蕉に焦点を。ボクは今年初めてです。箱根の湿生花苑でも咲き終えていたし、まだ一度もみていなかったのです。





新聞の写真に挑戦しようと、水芭蕉側から撮ってみました。木道は歩けるようになっていてうしろに回れるのです。なかなかうまく撮れません、さすがプロの腕は違いますね。





ミーハーなビルなんて、言ってしまいましたけど、そんなことはありません。マジメなビルでした。5日の世界環境デーに向けて、環境保護意識を高めようとのイベントなのです。この点については、ボクも賛成の賛成なのだ(まだ天才バカボンの口癖がぬけないのだ)。



8日まで開催していますので、近くを通りかかりましたら、みてあげてくださいね。近くの熊本館で、ワイフへのおみやげに”いきなり団子”を買って帰りました。ついでに、そこも寄ってくださいね。
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梅雨の晴れ間に 自然教育園

2008-06-05 10:29:07 | Weblog
昨日の、梅雨の晴れ間に、目黒の自然教育園を散策してきました。ここでカワセミの子育ての生中継をしてると、先日の新聞記事で知ったからです。それに、あそこの自然林を久し振りに歩いてみたいなとも思っていました。

正門を入ってすぐの、展示室の片隅で、テレビ生中継をやっていました。そして、”5月25日に1羽、26日に6羽、合計7羽の雛が無事巣立ちました。現在は親子9羽で園内で、餌取り、水浴びの訓練が行われていると思います。暖かく見守ってください”という案内がありました。しばらくそのテレビ画面を観ていましたが、残念ながらカワセミの姿をみることが出来ませんでした。



うまくすると、カワセミの子育ての場を目撃できうかもしれない、と先ず、”水鳥の沼”を目指しました。しかし、そこにはコサギが一羽いるだけでした。しばらく待っていましたが、カワセミちゃんは現われてくれませんでした。都心とは思えない静かさでした。静かさや 沼にしみいる セミ(カワセミ)の声 (汗)



水生植物園の方に遠征しているかもしれないと、そちらに向いましたが、そこにいたのは、青い目をしたカワセミちゃんたちでした。”自然教育”の時間のようです。野花菖蒲も開いていました。





森の中で、巨大な松をみつけました。”大蛇(おろち)の松”といあだながついているそうです。北鎌倉には大蛇桜がありますよ(エヘン)。


”物語の松”、というのもありました。江戸時代、松平讃岐守の屋敷跡だったのでその庭園の松だったそうです。明治時代は火薬庫だったそうですから、この松はいろいろの物語を知っているのですね。


”意地ダス 木のブタ”とありましたので、デブの木がメタボ検診に反対して意地でもやせない、と言っているのかと思いました。ボクもはんたいのさんせいだす。よくみたら、逆さ読みしてました(汗)。



”おならくさい稚児”かと思ったら、コナラとクサイチゴでした(汗)。


”盗人萩”と思ったら本当に”ぬすびとはぎ”でした。かわいそうにね、へんな名前つけられて。”霜柱”と思ったら本当に”しもばしら”でした。でもこれはぴったしかんかんの名前ですね。この冬、大船フラワーセンターではじめて霜柱状になった枯れ枝をみました。



あぶらちゃんの下で油汗かいてる羊歯ちゃんがいました(汗)。


いろいろ楽しめた、自然教育園でした。そこからバスで麻布十番に出て、更級のお蕎麦を食べました。そして、ボクは銀座に向かいました(つづく)。


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北鎌倉 琳派の記憶

2008-06-04 08:16:17 | Weblog
”北鎌倉 琳派の記憶”というタイトルで、地元のミニコミ誌”湘南通信”に北鎌倉の古陶美術館のことが載っていました。そこは以前、尾形乾山六世の娘さん乾女(奈美)さんが住んでいたところで、その美術館では紫陽花の時期に、乾女さんの作品の展示をしているのです。ボクは去年も今頃、見学しましたが、この記事を読み、また行ってみたくなりました。

去年のブログでも紹介しましたが、乾女さんは、尾形乾山六世の娘さんですから、七世を継ぐ資格があります。しかし、当時は女は窯場に出入り禁止という時代で、若いときに陶芸の勉強ができず、女子美を出てからは、堅山南風の弟子になって日本画の勉強をしました。会場に飾られている「楽人の妻」で帝展入選を果たし、日本画家として世に出ます。でも血は騒ぐのでしょうか、還暦を過ぎてから、北鎌倉の河村蜻山(”陶芸”という概念を生み出した陶芸家)の明月窯で陶芸を学び、たくさんの作品を発表しますが、七世は継承せず、尾形乾山の名跡を断絶する道を選びます。

尾形乾山六世はバーナードリーチや富本憲吉を弟子にとり、ふたりに免許皆伝の意味をもつ伝授書を手渡しますが、両人とも七世の継承はしませんでした。これもまた、あまり知られていませんが、近くに住む魯山人も六世の窯場に出入りをしていました。当時、北鎌倉はすごい陶芸家が集まっていたのです(エヘン、ボクがいばることではありませんが)。

ボクはこの早春に、熱海のMOA美術館で”乾山の芸術と光琳”展をみて、乾山(一世)の芸術に惹かれましたので(魯山人も乾山を高く評価しています)、去年とはまた、違った目で、琳派の流れをくむ乾女さんの作品を観ることができるのではないかと思いました。

また、現在の館長さんが蒐集し、展示している古越前、古丹波、古備前、古信楽等の作品も、この春、箱根美術館での古陶磁器展で、少し目を慣らしてきましたので、これも去年とは少しは違った目で観られればと思いました。撮影可能でしたので、ご紹介しながら若干の感想を述べてみたいと思います。

乾女さんの大作、”十二ヶ月屏風”。すばらしい植物画です。このほかにも、乾女さんの作品は、野草、草花を題材にしたものがとても多いです。庭園内の草花も乾女さん時代からのものが継承されています。いつもここでスケッチされていたのでしょうね。


陶芸品もたくさん展示されていました。小品に素敵なものが多かったように思います。たしかに作風は”琳派の記憶”が感じられます。




これは六世の作品です。日本橋三越での個展を開催するため用意していたほとんどの作品が、大正12年の関東大震災で壊れてしまいます。自分が永年かけてつくってきた代表作がことごとく消失してしまう、陶芸家にとって、こんな衝撃はないと思います。それがひきがねとなり、身体が弱り、同年、亡くなられます。ここの展示作品はそのとき残ったわずかな遺品だそうです。これらも、もちろん”琳派の記憶”が感じられます。





常設展の、古越前、古丹波、古備前、古信楽等の作品。右はボクの気を惹いた信楽の壺。去年はちらっと観た程度だったと思います(笑)。今年はたっぷり時間をかけて鑑賞しました。



乾女作品も、古陶器も、去年より面白く鑑賞できたように思います。来年も、より面白く鑑賞できるようになりたいです。



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