気ままに

大船での気ままな生活日誌

興福寺仏頭展 芸大美術館

2013-10-16 11:25:49 | Weblog
十二神将立像が居並ぶ大部屋の向こうに仏頭が鎮座している。この光景を目の当たりにしたとき、はからずも、熱いものが胸に込み上げてきた。事前に仏像たちの物語を知っていたからだろう。以前、東金堂の本尊であられた”仏頭”が十二神将と一堂に会するのは、何と、700年振りということだ。応永18年(1411)の落雷による東金堂火災で、薬師如来は避難できず、仏頭だけが本尊台座内にお隠れになっていたが、昭和12年(1937)に発見されたのだ。

さらに歴史を遡れば、この薬師如来は飛鳥の山田寺のご本尊であった。天武7年(678)に鋳造を開始し、14年(685年)に完成したと記録にある。鎌倉時代の興福寺復興期に山田寺から東金堂に”栄転”されたのだ。そして、あの悲劇が起き、長い歳月が流れたのであった。

仏頭(薬師如来像頭部)。 白鳳仏らしいおおらかなお顔。”白鳳の貴公子”とも呼ばれている。仏頭だけの国宝はこれだけ。金銅仏だったが、その再現がうしろの映像で観ることができる。ますます神々しくなられていた。 


木造十二神将。これも国宝。全国で国宝の十二神将は4組だけ。
みな自分の干支の神将を取り囲み、年がわかって面白かった(爆)。酉の神将は一番のイケメンでいてほしかったが、そうはいかず残念。ついでながら前日の展覧会で泉鏡花が酉年であることを知った。それで兎の置物を蒐集している。自分の干支から数えて七番目のものをもつと、その人のお守りになるそうだ。


別室で、もうひとつの国宝十二神将もおでましだ。3センチの厚さの檜材を使用したレリーフ彫刻の傑作”板彫十二神将像”。ひとつも損なわれず、現在まで残った。正面向きが1面、左向きが6面、右向きが5面で、仏像の台座を囲んでいたようだ。その配置を想像して、展示されている。酉だけではなく、どれも、立体感もあり、とてもすばらしい十二神将像だった。


入場して、迎えてくれるのが、”厨子入り木造弥勒菩薩半跏像”。厨子は別に、うしろにおかれている。六角厨子の両開き扉、天井、どこをみてもうるわしい仏画で飾られている。

木造弥勒菩薩半跏像。 うっとりするお姿


そうそう、調布の深大寺からも白鳳仏が訪ねてきていましたよ。深大寺も、もとは法相宗だったとのこと。三鷹に住んでいた子供時代はよくだるま市に行ったけ。

銅造釈迦如来倚像。


法相曼荼羅図。




すばらしい展覧会だった。興福寺にも、また行きたくなってしもうた。

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やなせたかしさん さようなら

2013-10-15 20:47:53 | Weblog
やなせたかしさんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
でも、94歳まで、ほとんどお元気ですごされたのだから、うらやましい人生。

あんぱんまんなどの漫画家、絵本作家であり、また詩人でもあったやなせさん。有名な”手のひらを太陽に”も好きだけど、この”ノニ”も好きだった

ノニ (やなせたかし)

ああすればよかったノニ
こうすればよかったノニ
ノニノニ言ってもかえらない

今頃後悔しても駄目なノニ
人生終わりそうなノニ
それでもノニノニ
くりかえす


かとおもえば、どきんちゃんのような娘にもやさしい目を向ける。

ドキンちゃんの歌 (やなせたかし)

私はドキンちゃん なるべく楽しく暮らしたい
お金はたくさんあるのがいい おいしいものも食べたいし 
遊んで毎日暮らしたい
そんな私よ ドキン・ドキン
わがままなのよ ドキン・ドキン・ドキン




そうそう、こんな詩もあったっけ。

こぼれたバン屑は (やなせたかし)

こぼれたパン屑は
もうなんの役にも
たたないようにみえる
でもないような虫に
とってはありがたい
天のおめぐみで
生きられる


・・・・・

この日、ぼくは辻堂駅で”秋田の行事と小百合”をみつけた。シリーズ第7弾。東京、逗子、茅ヶ崎、大船、駒込、上野駅に次いで7番目。この順序は、ほぼ、この地域に住む人々の文化度のレベルにばっちり比例しています。 
横浜、鎌倉駅がんばって!ベスト10からはずれるぞ。


米寿のときのやなせたかしさん。さようなら。





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種田陽平による三谷幸喜映画の世界観展

2013-10-15 11:36:43 | Weblog
三谷幸喜の演劇は、すぐチケットが完売になるほどの人気で、まだ観たことはないが、三谷映画は観ている。最近では、ステキな金縛り、THE有頂天ホテルなど。だから、上野駅で”三谷幸喜映画の世界観展”のポスターを目にしたときに、つい、ふらふらと夢遊病者のように上野の森美術館に迷い込んでしまったのだ

でも、今回の展覧会の主役は、三谷幸喜ではなく、種田陽平である。三谷の映画はロケ撮影はほとんどせずに、セット内で行われるが、その、巨大”舞台装置”をつくるのが種田陽平である。

たとえば、”マジックアワー”では、スタジオ内に守加護(すかご)という港町全体をつくってしまう。港ホテルもまるで本物みたい。だからホテルの二階の客室の窓からはパラダイス通りを見渡すことができるのだ。

”THE有頂天ホテル”では、日本の戦後の復興期がはじまる頃に誕生したホテルをイメージしてつくられた。横浜のホテルニューグランドをリサーチして、HOTEL AVANTIが完成した。AVANTIはイタリア語で”どうぞこちらへ”の意味。そのホテルの看板、フロア案内、宿泊用のガウン、スリッパなども展示されているが、本物そっくり。ホテル全体をつくるわけにはいかないが(笑)、ミニチュアはつくり、その写真をパンフに載せ、フロントカウンターに置き、さりげなく観客にみせるようにしているのだそうだ、(気付かなかった

”素敵な金縛り”では裁判シーンが見せ場のひとつだが、日本の法廷は見栄えが悪いので、アメリカ映画に出てくるようなクラッシクなすり鉢状の法廷にしつらえた。西田敏行演じる落ち武者の幽霊の赤い陣羽織も展示されていて、映画のシーンを想いだし、吹き出してしまった。

そして、未公開の最新作の”清洲会議”では、信長の死後、後継者を決める会議が清洲城で行われる。清洲城も史料に残っていないが、当時の建築物を参考にしてミニチュアを構築。そして、柴田勝家の居室の、ユーモラスな虎が描かれた襖絵が展示されている。ほかに、お市と秀吉の扇子とか、金平糖入れ、秀吉がお市に贈る獅子香炉、おかしな”でくのぼう”など小道具も置いてある。三谷映画では小道具も芝居にうまく取り入れてくれるので、小道具担当者もやりがいがあるらしい。おまけに、ここでは、30分のビデオの中で、三谷さんが清洲会議のセットを詳しく説明してくれる。各武将の控室の襖絵や屏風なども、ずいぶん考えているようだ。映画は総合芸術だということがよく分かる。

種田陽平は三谷映画だけではなく、台湾、中国など国際的にも活躍していて、その紹介もある。それぞれの監督から絶賛の言葉が贈られていた。せっかく作ったセットを壊してしまうのはもったいないですね、という問に、種田はこう答える。美術部の仕事は”終わらない学園祭”みたいなもので、一つの祭りが終われば、次の祭りに。

でも、彼らの作品は映画の中で永遠に残るのだ。さあ、11月9日から始まる”清洲会議”、今度は、三谷さんだけでなく、種田さんもよく観ようと思う。

上野の森美術館


”素敵な金縛り”の法廷風景。ここは撮影可能。


”清洲会議”の清洲城


”清洲会議”
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芸大のバルザックと天心像

2013-10-14 21:16:28 | Weblog
今日の上野行きは、家を早く出たので、三展制覇をもくろんでいた。ひとつは芸大美術館の興福寺仏頭展、そして、ターナー展と上海博物館展だった。しかし、予定は未定とはよく言ったもので、ものの見事にはずれてしまった。横やりが入ったのである。上野駅を降り、公園入り口でみたポスターにぐぐぐと惹かれてしまった。上野の森美術館である。種田陽平による三谷幸喜映画の世界観展。よし昼飯前にここを一丁上げて、一日4展の記録をつくるのも悪くはないと、入った。ところが、これが、また面白くて、なんと2時間近く費やしてしまった。30分のビデオも全部みてしまったし。

これで予定が狂ってしまい、結局、仏頭展だけ観て、ターナーは次回までターナー上げ、シャンハイ展はシャン、シャン、ハイと手を打って、これも、次回回し、としたのだった。仏頭展の時間を切り上げればよかったのに、言う人もいるかもしれないが、これも、また面白くて、たっぷり時間を使ってしまった。おまけに、いつもはすぐ美術館に入るのに、この日に限って、大学構内で高村光雲像をみつけたのがきっかけで、芸大銅像巡りをしてしまったのだ。

そしたら、西美にもない、ロダンのバルザックを見つけたし、通称”奥の細道”の小さな原生林の中に岡倉天心像を見つけたのだ。ハマ美の大観展でも飾られているのを観たばかりで、天心さんが呼んでくれたのかも。そのほか、いくつも銅像を見つけたが、ぼくの知らない人ばかり。あとで調べたら、橋本雅邦、安井曽太郎、藤島武二像もあるんだってね。次回、ゆっくり探してみようと思う。

高村光雲像


ロダンのバルザック像。


岡倉天心像。平櫛田中作で、のちに美校教授となり、登下校の際、初代校長の天心先生像に礼をしていたという。


これは国宝仏頭でざんす。


これは、光雲作の老猿でなくて、ほかの作家の天狗猿ざんす。


芸大でバルザックと天心像を見つけただけでうれしかったのに、上野駅構内で、漸く”秋田の行事と小百合”がみつかったのもいとうれしけりかな、カナカナミツカラナイ。

”秋田の行事と小百合”シリーズ第6弾、上野駅。東京、逗子、茅ヶ崎、大船、駒込駅に次いで6番目。この順序は、ほぼ、この地域の文化度、芸術度のレベルに比例しています。上野駅が、ベスト10内に入ってほっ!。横浜、鎌倉はまだでざんす!!明日までにポスター貼ってちょ!

秋田の行事と小百合#6 上野駅
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川瀬巴水と土屋光逸/土井コレクション展

2013-10-14 08:34:05 | Weblog

東に巴水展があれば行って、良かった言ってやり、西に巴水展があれば行って、また来るよと言ってやる。そんな巴水好きが、はじめて訪ねた礫川(こいしかわ)浮世絵美術館。東京ドームの裏にあるが、すぐに見つからず、通り過ぎてしまい、じゃあ、お昼が先だと、ラーメン屋さんに入ったら、その中華蕎麦のおいしいこと。元の道を戻ったらビルの5階にあることを知る。

土井コレクション展第5弾という。土井さんらしき方が展示室内におられ、客にお話しされているのを小耳にはさみながら見学。メインウインドウーには、巴水と光逸の芝増上寺の雪景色が並んでいる。そっくりな雰囲気。まるで、兄弟弟子みたいだが、巴水の先生は清方で、光逸の師は小林清親。おふたりの対照表が貼ってある。巴水、光逸それぞれ、明治16年(1883)と明治3年(1870)生まれ。享年は74歳と79歳、版元は渡邊庄三郎と土井貞一、生涯作品は781と154、制作期は1918~57と1932~41とある。同時期の人だが、光逸の新版画スタートは60歳過ぎということを知る。

テーマが”新版画の双璧による郷愁の東京風景”ということで、巴水は”東京二十景シリーズ”、光逸は”東京風景12枚綴り”のすべてが展示されている。巴水のはどこかで観ているものが多いが、巴水ブルーの夜の景色や雪景色にうっとり。光逸のは、これまであまりみたことがなく、思い出すのは、由比の東海道広重美術館でやはり巴水と一緒にみたこと。光逸は浜松の出身ということだ。

土井氏は彫り、摺りにも造詣が深く、彫師、摺り師の名前まで調べている。今回の、光逸の作品のはすべて、絵の枠外に職人の名前が入れられている。やはり、高い技術をもつ職人さん集団がいてこそ、いい木版画が生まれる。現在はさびしい限りだそうだ。そういえば、16世紀の西洋版画の隆盛期には、フランドルのアントワープやアムステルダムに優秀な彫師、摺り師がうんかのごとく集まってきたということだった。

本当に、版画を鑑賞するには、やはり額縁のガラス越しにみるのではなく、手に取って、摺りの微妙な違いなどを確かめながら観るのが一番です、とも言っておられた。コレクターならではの楽しみですね。

清親は、三菱一号館でたくさん見せてもらったし、今回は光逸。この二人の間をとりもちながら、真ん中で輝いているというのが巴水、これがぼくの印象だ。

さあ、次の巴水展は何処か。東か西か。千葉方面から匂ってくるぞ。楽しみじゃわい。

巴水(芝増上寺、大正14年作) 光逸(増上寺の雪、昭和8年作)


巴水(東京二十景シリーズ)

明石町の雨後


池上市の倉


月島の雪


光逸(東京風景)

根津神社


四谷荒木横町


・・・

おっ、あまちゃん総集編が始まったナ。おらあ海が好きだ。上野も好きだ。これから行くんだ 三展制覇だ!

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ジャズを聞きながら ハマ散歩

2013-10-13 19:05:40 | Weblog
この土・日、横浜はジャズで沸き立っている。日本最大級のジャズフェスティバルが開かれ、街のあちこちでライブが楽しめるのだ。今年も、ジャズを聞きながらハマ散歩。

まず、桜木町駅前のクロスゲート前の演奏を聞いて、お昼は、そのビルでイタリアン、もちろん赤ワインも。ビルの三階に屋上庭園があって、そこでも十分、演奏が聞こえてくる。昼食後は、そこで楽しむ。特等席だ。来年もそうしよう。

屋上庭園からの演奏風景。


そして、弁慶橋を渡って。


その橋の麓に、こんなオブジェが。背景にも合わせてあるのかな。”運動と瞑想の必要性”という題だった。


そして、馬車道のこの建物。横浜創造都市センター。この中でもピアノとボーカルの女性ふたりのライブが。




そこを出て、東急の馬車道駅に入ったら、ここでもジャズ演奏。


電車に乗って、元町・中華街駅に。そして、港の見える丘公園へ。


秋バラが想像以上に咲いていた。




そして、神奈川近代文学館に。泉鏡花展。これが想像以上に良かった。面白くて、予定していた時間を大幅に過ぎてしまった。




元町商店街のライブは、もう終わってしまったかなと思ったら、ぼくを待っていてくれた。ありがとう。


ジャズを聞きながらのハマ散歩、めったにない、いい1日だった。

ワイフもお里帰りから無事帰宅。これから、おみやげの辛子蓮根と明太子で一杯。


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今日は上弦の月で上機嫌の日でもあった

2013-10-12 21:00:19 | Weblog
今日は上弦の月で上機嫌の日でもあった、なんて、おやじギャグまるだしのタイトルで、不機嫌になった方、ごめん。土下座します。 でも、本当なんだから。

まず、桜美人(桜の葉っぱ)に囲まれて、上機嫌な上弦の月。




今日はね、まず、文京区で上機嫌になったのサ。地下鉄丸の内線の後楽園で降りて、やっと捜した礫川(こいしかわ)浮世絵美術館。礫は小石と読む、なるへそ。ここでサ、川瀬巴水をみて、上機嫌になったのサ。詳しくは明日ネ。ひとつだけ、お見せしますヨ。月島の雪。この絵を選んだのは、画題名に月が入っているから。



そんで、次に向かった先は、南北線で駒込。久しぶりだなお富さん、じゃなくて、久しぶりだなおとよさん。おとよさんって、東洋文庫ミュージアムのこと。玄関でにっこり迎えた子たちに、ますます上機嫌。


2万冊以上のモリソン書庫に、ますますます上機嫌。


マルコ・ポーロ展に、ますますますます上機嫌。世界最大の東方見聞録・翻訳書コレクション。


そんでまた、隣りの六義園ですごい技術をもった大道芸さんをみて、”ます”の4乗の上機嫌。投げ銭もはずんだよ!お札だよ!!ぼくの友達の娘さんも大道芸の天才なのさ。それに、毎年、観に行く枝垂れ桜の前だしネ。





六義園の中でも上機嫌。茶店でお抹茶も頂いた。前の赤松がうるわしかったことヨ。


ススキもネ。


上機嫌は、ここで終わらなかった。ななななんと、じぇじぇじぇ、”秋田の行事と小百合”を駒込駅で発見したノダ。最高の上機嫌となったんでありんす。

”秋田の行事と小百合”シリーズ#5 
東京、逗子、茅ヶ崎、大船駅に次ぎ5番目。横浜、鎌倉駅はいまだなし。ほぼ、その駅周辺の文化度と比例しています。藤沢、横須賀、大磯、小田原、渋谷、北鎌倉でもみつかっていません。文化れべるが低い地域といってよいでしょう。


今日は上弦の月で上機嫌の日でもあったのでごぜえますだ。明日、オッ家内も、恒例の秋のお里帰りから10日振りに帰ってくるしね。家事をしなくてすむのがうれしいでがんす。それが一番の上機嫌の理由かもしれない。

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堀辰雄 生と死と愛と

2013-10-12 09:30:13 | Weblog
宮崎駿監督最後の長編アニメ、”風立ちぬ”が大ヒットロングラン中である。ぼくも早い時期に観に行っている。さて、この映画の”原作”というほどの関わりではないが、下敷きにしているのは堀辰雄の”風立ちぬ”。これにあやかって(笑)、没後60年記念”堀辰雄/生と死と愛と”展が鎌倉文学館で開催されている。

堀辰雄というと軽井沢だが、鎌倉とのかかわりをすぐ答えられる人はそう多くないと思う。展示室に入る前に、パネルでその辺りの情報を知ることができる。昭和13年に堀辰雄は結核治療のため鎌倉に来ている。そして翌年、室生犀星夫妻の媒酌で加藤多恵と結婚し、1年ほど小町(おんめさま、大巧寺の近く)に住む。なんと、新婚生活を鎌倉で送っているのだ。

東京に生まれ、軽井沢を愛し、追分に死す、堀辰雄の太く短い人生史がさまざまな資料と共に紹介される。

”風立ちぬ”コーナーでは、その小説が掲載された”改造12月号”、昭和12年の新潮社の緑色の表紙の初版本が展示されている。そして愛読書、ポール・ヴァレリーの選集も。そう、小説でも映画でも冒頭に出てきた言葉”風立ちぬ、いざ生きめやも”の原本だ。年下の友人であった立原道造宛ての手紙で”二人のものが互いにどれだけ幸福にさせ合えるか、がテーマだ”と書いている。

それ以前に、昭和8年、”聖家族”を書き上げた堀辰雄は大喀血し、1年近く軽井沢で療養生活を送る。この頃、矢野綾子と知り合い、翌年、結婚するが、彼女も結核に罹り、昭和10年に亡くなる。その翌年、彼女のとむらいのために”風立ちぬ”が書かれるのだ。

”奈緒子”コーナーがある。初展示という原稿があった。”奈緒子覚書”で、この中で堀辰雄は、”これは、小説らしい小説にしたい・・・ぼくのづっと以前に描いた”物語の女”に出てくる奈緒子という女性が大人になったような”と書き記してあった。7年間もかけて完成させたのこと。着想は鎌倉なのだ。えへん、えへん。

そういえば、映画の”風立ちぬ”の堀越二郎の恋人の名前も奈緒子だっけ! そこまで思いが至らなかった。

また、”風立ちぬ”を読んでみようと、文庫本をカバンのポッケに忍び込ました。

堀辰雄山荘:没後、深沢紅子夫妻が住み、その後、ここに移築された。数年前、軽井沢で撮った。


鎌倉文学館


庭の秋バラはこれから。ブラックティーだけよく咲いていた。


そのあと、稲村ケ崎の夕焼けをみに行ったが、もうひとつだった。




上弦の月にあと一歩。


とんび。おまえも、風立ちぬ、いざ生きめやも だね。


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横山大観展/良き師、良き友

2013-10-11 13:37:23 | Weblog
昨晩は”良き友”と岩牡蠣なんぞを肴に大酒をくらってしまったが(汗)、大観さんは、毎晩のように1升瓶を開けてたという。さて、その大観さんの展覧会がハマ美で始まったというので、初日ははずしてしまったので、2日目に観に行った。

第1回の文化勲章が横山大観と竹内栖鳳の同時受賞というのが面白い。その東西の横綱が、同じ時期に、横浜と竹橋で土俵入りしているというのもまたおどろき。偶然ではなくて、きっと、ハマ美と東近美の学芸員さんが、飲み友達で、酒の席で思いついた展覧会ではないかと推測してるんじゃ。

栖鳳さんは、動物画がぼくの好みだが、大観さんは何だろうかとアタマをめぐらしてみる。富士山好きなぼくではあるが、大観富士は高貴すぎて近寄りがたいなんて、ほざくこともあるが、やっぱりいいな

そうそう、墨画の長大な絵巻、”生々流転”は素晴らしかったなあ、あれは竹橋でみたっけ。あどけない童の”無我”はトーハクだったか、あれもほのぼのしてとてもいい。大倉集古館でみた”夜桜”も良かったしなんて、次々と出てくるではないでしゅか。

第1章 良き師との出会い/大観と天心
”村童観猿翁”。卒業制作で、猿回しを橋本雅邦先生、村童を11人の美校同級生の似顔絵で描いたものらしい。
”四季の雨”は、もう老体(朦朧体と打ったつもりがこう出た、大汗)。輪郭線を廃した画法でそう呼ばれた。若き日はむしろ酒に弱かったそうだから、少量の酒で頭が朦朧となって、描いた絵かもしれない。
”屈原”大学を追われた天心を屈原に重ねて描いた傑作。無念な表情がよく出ている。
”観音図”インドから帰ってすぐに描いた観音さま。インドの仏像さんのように人間的観音さま。
”流転”ガンジス川の風習をもとに制作
”釈迦十六羅漢図”これもインド帰りの作。羅漢さんが別嬪さんにみえる(笑)。

屈原


第2章 良き友/紫紅、未醒、芋銭、溪仙:大正期のさらなる挑戦
”虎渓三笑”軸装(三幅対)、”長江の巻”、”洛中洛外雨十題”と足を止めて、ちらし絵となった”秋色”が登場する。金屏風の夫婦鹿のうるわしいこと。そして、”霊峰不二”が現れる。本格的な富士シリーズが始まる前、大正期の作品。大観が富士山を尊敬している気持ちが伝わってくるような作品。”夜”では暗闇の中にミミズクが目をひからせている。ミミズクが好きだったらしい。

秋色


そして、良き友であった紫紅、未醒(放菴)、芋銭、溪仙の作品が並ぶ。重文の紫紅作、”熱国之巻 朝之巻 夕之巻”もここ。大観・観山・紫紅・未醒(放菴)合作 の”東海道五十三次絵巻”が見られるのも楽しい。実際、20日ほど旅をしながらスケッチしたそうだ。お酒の量も半端じゃなかっぺ。あいしんくそう。

東海道五十三次絵巻


”構図の革新とデフォルメ”という小見出しが入って、大観のそれに即した作品が並ぶ。”松並木””竹雨””江上舟遊”、なるへそ。

”主題の新たな探究”というコーナーでは、重文”瀟湘八景”が。漱石に”気の利いた様な間の抜けた様な趣がある”と評された作品だって、じぇじぇじぇ。”千ノ與四郎”。野間記念館でみたことがある、再会や。木の生い茂る庭の一隅に庭箒を手にたたずむ利休と名を変える前の19歳の千與四郎。

瀟湘八景より 


第三章 円熟期に至る
満を持して、”生々流転”と”夜桜”が登場・・・というわけにはいかなかった。登場したことはしたが、前者は習作やし、後者は小下絵だす(後期は本絵がきます)。でも、こういうのも、めったに見られないと思うと、文句もいえないどすえ。そうそう、”野の花”もいいどすえ。野の花に囲まれ、鎌を横に置き休息をとる娘さん(大原女)の顔の可愛いこと。奥さんの静子さんがモデルとのこと。たぶんこれは、野間の大観展でみたような気がするなと思って、所蔵先をみたらご近所の永世文庫だった。あるいは、こっちでみたのかもしれない。

夜桜(前期は下絵)


いろいろな大観がみられて、それに芋銭、紫紅らにも会えたし、楽しいひとときであった。

冨田渓仙 ”祗園夜桜” 


芋銭 ”肉案”


紫紅 ”熱国之巻”より


そうそう、山口晃画伯による、展覧会の登場人物の似顔絵もありました。その原画もどこかにあったそうですが、見逃してしまった。






山口晃さんの”ヘンな日本美術史”が小林秀雄賞受賞だって。ぜひ読まねば。来年は、春樹ノーベル落選の倍返しで、春樹と晃のW受賞だ。


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秋だというのに

2013-10-10 16:51:06 | Weblog
秋だというのに・・・ナヌ!この暑さ。 もう10月10日でごわすよ。1964年東京五輪開会式があった日。だから、この日は、北出清五郎アナウンサーの”世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます”でなければいけないのだ。

秋だというのに夏日和、メランコリーにならず(梓みちよのヒット曲にひっかけてあるんですが)、出掛けた先は大船フラワーセンター。ここでは、秋だというのに夏日和だけど、ちゃんと秋の花が一斉にに咲きはじめていましたよ。世界中の秋の花を全部大船に持ってきてしまったような、素晴らしい秋の花でございます

葉鶏頭


秋桜




ダリアと千日紅






秋の花といえばキク科

秋明菊


ゆうぜんぎく


はまぎく


くじゃくアスター


そして、サルビアの一種


そうそう、冬も楽しみ、シモバシラの花




もうすぐ、この季節というのにこの暑さ・・・笑ってる場合じゃないよ、おい。




大船観音さまとススキのツーショット。秋だからね。ちょっと離れすぎかな。


くっつけてしまおう。



そうそう、秋バラはこれからです。今度、行くときは本物の秋日和でおねがいします、おてんとうさま。


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