気ままに

大船での気ままな生活日誌

続・本土寺の紫陽花と花菖蒲

2016-06-08 10:16:17 | Weblog

2016年6月8日

本土寺の花菖蒲の園をみて、境内をぐるりと廻ると、紫陽花苑が待っている。あじさい寺といえば、鎌倉の明月院だが、ここもそう呼ばれている。お寺の案内にも、鎌倉の明月院、長谷寺と並ぶ紫陽花のお寺だと胸を張っている。たしかに、両寺に匹敵する見事さである。花菖蒲苑だけだと、明月院より上と言っても良いかもしれない。

瑞鳳門の先が紫陽花苑

歩いて歩いて


見頃に入っているが、まだ一層、きれいになるはず。でも、花菖蒲はそろそろ盛りを過ぎる。兼ね合いがむづかしい。



入り口の五重塔に戻ってきたときは雨が降り出していた。

参道沿いの漬物屋さんを覗いて、常磐線北小金駅へ向かった。

遠路はるばる来た甲斐があった、素晴らしい本土寺の紫陽花と花菖蒲でした。3万本のあじさいと6千本の花菖蒲に再会できるのはいつになるかな、なんて言うと(年寄りだけど)年寄りみたいなので、来年もくるぞ!その前に秋の紅葉に来るかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本土寺の紫陽花と花菖蒲

2016-06-08 09:03:04 | Weblog

おはようございます。昨晩、関東でも指折りの、三つの花菖蒲の名所を制覇したと、お伝えしましたが、それぞれ、くわしく紹介したいと思います。時系列に(笑)、まず、本土寺から入りたいと思います。

2016年6月7日

このお寺は、花菖蒲だけでなく、むしろ、紫陽花の方が有名で、”あじさい寺”とも呼ばれている。常磐線の北小金(松戸市)で降りて、長い参道を行くと正面に丹塗りの仁王門がみえてくる。格式のあるお寺で、池上の長栄山・本門寺、鎌倉の長興山・妙本寺と共に朗門の”三長三本”と呼ばれているという。長谷山・本土寺とも、山の名に”長”が、寺名に”本”がついているから。ぼくがよく散歩に出掛ける妙本寺と縁がある寺とははじめて知った。

現役時代は常磐沿線に住んでいたので、本土寺には何度か来ている。この時期と、晩秋の紅葉がまた素晴らしい。十数年振りの訪問となり、なつかしかった。参道横の漬物屋さんも相変わらず、繁盛していたし。

では、仁王門から入りましょう。青紅葉が朱塗りに映える。

まず、五重塔が現れる。

周囲に紫陽花が植えられているが、ここは序の口。

本堂にお参り。ここにも青もみじ。

お賽銭は熊本地震の義捐金に活用されている。家内もこの日、熊本に向かった。市内に弟、妹家族、友人がいる。

本堂横から順路に従って、紫陽花の小路を歩いてみましょう。

見事なもの。紫陽花ももう見頃。突然、目の前に花菖蒲の園が開けてくる。みな驚きの声!

花菖蒲の園を巡ってみましょう。

見事なものです。よくみると、終わっている株もあるが、紫陽花とのセットで楽しむには今が最適!





花菖蒲の園を離れて、紫陽花苑に登る途中、上から眺める菖蒲田。はじめに入ってきた道がみえる。



さて、画像もだいぶ増えてきましたので、ひと休みして、紫陽花編は次回にいたしまする。

では、みなさん、今日も一日、お元気で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルガモ日誌(13)三つの花菖蒲名所を制覇した日

2016-06-07 21:57:34 | Weblog

こんばんわ。今日もカルガモ日誌をつづることができたことを喜びたいと思います。ただ、今回は、ごらんのように、休んでいたのか警戒していたのか、子鴨どうしが重なり合っていて、数を確認することが出来ませんでした。大丈夫と思うけど。

もしかして、この子の視線におびえていたのかも。

今日は遠出。まず、松戸市の本土寺の花菖蒲と紫陽花をみて、さらに、葛飾区の花菖蒲の名所、水元公園と堀切菖蒲園にまで足を延ばした。今日一日で、関東地方でも指折りの花菖蒲の名所を三つ制覇した。それも、最高の見頃のときに。これは、ぼくの人生史でもめったにない快挙といっていい(汗)。詳細は、明朝に報告するとして、ハイライトだけ以下に示したいと思います。

本土寺

水元公園

堀切菖蒲園

今日から数日、家内は郷里へ。夕飯は自由ということで、上野のウナギ屋さんで、不忍の池を眺めながら、お酒をいただいた。

大満足な一日だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明月院 紫陽花、花菖蒲 共に見頃に

2016-06-07 08:13:20 | Weblog

2016年6月6日。 6が三つ並んだおめでたい日に(?)、明月院の紫陽花と花菖蒲が共に見頃になりました。紫陽花が色づき始めてから3度目の訪問でした。ここは、ブルー一色の姫紫陽花がほとんどで、境内が、まるで、雨過天青の北宋如窯の青磁にうづまったみたい。

山門前

竹藪前

参拝者の入れない柵の向こうでも見事なさきっぷり。

同じ株で、三種類の花? 病気かな?

うつくしい雨過天青の色

さて、丸窓の向こうの花菖蒲園はどうでしょうか。前回、見頃に入りましたが・・・

今回は、はい、見頃、絶頂に入りました!

ここ数日中に訪れれば、紫陽花と花菖蒲、共に見頃な絶景を楽しめますよ。

では、みなさん、今日も一日、お元気で!

そうそう、明月院のイワタバコも見頃になっています。場所は教えません。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルガモ日誌(12)ネムノキの花が咲き始めた日

2016-06-06 23:14:21 | Weblog

こんばんわ。

今日も、二度ほど、カルガモ一家と出会うことができました。もちろん、六羽の子鴨は元気でしたよ。明月院からの帰り、午後三時頃だったでしょうか、ちょうど、お昼寝のとき。お母さんは、ねむねむするわけにはいきません。いつも見張り役。

寝る子は育つ。ほんとうにみるみる大きくなってきました。

明月院の紫陽花は見頃になっていましたよ。詳しくは明朝に。

川沿いのアガパンパスが初めて開花しました。

ネムノキの花も咲き始めました。

今晩は、横浜で中学校のミニクラス会。たっぷりワインをいただいて、ねむのきの子守歌。ではネムネムしましょう(笑)。おやすみなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北大路魯山人の美/和食の天才

2016-06-06 12:21:52 | Weblog

”和食”がユネスコ無形文化遺産に登録されたのが、2013年だが、ちょっと遅れて(笑)、その登録記念として”北大路魯山人の美/和食の天才”という特別展が三井記念美術館で開催されている。たしか四月にみてるが、まだ記事にしていなかった。

まず、今年の3月に魯山人をテーマに京都を歩いたことを思い出してみよう。生誕地の上賀茂神社の社家町からはじまって、魯山人ゆかりの地やお店などを訪ねるものだった。そのとき、魯山人の作品も結構、見ている。祇園白川の”骨董通り”の梶・古美術店では沢山の魯山人作品を見せてもらっただけではなく、店主の梶高明さんにミニレクチャーしていただいた。お料理がのったときに一番、うつくしく見えるのが魯山人の食器ですと。何必館・京都現代美術館にも寄り、三階の魯山人展示室で、代表作のいくつかをみた。その後、魯山人ゆかりのお店ということで、銀座・久兵衛でお寿司をいただき、4Fに魯山人ギャラリーも見学した。この魯山人展にも、まないた皿等二点出展するとのことだった。

というわけで、いきなり銀座・久兵衛のまないた皿を。ぼくは魯山人の織部が好きなので、これも気に入った。よく似たのが足立美術館所蔵のものにあった。久兵衛蔵のもう一つは絵瀬戸風手桶花入。

織部長板鉢

今回の展示品の多くが、足立美術館蔵のもの。優品がそろっているのだろう。生涯作品が驚くべき数字なので、ここに出てくるのは、とびきり上等のものばかりでしょう。下の椿鉢も足立美術館蔵。

椿鉢。直径43.2㎝という大きなな器に、ぽったりとした紅白の椿が描かれている。乾山の椿図案の向付を倣いつつ、魯山人風に。

さて、三井記念美術館の特別展示室(一品展示)に置かれた名作は、北村美術館蔵のこの壺。

絵瀬戸草虫文壺 ススキの秋草文は琳派がよく用いたが、魯山人もこれを好んだ。

ちらしに載せられた名品ふたつ。織部蟹絵平鉢絵瀬戸平鉢。

ちらしの表紙を飾るのは、一関塗日月椀

素晴らしい展覧会でしたよ。また行きたい。

。。。。。
参考。本展サイトより抜粋。

1. 魯山人と古陶磁 〜古きに倣う
魯山人が熱心に蒐集した中国・明時代や桃山・江戸時代の古陶に倣って自ら制作した作品等を通して、魯山人が古陶磁から何を学び、また革新しようとしたのかを探ります。

2. 魯山人流もてなしの開花 〜自然に宿る美
自らが理想とする食器を求めて北鎌倉に「魯山人窯芸研究所星岡窯」を設立、本格的に作陶活動を開始して数々の独創的なやきものを制作しました。

3. 魯山人と和食 〜器を通して広がる世界
料理を一品ずつ提供したり、大ぶりの鉢や俎板皿に料理を盛るなど、魯山人が実践したさまざまな試みは、料理界に広く受け入れられ、今や和食文化の一部として受け継がれています。なかでも俎板皿は、料理を美しく見せる色合いや文様、余白までが配慮され、まさに「器は料理の着物」という魯山人の言葉を体現していると言えるでしょう。また、魯山人が理想とした食の世界は、料亭にとどまらず家庭料理にまで広がりをみせています。器を含めた料理を取り巻く空間すべてが、食の愉しみを生み出すということを、魯山人の器は改めて教えてくれます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横須賀しょうぶ園 花菖蒲と紫陽花のハーモニー

2016-06-06 08:45:08 | Weblog

おはようございます。

花菖蒲と紫陽花を同時に楽しめるところはそうはない。そのひとつが横須賀菖蒲園。小雨模様だったが、花菖蒲と紫陽花見物にはむしろ情緒があっていいかも。ふたつの花のハーモニー、素晴らしかったですよ。それでは、早速、ご紹介しましょう。

2016年6月5日

入口では皐月が迎えてくれる

門をくぐると、いきなり、この素晴らしい景色!水車小屋前の菖蒲田。多少心配していたが、これだけ咲いていれば、もう十分すぎる!

うしろの紫陽花もOK!

花菖蒲と紫陽花の見事なハーモニー。さて、隣りの菖蒲田はどうでしょう。まだ、これからというのもありますが、まずまず。

八橋もわたって

ここら辺りで、全体図を紹介しよう。菖蒲田は紫色で示してある処。図の上と右下に二つのブロックがあり、それぞれに菖蒲田の区画がいくつもある。今は、右下のブロックを巡ったところ。こちらは、ほぼ見頃に入ったといっていいでしょう。

さて、上の菖蒲田はどうでしょうか。

一部、見頃ですが。

でも、全体をみると、こんな感じです。あと、1週間もたてば、こちらも見頃になるでしょう。紫陽花はさらに見頃になるし。


はじめの菖蒲田に戻ったら、さきほどは見えなかった、菅笠に紺絣をまとったお姉さん(?)が出ておられました。やっぱり、モデルさんがいるといないでは大違い。


3.8ヘクタールの敷地に412品種、14万株のハナショウブ。この辺りでは一番!フジのときもすごいですよ。そうそう、花菖蒲がちょっと見頃過ぎくらいに行くと、山百合があちこちで咲いてます。その頃にもう一度!

では、みなさん、今日も一日、お元気で。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルガモ日誌(11)梅雨入り&梅雨の晴れ間

2016-06-05 22:35:37 | Weblog

こんばんわ。今日は、関東地方では午前中に梅雨入り宣言がありました。たしかに雨がしとしと日曜日だったのですが、午後3時半過ぎに、急に、晴れ間が現れ、一日で”梅雨入り&梅雨の晴れ間”があった、貴重な(?)日でした。

さて、昨日一日、ぼくの前に姿を見せなかったカルガモ家族でしたが、今日は梅雨入り宣言直後の午前中と梅雨の晴れ間の午後と、二度、出会えました。で、二日振りのカルガモ日誌です。

梅雨入り宣言があった直後。午前11時頃、小雨の中を出掛ける途中。砂押川でカルガモ家族を発見!

まず、お母さん!

だいぶ離れたところに子鴨四羽!

さらに離れたところに子鴨、二羽!

子鴨、六羽、確認!これでよし、と立ち去ろうとしたが、これだけでは、疑い深い人には、OKを出してもらえないのではと思った(笑)。なんとか、一画面にカルガモ家族をおさめた写真と撮らねばと、それから、10分ほどねばったのだった(汗)。そのとき歴史は動いた!子鴨は動いた!その、一瞬を逃さない。パチリ!いかがですか、母鴨と六羽の子鴨。

満足して、今日の目的地、衣笠の横須賀菖蒲園に向かう。花菖蒲と紫陽花が見事でした。詳細は明朝ということで、ここでは、ちょっとだけよ。

横須賀菖蒲園では雨も上がり、十分、楽しめることができたが、帰る頃には、また雨。途中、逗子図書館に寄り道をして、横尾忠則の”座禅は心の安楽死/ぼくの座禅修行記”を読んでいた。読み切れなかったので、借りて、外に出ると、なんと空は晴れてきている。梅雨入り宣言したその日に、梅雨の晴れ間。おかしくて、おかしくて、笑いがとまらなかった、というのはウソで、少しだけ笑っただけです。

そして、大船駅からの帰り道、また、カルガモ家族に遭遇。だいぶ上流にまできていて、子鴨が大きくなってきているので、いよいよ、明日は、あの段差(ぼくだけが分かる)を越えるのではと期待している。

川沿いの紫陽花がますますきれいになってきた。

では、おやすみなさい。よい夢を!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志高き日本人の物語

2016-06-05 10:39:28 | Weblog

おはようございます。雨がしとしと、紫陽花見物には絶好の日和となりました(笑)。さて、今朝の話題は円覚寺夏期講座のこと。

”志高き日本人の物語”という演題名に惹かれて、三日目も参加した。演者は白駒妃登美さん。昭和39年生まれ、51歳、管長さんと同い年です、と第一声。大手航空会社の客室乗務員として7年間働いたが、大病をして挫折。命と向き合う中で、”今を受け入れ、最善をつくし、平然と生きる”、と覚悟を決める。そのとたん、病状が奇跡的に回復し、これからの人生は、子供頃から好きだった歴史本や伝記を土台にした仕事をしようと決心する。”出前歴史講座”を開講したが、大人気となり、中学校を中心に年間の講演回数は、何と150回を越えるという。今回の生徒はだいぶ老けていて、先生はやりにくかったと思いますが(笑)、とても感動的ないい講演でしたよ。

今回の講演の、”志高き日本人の物語”の主人公はいったい誰だろうと楽しみにしていたが、”破傷風菌の毒素を発見し・・・”と初めの言葉で、えっ!と、身を乗り出した。やっぱり北里柴三郎だった。北里については、ぼくも少年時代から関心をもち、伝記も読んでいる。数年前のドイツ旅行記に関連して、ブログ記事にもしている。

北里は明治政府の要請で、ドイツのコッホ博士の元に留学し、前述の破傷風の毒素を発見、さらに毒素をうすめて注射すると免疫現象が起こることも見付けた。この実験結果をもとに、同僚のベーリングと共同研究し、連名で”動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について”の論文発表した。この研究が、第一回ノーベル生理医学賞になったのだが、本来ならば、共同受賞か北里単独受賞のはずだが、ベーリングの単独受賞となった。

しかし、”志高き日本人”としての北里は、その後の行動に面目躍如たるものがある。いよいよ帰国となるのだが、これだけの業績をあげた学者だから、ドイツのみならず欧州の大学、研究所が放っておくはずがない。何とケンブリッジ大学が研究所長のポストと多額な研究費を用意して招いたという。しかし、北里は見向きもしなかった。自分が多額な国費を使って海外留学したのは、帰国してから、黎明期の日本の医学に役に立つためだ、食い逃げするわけにはいかない。そして、帰国するのだが、日本で研究を進めるのには困難を極めた。母校の東大医学部と対立し、途方にくれていたとき、手を差し伸べてくれたのが福沢諭吉だった。多額の費用を援助し、私立伝染病研究所をつくってくれた。その後、国立に移管され、志賀潔ら優秀な研究者が育った。さらに、これが東大付設にされるとき、ここを飛び出し北里研究所を創設した。その後、福沢諭吉の恩義を一生忘れず、彼が創設した慶応大学に医学部ができたときに、無給で医学部長を務めたという。

もうひとつは、”志高き庶民たちの物語”。1890年のエルトゥールル号遭難事件最近、映画にもなったので知名度は高くなったかもしれない。紀伊大島・樫野の村民たちが、台風の中を総出で救助に当たり、自分たちの乏しい食料さえ差し出す。医師の田村元貞らは負傷者の手当てに奔走する。これで、69名のトルコ人の命が助かった。このことはトルコの教科書にも載っていて、トルコでは知らぬ人はいない。そのことが、時を隔てて、トルコ航空による、テヘラン邦人救出劇につながった。危険なフライトだったが、パイロット全員が自分にやらせてくれと、手を上げたという。

最近は”志”なぞ関係ないという人をよく見かけるが、多くの日本人には、この精神は脈々と受け継がれていると思う。


(円覚寺↑)


(東慶寺↑)

では、みなさん、今日も一日お元気で!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円覚寺夏期講座三日目はムシの日

2016-06-04 22:50:56 | Weblog

こんばんわ。

いつも、カルガモ日誌を兼ねて、その日の出来事を綴るのだが、今日は朝夕ともカルガモ家族に出逢うことができなかった。しかたなく、今晩のおやすみなさい記事はカルガモ抜きの味気ないものになってしまう。とは言っても、円覚寺夏期講座三日目では味わい深い講義を三つも聞いたし、そのあと、今日は家内も一緒だったので、最高の見頃となった東慶寺のイワタバコと花菖蒲を見に連れて行った。さらに、そのあと、数字のごろ合わせが好きなぼくが、6月4日がムシの日であることに気付き、そうだ、たしか、養老孟司さんが昨年、建長寺境内に建てた虫塚の前でムシの日に虫供養をするはずだということをハタと思い出した。

そこで、東慶寺のあとは一人で建長寺に向かった。境内の虫塚のほかに、実は、そこへ行く途中の石垣のイワタバコも見たかったこともある。東慶寺には及ばないものの、なかなかの群生なのだ。

建長寺に入って、山門、法堂を過ぎて、芝増上寺のお江さんの霊廟の門を移したというきらびやかな唐門のある仏殿で、いきなり、”虫供養会”の看板を目にした。おおっ!これで、間違いないと喜び勇んだ。でも、仏殿内を見物したが、大広間では座禅会が開催されているのみで、虫供養らしいものはみつからなかった。

庭園をみてから外に出た。そこからイワタバコが群生する石垣はすぐ近くである。ちょうど東慶寺のと同じくらいの見頃となっていて、大満足した。

ちょうど、そのときである。養老孟司さんを囲んだ一団が通りかかったのである。おおっ!どうも、虫塚から帰ってきたようなのだ。正面から写真を撮るのは失礼になるので、後姿だけを撮った。それにしても、なんというめぐり合わせ。あそびの神様ありがとう。奇跡をまた起こしていただいた!

白髪の方が養老孟司さん。

ただ石垣のイワタバコには一瞥もしないで通り過ぎて行った。どうも植物には関心がないらしい(笑)。

そして、ぼくは虫塚に向かった。もう、誰もいないと思ったが、関係者らしい人が一人だけいた。

虫塚については、一年前に記事にしているので、関心のある方はお読みください。あの、新国立の、隅研吾さんの設計なんですよ!

ここまで、書いて、急に眠くなってしまったので、これで終わりといたしまする。夏期講座については明朝、紹介します。では、おやすみなさい。



(これらは東慶寺のイワタバコです)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする