まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

天プラ 初デビュー!!

2006年06月19日 | 工作室から
6月18日・19日と、模型友の会の一大イベント、『温井終夜運転会』が行われ、今年は数年振りに参加した競作の作品と、超高級(?)の某百貨店で購入した、天プラEF15を始めとした貨車35両の長大貨物列車、500円玉貯金をはたいた、特急『出雲』号のフル編成を衣装ケースに詰め込んで、腰痛再発の恐れも顧みず意気揚々と会場である、安芸太田町加計にある『温井スプリングス』に乗り込みました。

参加会員総出でレイアウトボードを組み、さぁ、みんなのご自慢の車両を並べてビックリ! 長編成用の外ヤードには貨車の大群… 私にセノハチさま、F原さんまでもが大量の貨車を並べたではありませんか。さながら昭和の貨物ヤードの再現でした。
で、肝心の天プラEF15の走行ですが、最初はレールの清掃が行き届かなかったので、集電不良を起こしギクシャクした走りでしたが、その後は安定した走りを見せ、長大編成の貨物列車をゆっくりと牽引する姿を、ビール片手に寝っころがって眺める… えがったなぁ~


右端が私の貨物列車です。客車に換算して14両分の長さです。隣の『出雲』フル編成が短く見えますね。その隣がセノハチさまの貨物列車。左端はF原さんの貨物列車です。


今回は会場が狭かったので、編成全体が写せませんでした。この後、さっさと寝っころがってニヤニヤしました(笑)


今回の運転会の様子は、当クラブのページにて公開しております。よろしければご笑覧ください。

http://hello.ap.teacup.com/model-culb/

語られない真実…

2006年06月19日 | 廊下から
クラブのブログでは、書けなかった本当の真実は…(笑)

私は、ほぼ1年ぶりの焼肉でしたが、30代も後半になると肉が食べれなくなるんです。入院中に外出した時も、『うまいトンカツ食べたい…』と某専門店に入りロースカツ定食を食べて、翌日まで胃にもたれて食欲無くなるし… 本当に年齢を感じます。来年は焼肉ではなくて『シシャモかメザシ』を焼いてもらおうか…


これ私なんですが、懇親会が始まる前からビールが入っていたんで、既にハイテンションでした。まぁ、毎度のことですが…(笑)
写真を見て判るように、実は前掛けが裏返し、最後まで気が付かず周りも黙っていたそうな。年末年始に入院していたので、久々の飲み会で楽しかったですね。やはり時々はみんなで集まってバカを言わないと、持ちませんね。



以前に、ノーブルジョーカー様のオリジナルTシャツを購入しましたが、今までどこにしまったか判らなくなり、引越しをする際にやっと発見されました。で、今年はそのTシャツを着て、F原おぢさんと2ショット… でも、最後にじゃれるのも酔ったせいなのでしょうか…(笑)
でも、このデザインは良いですね。ゲルリッツ台車を選んだ方のセンスには脱帽です。


見よ、このお菓子の山。安っぽいコンパみたいと、名言を吐かれた方がいましたが、まさにその通り。これらをツマミに夜遅くまで呑みながら騒いでおりました。



で、その結果が…↑


運転会の時はめいめいの作品を見ながら、その技法やウンチクを自分に吸収するものなんですが、誰が撮ったのか私がセノハチさまの貨車を片手に、何やらウンチクを聞いている姿です。『道外禁止』の貨車を見ながら、その貨車の由来なんかを聞いたと思うのですが… 覚えていない…(汗)

コンテストが終わると、来年の競作のお題を決めるのですが、案として『戦前製の車両』と『民鉄の車両。ただしJRを除く』の2つが提案され、多数決を取る事になりましたが、毎度おなじみの屁理屈合戦も始まり、

な『戦前って、湾岸戦争の前?』
会『いや、日清戦争ぢゃろ?』
事『違うって』
会『戊辰戦争の前…?』
事『汽車がおらんわ…(怒)』


そんなことはさておき、私は『戦前製の車両』がネタも豊富にあり、そちらが良かったのですが、最後の多数決で負けてしまいました。
まぁ、この1票が結果を左右したかは判りませんが…(笑)

と、まあクラブの恥ずかしい部分を並べてみましたが、本当に今年の運転会は面白かったです。やはり、新しく入ってきたF原君が大きな刺激を与えていると思います。来年はもっと盛り上げたいですね。そして来年こそは取るぞ、ブービー賞!


思い出の線内車 3

2006年06月15日 | ひろでん
思い出の線内車シリーズも最後になりました。
1080型は元阪急210型で、3両固定編成の中間車を除く2両が昭和51年にやって来ました。

私が入社した当時は、重検中だったようで荒手車庫にはその姿がなく、単独乗務を始めて暫くして、千田車庫から日中に堂々と帰って来たのには驚きました。この1080型は車体幅が広くて出入り口に補助ステップが無い電車でした。足もさほど遅くなかったのでラッシュ時には、遅れることも無い楽な電車でした。
また線内車は、最後まで車内に自動両替器の設置が無くて、ラッシュ時の両替には非常に苦労しました。特に、上りの広電五日市駅はJRとの乗換駅ということもあって、降車客が非常に多くて、特に楽々園駅からの乗客が多かったように記憶します。当時は楽々園~五日市間が90円区間だったので、五日市到着までに右手には10円玉を沢山握り締めて、到着後は左手で整理券と100円玉を受け取り、右手で10円玉を渡し、いかにスムーズに客扱いを行うかを苦心したものです。今では手取りが出来ないので、そんな事は無理なんですけどね…


広電西広島駅2番ホームで佇む1080型 昭和63年


高須~東高須にて 昭和63年


1090型は、元京阪神急行電鉄の木造車(形式は失念しました)を購入し、1050型として昭和22年に登場しました。後に鋼体化車体に乗せ替えて単行運転で長く活躍しましたが、昭和54年に1053と1054号を片運化し2両連結として、1091+1092号となりました。
一方、単車で残った1051・1052号は、昭和55年に廃車となりましたが、昭和57年に片運化されて2両連結となり、1093+1094号として復活しました。後に1090型は冷房搭載工事を受け、最後まで活躍した線内車となりました。
平成3年に最後の線内車(1093+1094号)が無くなるということで、ボーナスを前倒ししてビデオカメラを購入し、最後の姿を記録した事が懐かしい思い出です。公休日や午後出勤の日の朝早くから、ビデオカメラ片手に宮島線沿線に繰り出し、また夜の車内を記録するために遅くまで撮影して、最終の市内電車で帰宅したこともありました。この時には某先輩運転士に大変お世話になりました。
DVD化した当時の映像を時々見ては、昔の思い出に浸っております。


商工センター入口~草津南 昭和63年


競艇貸切の折返し待機中 広電宮島 昭和63年

色々な意味で、古きよき時代の広電でしたなぁ~。

天プラ特需…?

2006年06月14日 | 工作室から
5月半ばの、天プラEF15購入により、にわかに起こった黒貨車ブーム。手持ちの仕掛品(10年近く棚の肥やしになっていた車両も…笑)や、新規に購入したプラ有蓋車や緩急車、プラ完成品のタンク車も塗装をやり直して、全てではありませんが、やっと陽の目を見ました。画像にはありませんが、改造して作ったコキ5500も登場。総勢14両が一気に完成しました。
老後の蓄えを崩して天プラを買って、食費を切り詰めて貨車を買う… 今更のようですが、正気の沙汰ではありませんな(爆)

これらは全て、今週土曜日に開催される、当模型クラブの一大イベント『終夜運転会』で初披露です。EF15牽引の長大編成の貨物列車を想像すると…あ、ヨダレが(笑)



今朝の地震

2006年06月12日 | 廊下から
今朝5時1分に発生した地震、驚きましたね。広島市は震度4の揺れでした。その時、私は出勤点呼を受ける為に整列をして、これから点呼が始まる寸前の出来事でした。『ドスン』という音と共に不気味にきしむ音と大きな揺れ、気持ち悪かったです。
市内電車は、まず助役の判断で始発電車の出庫を見合わせ、緊急時マニュアルに従い、徐行運転と路線の異常の有無を担当運転士に指示をして、始発電車を発車させました。我社のマニュアルでは、震度4と5では取扱が全く異なる事を初めて知りました。結局、JR運休の影響も重なり宮島線を中心に大きな乱れが発生し、今日は広島港での予備車両を仕立てる係だった私は、無線機片手に船長(宇品の信号係をこう呼びます)の指示に従い、右に左にてんてこ舞いでした。結局、11時頃まで遅延が出てましたね。

仕事のことよりも気になったのは、我が家の模型棚が倒れていないかでした。仕上げ間近の競作の作品を並べていたし、高価な模型が下敷きになってはいないかと… 勤務が終了し急いで帰宅してみると、模型はセーフでしたが、本棚の上のパーツ入れの抽斗が飛び出して、カプラーを入れていたカゴが吹っ飛んでいました。皆様は被害に遭われていませんか?

大きな被害もなくて、よかったよかったと思いつつ、冷静にデジカメで写真を撮ったのですが、単に片付けていない様にしか見えないのが悲しい…(笑)

乱れた小物パーツ入れ


散乱したストックカプラー… 決して『ヤラセ』ではありません(爆)