まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

復旧工事

2007年01月22日 | 廊下から
先日、人より遅い正月休みを取り、実家でのんびりして来ました。某掲示板で、三江線の不通区間に取り残された最後の車両を引上げたとの情報を得ましたので、復旧状況をこの目で見てこようと、最大の被害を受けた江津本町の現場を訪れました。

三江線同様に被害を受けて通行止めであった県道は既に復旧しておりましたが、鉄道は土砂にのまれた警報器が復旧されていないなど、工事の遅さが気になります。しかし、信号ケーブルは新品に交換されているようで、現在復旧している浜原~三次間のCTC制御を行う為なのでしょうか…



ほぼ同じ位置で、撮影してみました。


土砂にのまれた警報器の跡。


江津~江津本町

早く元通りになって、ここを走る列車を見たいものですね。

で、おまけ。
山陰線が開通するまでは、ここ本町界隈が町の中心だったようで、今でもその当時の雰囲気が随所に残っています。自動車を持たない私は江津市役所前でバスを降り、歩いて旧道を散策しました。古い建物も少なくなってきていますが、空き家の軒下にこんなものを見つけてしまいました。


こんなものが目に付くとは…鑑○団の影響かな?

琴電950

2007年01月16日 | 廊下から
模型の世界で、オハ31系客車に浮かれている私ですが、実際に触れ合えたのは佐久間レールパークのスニ30のみです。
しかし、その成れの果てならばある…ということで、琴電950の写真をペタリと。

昭和39年8月、国鉄からオハ31137・299を制御付随車とするため購入されたもので、琴平線で活躍しました。960が昭和59年、950は平成9年に廃車となりました。
台枠を流用して車体を新製しているので、端部の絞りや妻面の後退角、そしてアンチクライマーが客車時代を髣髴させます。当初の計画では、車体はそのままでデッキ部分に運転台を設け、車体に客ドアをぶち抜く予定でした。計画通りに登場していたら、それは不気味な車両となっていたことでしょう(笑)


珍しく顔を見せた950 仏生山車庫 平成9年4月24日

連結面から。

950の最晩年は、平日朝ラッシュ時に高松築港~一宮間を1往復するだけの運用で、しかも4連の中間に連結されていた為、顔が見れたのはこの一度きりでした。またこの日には、レオマワールド輸送の増結運用に使用されて、日中に950を先頭に琴平線を快走している姿を拝めました。が、結局は乗れず仕舞い…一度乗ってみたかったなぁ(涙)


珊瑚の客車…2

2007年01月12日 | 工作室から
製作中だった珊瑚製のオハニ30も、本日無事に塗装待ちとなりました。
HOを始めた頃に無謀にもチャレンジして失敗した苦い経験から、今回は慎重に製作しました。


荷物室側

客室側

基本的にはキットのパーツを用いて組み立てましたが、細かい部分でパーツを交換して少しだけディティールアップをしてみました。
パーツの変更箇所ですが、次の通りです。

①側雨樋及び妻面雨樋を、KS製二段雨樋に交換。

妻雨樋は、中央部分を半田で仮付けした後、車体のRに合わせててでジワジワ曲げて半田で固定しました。漏斗の部分は、余っていた帯材を丸めて半田を盛って固定し、後はヤスリで修正し、形状を整えました。この手の修正は気動車キットで手馴れているので、鼻歌交じりで出来ました(笑)

②縦樋を新製

縦樋は、Φ0.7真鍮線で新製して、配管押さえの部分には現物合わせで、0.6×t0.2の帯材を巻いて、車体にイモ付けしました。

③尾灯パーツを天賞堂大型テールに交換。

私は個人的に気に入っているパーツで、尾灯パーツは天賞堂製に統一しています。この製品は若干大きめなのですが、模型的には少し大きめのほうが見栄えが良いのではと思います。


妻板部分

床下部分は基本的に製品のままですが、戦後の姿ということで蓄電池箱はエコー製のものに交換しました。最後まで悩んだ水タンクは、あまりにもゴツイ台枠に阻まれて取り付ける事が出来ませんでした。パーツも無いので真鍮板を丸めて作る気があったのですが…今後の課題です。


個人的な趣味でこちら側にも幌を取り付ける予定です。

さて、この後に塗装作業となるのですが、キャンバス部分にスウェード調塗料を吹いて、ベンチレータと幌吊りステーを接着し下地塗装の手順になります。

さて、明日からはオロハ30でも組もうかなと思ってます。僅かな時期しか存在しなかったのですが、二等級制時代の姿にするつもりなので、早く番号も決めないと…

この番号選びも、楽しいんですよね…(笑)

専用貨物列車

2007年01月10日 | 廊下から
先日、Fおぢさんと新年会をした折に、『広島界隈に縁のある模型が全く売れん…』とのボヤキを聞きましたが、何のことかと思えば美祢線の石灰石輸送を行っていた貨車の模型が売れなかったとか…

今から10年前、ボチボチ消えるといった理由で、のぶ太郎さまと一緒に美祢くんだりまで、石灰石輸送列車の撮影に行きました。私にとっては昭和の時代以来の2回目の訪問でしたが、迫力ある専用貨物列車をビデヲと写真とで撮影を楽しみ、しばしその迫力に酔いしれました。
今の山陽地区では、コンテナ列車以外の貨物列車は殆ど見れませんが、呑み会での話で専用列車の懐かしい思い出に浸りつつ、画像を貼り付けまする。

あっ…そうそう、エンドウからこの度発売されたセキ6000は、完売だそうですよ。私もまだ寮にいれば、ごっそりいったかも…(笑)


セキ6000の専用列車 5660レ 美祢操車場 H9年5月1日


“ク”の成れの果て、セキ8000専用列車 5669レ 四郎ヶ原~厚保


今も現役。宇部岬への“赤ホキ” 5990レ 重安~美祢 

この時の専用列車群。迫力あって懐かしいですね。このような専用列車が貨物列車の醍醐味ではないでしょうか…? その迫力を味わいたいのですが、今では美祢線と宇部線だけでしか味わえないのでしょうか…?


珊瑚の客車…1

2007年01月07日 | 工作室から
今年の抱負で、『客車を作る』などと宣言してしまい、今日も出勤前に半田付けを…

昨年末から拵えている、珊瑚のWルーフ客車ですが、オハニ30が何とか箱となりました。側板から屋根に至るまでバラバラ状態のキットですが、組み上げてみると意外に頑丈な車体となりました。
今回は、殆ど初めてのキットであるため、自分なりの組立セオリーを決める為、かなり時間が掛かってしまいました。一応説明書通りに組み立てましたが、自分の組立順序は…

①妻板の加工
 幌吊りステーの取り付け穴の加工。貫通路の裏側に帯材を半田付けして柱を表現し、尾灯パーツはこの時点で取り付けておきます
 
②デッキの組立

③屋根の組立
 アングル材を用いて明かり窓の部材を仮止めしました。全てをアングル材で固定する必要はありません。戦後の姿を再現するので、明かり窓は全て帯材で裏側から塞ぎます。

④側板の加工

⑤車体の組立
 車体を全て組み立てた後で、アンチクライマーを取り付けるのがベターでしょう。説明書通りだと、取り付けの際に車体が安定せず、上手く行きませんでした。


とりあえず箱になった、オハニ30

あと少しで、車体が出来上がります。この調子で、オハ31、オハフ30、オロハ30と組んでいこうと思っています。
苦労して切り出した、仕切り板が取り付けられなかったのが残念。寸法と形状が微妙に異なり、上手く嵌め込めませんでした(涙)