6月6日(木)
昨夜からお世話になっている廣洋館はこじんまりとした
新しい建物の、美しい海に面した旅館だった。
女将さんのお話では、明治時代と昭和の初めに大津波が来たので、
この辺りでは、高台に建物が建てられており、
8年前も、この地区が一番高い津波に襲われたが、津波よりも
地震の影響で、一部建て直しをしなければならなかったとのことだった。
昨夜のお食事は・・・
お食事をいただきながら伺ったお話では、
今は若い人達が帰って来ないので、
大きなスーパーを作ってもお客は来ず、
小さなコンビニをたくさん作っても
働く人がなかなか集まらず、お年を召した人たちは
だんだん体が辛くなって来て、家から出にくくなり、
この廣洋館でも、以前は結婚式や仏事、
その他 手広く営んでいたけれど、
現在は働く人がいないので、週末に旅行会社の団体を
受け付けるぐらいで、普段は家族、友人達が小人数で
のんびりしに来て下さるぐらいなんですよ、とのことだった。
そして、今朝の食事は・・・
どれもおいしかったが、我が家の薄味からみると、
やはり北国のせいか、少し塩味が勝っているような感じがした。
さて、今日の予定は、
大船渡から浄土ヶ浜→田老→浄土ヶ浜(宿泊)。
宮古市の浄土ヶ浜は、霊鏡和尚が「さながら極楽浄土の如し」と
称賛し名付けられたと言われており、アカマツの緑を頂に載せた
真っ白な岩塊が鋸の歯のように並んでいる景観は
陸中海岸第一の絶景と言われているそうだ。
我々はここでも船で40分の遊覧を楽しんだ。(乗船料1,500円)
1個100円のパンを買って、窓から千切って投げると、
ウミネコが船を追いかけながら飛び、上手にキャッチして食べる。
写真の中央に立っている岩は、高さ40m、幅7mのローソク岩。
ガイドさんのお話では
上記の3県を合わせて三陸と言うそうだ。
大津波の時に、この会社の持ち船3隻の内のこの船だけが
沖に逃げ、3日間そこで待機し、鳥の餌のパンを食べて
船員達は生き延びた、ということだった。
この後、さっぱ船に乗り換えて、
青の洞窟に向かうことになった。
一人1500円、カッパえびせんのお土産付き。
穏やかな湾の中、ヘルメットに救命胴衣、さらに防寒着までお借りして出発。
真っ白な岩塊が鋸の歯のように並んでいる。
えびせんの袋を狙って、ウミネコが乱舞。
船の舳先にも、ヘルメットの上にも止まってじっと待っていた。
「中身が無くなったら、袋を隠して下さい、
袋がある限りずっと付いて来ますから・・・」と船頭さん。
期待の青の洞窟は、天候によって青の色が微妙に変わるらしいが、
今日はすばらしい青さだった。
岩には天然ホヤの赤ちゃんや海藻の赤ちゃん?がビッシリ・・
20分の遊覧ツアーは楽しかったが、
ウミネコの糞公害とえびせんの取り合いに終わった感あり。
髪の毛にも洋服にも付いた糞を取りながら
「防寒着とヘルメットの必要性が分かったわ。」と娘が言った。
次に向かうのは津波被災地区の田老(たろう)。