日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

新庄まつりに行ってきました  その4

2019-09-08 00:18:19 | 国内旅行

8月25日(続き)

最上川舟下りを楽しんだ私達はお父さんの運転で
「幻想の森」を目指した。
クリックしてね。

車一台がやっと通れるような細い道を
お父さんはすばらしい運転技術で進む。

森の奥に急に開けた 駐車場に到着。

小道には木のチップを敷き詰めてあり、足元は柔らかで歩き易かった。

二別れした一本の杉の根元の前に大人が5人、
恐らく、10人で手を繋いでも囲み切れないのではないだろうか。

見たこともないような巨木の群生、清々しい空気、
良かったぁ、連れて来ていただいて・・・


帰り道、事故の影響で少し時間を取られたが、
無事に帰宅。

夕方からトシさんの妹さん家族も一緒に祭りの宴が始まった。

 

食べ切れないほどのお料理の数々、カニや刺身、オードブルの盛り合わせ、
お父さんの手作り山菜料理、ナスの一本漬け、それに妹さんの婚家先の
お姑さん手作り鰊の昆布巻き、2升炊き炊飯器に一杯のお赤飯、
もう80歳を超えていらっしゃるとのことだが、朝からずっとお台所に立って、
皆の為に作って下さったという。

私は最近お正月でも作ったことがないような
立派な10cmもある昆布巻きに大感激。

残念ながら、一つ一つの品は撮り忘れてしまった。

今までお会いしたこともなかった人達が
子供達の結婚を機に親戚になり、お付き合いが始まる。
あぁ、良い方達の仲間に入れていただいた、
と感謝の気持ちでいっぱいだった。 

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新庄まつりに行ってきました その3

2019-09-07 01:03:53 | 国内旅行

8月25日(日)

瀬見温泉の「観松館」は歴史書によると江戸時代まで遡り、
1867年、戸沢藩城主の奥座敷として栄え、
その後、時代の要請で旅館名を「瀬見グランドホテル観松館」と改称、
さらに、昭和から平成にかけ、団体から個人へと旅行形態が変わって来たので、
現在の旅館の原点である「和」を特化した昔からの温泉宿の文化を見直し、
旅館名も「ゆめみの宿 観松館」に改名と書かれていた。

また、1972年から3度のご宿泊をされた
皇室家ゆかりの宿として知られているそうだ。

さて、我々はここに2泊の予定。
昨夜10時近くに到着した時、新庄まつりを見に来た人達なのだろう、
たくさんのお客様で賑わっていた。


朝食はビュッフェスタイルで多分40種類ぐらいあるらしい。
どれを選んだらいいのか、迷って、迷って・・・、
普段とは違った和食中心にした。

あれもこれも食べたくて、こんなにいっぱい!と思ったが、
どれもこれもおいしくて、完食。

  

10時にトシさんのお父さんと娘夫婦が迎えに来てくれて、
お父さんの案内で一日観光へ。

 最上川の美しい流れに沿って反対側の山の上に変わった建物が・・・

エ~~ッ、ここは神社ですか・・・

走り始めてすぐに見えてきた韓国風の建物。
道の駅とざわ モモカミの里「高麗館」と書かれていた。
この辺りには韓国から来た花嫁達が多く住んでおり、
韓国の食材やお土産品をはじめ、韓国コスメ、人気の韓流スターグッズ、
戸沢村の特産品の展示販売を行っているらしい。

館までの階段は長く、母の体調を考え登らなかったので、
残念ながら中は見ていない。

 

次に目指すは「最上川芭蕉ライン舟下り」。

 戸沢藩船番所 

この建物の奥から舟着場まで歩いて数分。

のんびり歩いて最後に乗船したら、ラッキーな事に舟首近くの席、
ステキなガイドさんの真ん前に座ることが出来た。

この若いガイドさんは民謡が大好きで、唄を歌いたい為に
この仕事を選んだと言われたが、本当にお上手で
最上川舟唄や真室川音頭その他2曲、
皆で手拍子を打ったり 合いの手を入れたり、

爽やかな風を受けながら、山や川の流れ、次々に現れる名勝、
白糸の滝などを愛でながら・・・
 

あっという間の1時間遊覧は終わり、草薙港に到着。
30人近い他のお客様達も船の上で飲んだり、食べたり、楽しそうだった。

 車で先回りしていたトシさんのお父さんにここで拾っていただき、
次は「幻想の森」まで。
車はここまで10分だとか。

   おまけ

車のなかった昔は、船しか交通手段がなく、
しかもエンジンもなく、下りはいいが、上りは風を見て帆を掛けて、
何か月も掛けて上って来たという。

ヨーエサノマガーショ、エーンヤコラマガーセ~
で始まる
最上川舟唄は、船頭さん達の辛い気持ちを唄ったもので、

酒田へ行くから達者でいろよ
流行り風邪など引かぬよに
股大根の塩汁煮、塩がしょっぱくて食べられない
山背風だよ あきらめしゃんせ
俺を恨むな風恨め

という歌詞だそうだが、私には全く聞き取れなかった。
ガイドさんがその意味を教えて下さって、さらに英語バージョンで
唄って下さった時にはよく分かった。
山形なまりの英語はとっても味があって良かった。
続く)

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新庄まつりに行ってきました その2

2019-08-29 13:41:40 | 国内旅行

8月24日(続き)

お祭り広場に着くともう大勢の人達が集まっていた。

新庄のお父さんが手配してくれた座席券を首にかけて、
(このチケットはなかなか手に入らないらしい)

正面の座席に座ると、すぐに一番の行列が入って来た。








豪華絢爛な題目は 歌舞伎と物語の部門に分かれ、
山車は20のそれぞれの町内で 3~4ヶ月の期間をかけて
全て町民達の手で作られるらしい。


1756年、藩主戸沢正諶(とざわまさのぶ)が、
前年の大凶作でうちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、
豊作を祈願するために、戸沢氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を
領民あげて行ったのが起源とされており、その志は260余年後の現在も、
市民一人ひとり、小さな子供に至るまで引き継がれていることがうかがえた。

全部の山車を上げたいが・・・、途中で電池も切れ割愛。
最後まで満喫させてもらって、車で20分ほど離れた
瀬見温泉に娘の運転、トシさんのナビ?で送ってもらい、
二人は温泉に浸かって実家へ帰宅。

本当に楽しい一日だった。

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新庄まつりに行ってきました その1

2019-08-29 13:28:22 | 国内旅行

8月24日(土)

新庄まつり」に是非来てほしい・・・
山形県の新庄市は次女の夫の郷で、
事あるごとに祭りのすばらしさを聞かされていた。 

毎年8月24日~26日で、曜日に関係なく
市内全ての学校、職場がお休みになるとのこと。

人混みが嫌いで、地元のお祭りにもほとんど出掛けたことがないのに、
あちらの御家族にも是非お会いしたいと、新幹線に乗って2泊3日の旅へ。

ワ~~~ッ、何とステキな東北新幹線のお顔。

改札を出ると大きなすばらしい人形飾りが・・・
これは昨年の優勝山車で、1年間 駅に飾られているのだとか。
駅周辺も 前回訪れた時と違い、大勢の人で溢れていた。

昨夜遅く着いていた娘夫婦が車で迎えに来てくれて、
トシさんの実家へ向かう道でも、もうそれぞれの町会の山車が
たくさんの囃子連を従えて、街を練り歩いていた。

御挨拶もそこそこに、家の窓から山車行列の見物。
どの行列もお囃子は同じように聞こえる。

トシさんのお母さんが「私はこのお囃子が大好きで・・・
もう何十年も聞いているから、懐かしくて、
いろいろな事が思い出されるのですよ。」と
優しい、美しいお顔で言われた。

・・・いや、もっともっとすてきなニュアンスだったのだが、
私にはこの方言の表現が出来ない。

まず、喉の癒しにスイカを勧められ、お父さんが山で摘んできた
ゼンマイ、姫竹、山ウドの手作り煮物も並べられ、
トシさんの妹、よっこちゃん差し入れ芋煮鍋も絶品。
先ずは一杯、と
おやじさま達の飲み会も始まった。

スイカのおいしさはもちろんの事、お父さんの煮物は
私には真似出来ないほどのおいしさで、
送っていただいた干しゼンマイや
山ウドで何度か挑戦したが、こんなお味には出来なかったので、
今回も又、作り方の確認をさせていただいたが・・・。 

トシさんの話では、お母さんはお料理が得意で、
昔はラーメンも出汁から手作りで本格的に作っていたほどだったが、
骨折を境に腰を痛め、ずっと立っていることが難しく
今はほとんど出来ない、とのことだった。
そのご自慢のお料理がいただけなくて本当に残念だった。

よっこちゃんの芋煮鍋、先ず牛肉を炒めてから味を付けて一度取り出し、
そこに野菜や結び糸こんにゃくを入れて水を加え、
火が通ったら味を調える。
・・・あれ?
これだけで良かったのかな、
とにかくすごくおいしかったので
帰宅したら絶対挑戦しなくちゃ。

お祭り広場は7時開場。
間に合うように家を出た。

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三陸海岸への旅 その7

2019-06-22 00:13:23 | 国内旅行

6月7日(金)


天気予報では雨と言われていたが、
4日間とも全て晴天に恵まれ、
自称「晴れ男と晴れ女」の旅は最終日を迎えた。

浄土ヶ浜→龍泉洞→北山崎→八戸駅

浄土ヶ浜パークホテルでの朝食は、
昨夜の挽回にと、たくさんいただいたが・・・


龍泉洞でチケットを5枚買った途端、突然の腹痛。

実は昨日からお腹を壊してはいたのだが、
今日はちょっと違うような・・・

結局、龍泉洞に入ることは出来ず、親切な係の方が
返金をして下さり、お薬まで下さった。

一人で寂しく待っていたら、娘がこんな写真を送ってくれた。

恋人の聖地?・・龍が洞窟の中を駆け抜けたという伝説があるらしい。

三陸復興国立公園の北方に位置し、高さ200m前後の断崖絶壁に、
奇石奇岩、大小さまざまな海蝕洞窟とダイナミックな海岸線が
8kmに渡って続く、日本一の海岸美・・・・
の言葉に惹かれてやって来た北山崎は、

霧で何も見えなかった。

夫が第二展望台まで行って、唯一、霧の間から見えた景色がこれ。

母と二人、ビジターセンターまで戻り、
晴れた日の北山崎や震災前の景色などを映画で楽しんだ。

センターの前には立派なエゴノキに美しい満開の花が咲いていた。


エゴノキとはエゴノキ科の落葉小高木で、日本全国の雑木林に多く見られ、
和名は、果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐいことに由来するそうだ。




そして、ビジターセンターの裏側にはシロバナシャクナゲの群生地があり、
本来高山植物だが、たった200mの高さの北山崎の
海に向かって切り立った崖に、わずかに黄を帯びた白い花が、
強風のためか小さくこんもりと隠れるように咲いていた。

晴天のダイナミックな海岸線は見られなかったが、
この美しい花々が見られてとてもラッキーだった。

さて、ここから八戸駅まで・・・
途中、薬屋さんを見つけながら、としさんと娘の運転でひた走り。

お陰で私のお腹も何とか落ち着いていたが、
八戸のレンタカーショップに着いたのは新幹線発車時間の10分前。

ホームまで、走って走って、何とか間に合ったが、
娘達が買って来てくれた駅弁も怖くて 食べられず。

しかし、30年来の母の望みが叶い、夫や娘夫婦のサポートで、
私もすばらしい経験が出来た。

皆々本当にありがとう、感謝感謝。  

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三陸海岸への旅 その6

2019-06-22 00:00:06 | 国内旅行

6月6日(木」続き

田老まで車で約25分。

松島に着いて以来、どこへ行っても道路が見事に整備され、
道路沿いの家々は新しい瓦屋根をふき、
あるいは近代的な工法で新築されているように見えた。

もちろん、被災を受けなかった所もあるのだろうが、
家々は落ち着いて見えていた。

しかし、防潮堤の工事はまだまだ続いており、
お気の毒に 家の前には大きなコンクリートの壁が続き
美しい海を見ることが出来ないような所もあった。

さて、田老地区もまだまだ復興工事の途中で、埃っぽい感じだった。

宮古市は被害を受けた建物の取り壊しが進む中、
後世に甚大な震災の記憶を風化させることなく伝える為、
津波遺構として保存する事を決定し、2016年に
保存整備工事を終え、今、ここに現在の姿のまま
保存しているという。

上階の部屋にはカーテンなども掛かっており、
宿泊されていたお客様達はどうされたのだろうと心に残った。

次に向かったのが、
三陸復興国立公園にある数多い奇岩景観の中にあって最も圧巻で、
高さ50メートルの通称男岩の両側に女岩、太鼓岩が控えている山王岩。

私は遊歩道を途中まで下りたが、3人の若者?は
海岸まで下り、証拠写真を送ってくれた。

50mの岩をチョイと摘まんで・・・カメラマンのチョイとミス。



ここから浄土ヶ浜にある 今夜の宿 浄土ヶ浜パークホテルに向かった。

アプローチも美しく、窓からの景色もすばらしく、

現在の天皇陛下御夫妻が平成28年6月20日
東日本大震災のお見舞いの際、
半日ほど御滞在されたホテルでもあった。


温泉に入った後の夕食は、ビュッフェスタイル。

夫が折角の機会だからと
特別に鮑のお刺身をそれぞれに頼んでおいてくれた。

新鮮で柔らかくてとってもおいしかった。

しかし、こんなにたくさんのお料理が並んでいたのに、
私は悲しいかな、口にした物はほんの少しだった。
毎日の御馳走攻めに胃が疲れ過ぎたのか・・・
(皆さんが解散された後、許可を得て撮影)

今夜も早めに就寝。  

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三陸海岸への旅 その5

2019-06-20 00:42:20 | 国内旅行

6月6日(木)

昨夜からお世話になっている廣洋館はこじんまりとした
新しい建物の、美しい海に面した旅館だった。

女将さんのお話では、明治時代と昭和の初めに大津波が来たので、
この辺りでは、高台に建物が建てられており、
8年前も、この地区が一番高い津波に襲われたが、津波よりも
地震の影響で、一部建て直しをしなければならなかったとのことだった。

昨夜のお食事は・・・

お食事をいただきながら伺ったお話では、
今は若い人達が帰って来ないので、
大きなスーパーを作ってもお客は来ず、
小さなコンビニをたくさん作っても
働く人がなかなか集まらず、お年を召した人たちは
だんだん体が辛くなって来て、家から出にくくなり、
この廣洋館でも、以前は結婚式や仏事、
その他 手広く営んでいたけれど、
現在は働く人がいないので、週末に旅行会社の団体を
受け付けるぐらいで、普段は家族、友人達が小人数で
のんびりしに来て下さるぐらいなんですよ、とのことだった。

そして、今朝の食事は・・・

どれもおいしかったが、我が家の薄味からみると、
やはり北国のせいか、少し塩味が勝っているような感じがした。


さて、今日の予定は、
大船渡から浄土ヶ浜→田老→浄土ヶ浜(宿泊)。

宮古市の浄土ヶ浜は、霊鏡和尚が「さながら極楽浄土の如し」と
称賛し名付けられたと言われており、アカマツの緑を頂に載せた
真っ白な岩塊が鋸の歯のように並んでいる景観は
陸中海岸第一の絶景と言われているそうだ。

我々はここでも船で40分の遊覧を楽しんだ。(乗船料1,500円)


 1個100円のパンを買って、窓から千切って投げると、
ウミネコが船を追いかけながら飛び、上手にキャッチして食べる。

写真の中央に立っている岩は、高さ40m、幅7mのローソク岩。

ガイドさんのお話では

上記の3県を合わせて三陸と言うそうだ。

大津波の時に、この会社の持ち船3隻の内のこの船だけが
沖に逃げ、3日間そこで待機し、鳥の餌のパンを食べて
船員達は生き延びた、ということだった。


この後、さっぱ船に乗り換えて、
青の洞窟に向かうことになった。
一人1500円、カッパえびせんのお土産付き。

穏やかな湾の中、ヘルメットに救命胴衣、さらに防寒着までお借りして出発。

 真っ白な岩塊が鋸の歯のように並んでいる。

えびせんの袋を狙って、ウミネコが乱舞。
船の舳先にも、ヘルメットの上にも止まってじっと待っていた。

「中身が無くなったら、袋を隠して下さい、
袋がある限りずっと付いて来ますから・・・」と船頭さん。

期待の青の洞窟は、天候によって青の色が微妙に変わるらしいが、
今日はすばらしい青さだった。

岩には天然ホヤの赤ちゃんや海藻の赤ちゃん?がビッシリ・・

20分の遊覧ツアーは楽しかったが、
ウミネコの糞公害とえびせんの取り合いに終わった感あり。

髪の毛にも洋服にも付いた糞を取りながら
「防寒着とヘルメットの必要性が分かったわ。」と娘が言った。

次に向かうのは津波被災地区の田老(たろう)。 

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三陸海岸への旅 その4

2019-06-15 13:02:02 | 国内旅行

6月5日(水)続き

奇跡の一本松から碁石海岸まで車で約20分。

波打ち際まではかなり遠い。

 この食堂でお昼を取ることにしたが、入ってビックリ。

こんな高台にある店の、天井近くまで津波が上がって来たのか・・・
壁にはたくさんの有名人やボランティアの方達の写真が残されていた。

頑張ってね、という意味も込めて、夫ととしさんは生ウニ丼、
母は蒸しウニ丼、私と娘は磯ラーメン。

ラーメンは私の好きなサッパリとした塩味、
ウニもとってもおいしかったそうだ。

 

恐竜がいた約1億3千万年前の海に積もって出来た岩石が
形造る穴通磯や雷岩・乱曝谷などの観光スポットを、
地元の漁師たちが巧みな操船で案内するさっぱ船(小舟)に
乗りたいと、ここから電話をして予約した。


岸壁に着けた小舟に乗り移る時は、
船が近づいたり離れたりするので、
二人がかりで母をしっかりサポートしてもらい、
さあ出発。

ウミネコの産卵地、
船頭さんの話では、ヒナはまだ見えないそうだ。

 ネットから拝借

3つの穴が開いた穴通磯、船は真ん中の穴から入り、左の穴から出て来た。

壁に船がぶつからないように、船頭さんは緊張の面持ちだった。



帰り道は波が高く、ひどく揺れるので怖くて、怖くて、
しっかり船端につかまっていたが、
船頭さんは横波を受けないように、波に向かって
舵を操るので、まるでジェットコースターのように
上がったり落ちたりを繰り返し・・・生きた心地がしなかった。

もう一人の船頭さんが心配をして、
途中まで船で様子を見に来て下さったが、無事に終了。
終わってみれば、一人2,000円、50分の
アドベンチャーワールド?
の大興奮は、

しばらく笑い声と共に続いていた。
不思議な事に、誰一人船酔いした人はいなかった。

興奮と共に約20分後、今夜の宿
大船渡市のやすらぎの宿・廣洋館に到着。

  

美しい部屋と、遥かに下の方に見える穏やかな海。

お世話になります。

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三陸海岸への旅 その3

2019-06-13 16:54:20 | 国内旅行

6月5日(水)

久しぶりに睡眠時間がたっぷり取れて幸せな朝を迎えた。

6時には朝風呂に入り、あんなに夕飯をたくさんいただいたのに、
朝もこの通り・・・あぁ、心配。


 ギラギラ太陽の下で「はい、チーズ。」

予定表によると、今日は松島海岸から大船渡を目指すようだ。


松島海岸から約2時間で「奇跡の一本松」へ。

駐車場に面して、簡易のビジターセンターや
数件の食堂が並んでいた。

 

あの日、テレビの前で釘付けになって見ていたあの恐怖がまた襲ってきた。
堤防の上で立ち往生していたトラックの運転手さんは
助かったのだろうか・・・
8年経っても、あの光景は忘れられない・・・


ここから一本松まで歩いて20分ほどかかるというので、
としさんが母の為にと車椅子をお借りしてきた。
が・・・・かえって、簡易の狭い階段があったり、
砂利道もあり、あまり快適ではなかったようだ。

乗り心地を確認する孫夫婦

高田松原は350年に渡って植林されてきた
約7万本の松の木が茂る景勝地だった。

昭和15年には国の名勝に、39年には陸中海岸国立公園に指定され、
夏には海水浴客で賑わい、松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場であった。

7万本の中から唯一残った松の木は「奇跡の一本松」と呼ばれ、
あの頃、復興のシンボルとして大いに話題になったが、
海水によって根が腐り、陸前高田市では人工的な処理を加えて
モニュメントとして残すことにし、世界中の人々の善意の募金により、
ここに実現したという。

一本松の横に、破壊された学校の校舎もそのまま保存されており、
これぞ「百聞は一見に如かず」の思いを新たにした。

しかしながら、塩害のひどかった土地にもクローバー、ヨモギ、
ヒメジオン、名前は知らないが、その他にもたくさんの花が咲き、


田植えの終わった水田には、空の青が美しく映っていた。

見学時間約1時間、ここから大船渡の碁石海岸に向かう。 

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三陸海岸への旅 その2

2019-06-12 02:35:20 | 国内旅行

6月4日(火)

母と私達夫婦の今日の予定は、
新幹線やまびこ47号に乗り、
仙台乗り換え、在来線で松島海岸駅まで。

次女夫婦はやまびこ141号で、
夕方、仙台駅からレンタカーで松島センチュリーホテルへ直行。


13時半には松島海岸駅に着き、
ホテルからの迎えを待った。
駅の写真は撮り忘れたが、珍しい看板にワクワク。


ホテルに荷物を預け、ホテルから数分、瑞巌寺の「五大堂」へ。

この島には瑞巌寺守護の為、五大明王像が安置されており、
ここへの参詣には、身も心も乱れないように、脚下をよく見るように、
気を引き締めさせる配慮として、隙間から海が見えるよう
「透橋」(すかしばし)と呼ばれる工法になっているそうだ。

あまり怖くはなかったが、確かによく見ないと歩きにくかった。

次に、松島湾クルーズの為、桟橋に向かった。

丁度2時の出向時間に間に合った。
乗船時間50分、料金1350円。

松島や あぁ松島や 松島や(松尾芭蕉)

鐘島 
島に空いた4つの穴に打ち寄せる波の音が、
鐘の音のように聞こえることから、
その名が付いたと言われているらしい。

仁王島

仁王像が数千年に及ぶ海波の浸食によって、
葉巻をくわえて座っているように見える、

松島を象徴する島の一つという。

地震や津波の影響で、3分の2が崩れてしまった島や
形の変わった島もあったようだが、全体的にはそのまま、
260余あるという美しい、珍しい島々を見ながら、のんびり・・・
晴天に感謝!

 下船後は、ここから歩いて数分の「国宝・瑞巌寺」へ

伊達家の菩提寺である瑞巌寺の本堂は、
桃山様式を極めたすばらしい建物で
2016年に大規模改修を終え、今は自由に入れるが、
残念ながら内部の撮影は禁止だった。

本堂が見えないほど、参道が長かった。

少し疲れて、参道を出た所で、夫は生ガキとお酒、
母は抹茶甘酒、私はずんだ餅をいただき、一息ついた。

 

夕方着いた娘夫婦に、
夫がひときわ目を引く朱塗りの橋を渡って
福浦島まで行って来たら、と勧めた。
そしてすばらしい景色を楽しんで来た娘が
送ってくれた夕日の写真。




 
松島センチュリーホテルは大きなホテルで、
従業員の方達もとても感じが良く、
夕食の数の多さには驚いてしまった。

初めにセットされた食事に、好きなだけの天ぷらやカキフライ、ステーキ、牛タン
その他を届けてくれ、さらに隣のバンケットルームにはバイキングのように
いろいろな食べ物が並んでいた。

娘婿のとしさんは健啖家、嬉しそうに、
お酒と共に次々とお腹に収めながら、

「ネットで書き込みを見たら
『食事の数がすごくて、宿泊料で元が取れるのか心配だ』
と書いてありましたが、本当ですね。」と言っていた。


温泉にもう一度入りたいと思っていたが、
もう満腹と疲れで10時には就寝。  

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