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2015 年 ヨーロッパへの旅 38 ハノーヴァー⇔ハーメルン

2016-01-19 19:28:58 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月26日(土)

ハノーヴァー⇔ハーメルン
Hannover⇔Hameln

昨日歩き過ぎたせいか、今朝は体が重かった。
早速、ベッドの上で朝の体操。

私は家でも旅行先でも、
必ずテニスボールを二個ベッドサイドに用意している。
首の後から背骨の両側にかけて、徐々に体を揺すりながら、
ボールを下へ動かし、腰、お尻のほっぺ、
最後に膝の裏側にボールを挟み
100回ほど、かかとを腿に打ち付けるつもりで叩き続ける。

これを続けると、ふくらはぎの張りや、
膝の痛みがいつの間にか治るのである。
今日もこれで体が軽くなって、スムーズに動けるようになった。

朝食に行くと、さすが4つ星ホテル。
品数も多く、レストランの雰囲気も良かったのだが、
大勢の人で混み合っていた。

席を決めて食事を始めたら、隣に、グループ旅行なのか、
8人の男性がやって来た。

あまり聞いたことのない言葉で、どこの国の人か分からないが、
大声で話し、笑い、けたたましい。

日本人が懸命に叫んでも、なかなかあのような声は出ないだろう。
声帯、体格の差があるのだろうか。
それとも教育の差?国民性?
我々はそそくさと食事を終えて、部屋に戻った。

今までの星なしレストランでは、団体客がおらず、
大体2~3人の家族連れで、食堂に入る時に「Good morning!」と
声をかけて入るので、皆顔馴染みになり、和気あいあいとしていた。

ハンブルグのホテルでは、突然、英国の老婦人に「おめでとう!
フットボールのワールドカップで南アフリカに勝ったね。」と声を掛けられ、
ポカンとしていたら、笑われてしまった。
帰国後に、五郎丸選手が一躍時の人になっていることが分かったが、
数日間顔を合わせていると、どちらからともなく、
自然に会話が始まるのはやはり小さなホテルだ。


さて、11:25 ハノーヴァー駅から
Sバーンのブレーメン行き電車に乗った。
ハーメルン駅まで約40分。
乗客は少なく、のんびりと車窓の景色を眺めていると、
たくさんの風力発電施設が見えた。

ドイツ政府は原子力発電を止め、徐々に自然エネルギーへの
変換へ移行するという発表をした。

 日本は4年前、東北地震の時に
あれだけの被害を受けたにもかかわらず、
又、再稼働することを発表した。

地球温暖化の問題もあり、化石燃料にばかり頼る訳にもいかないが、
いずれ、出来るだけ近い未来に、ドイツのような道を選んでほしいと思う。

さて、ある駅に着いた時、近くにいた男の子が、
「ブレーメン?」と私達に聞いた。
「えっ?」とホームを見たが、駅の名が見えない。
私達も少々慌てたが、
この電車はブレーメン止まりだと知っていたので、
すぐに冷静にそのことを告げた。

 その男の子は、安心したように、
私達の隣の席に座って、挨拶を交わした。
アルゼンチンから1年間ドイツに勉強に来ている17歳の高校生で、
彼もハーメルンに行くとのこと。

そして、駅で別れた。

ハーメルンの駅は近代的な建物だった。
駅から歩いて旧市街地まで約15分、案内所兼土産物店に入って行くと、
笛吹き男の扮装をした人が、笛を吹きながら入って来た。

昔、グリム兄弟によって、13世紀のハーメルンで起きた
実話を基に書かれた童話「ハーメルンの笛吹き男」、
大発生したネズミを、笛の音でおびき出し退治した男に、
町の人がその報酬を支払わなかった為に、
怒った男が子供達を(130人?)連れ去ったという話で、
街のあちこちに、この話に因んだ場所があった。

この看板が目印のレストラン「ネズミ捕り男の家」。
ここでは「ネズミのしっぽ料理」と称する豚肉の炒め物が名物だとか。

笛吹き男の像

ここは「舞踏禁制通り」と名付けられ、
笛を吹きながら子供達を連れ去った男のせいで、
今でもここで音楽や踊りは禁止されているそうだ。

道路の敷石の所々にこんなネズミの銅板が・・・・

あちこちに「ウトルフト」と呼ばれる「張り出し窓」のある
美しい建物があった。
これは昔、スイスのザンクトガレンで見た物と同じではないだろうか。
日本で言う「ウダツが揚がる」と同じように、
出世した、成功をした人の証明ではないだろうかと思った。

 

旧市街地を歩いている内に、小さな町なので、
当たり前と言えば当たり前の話だが、
又、偶然に電車で会った高校生と再会した。

一緒に昼食を誘い、食事をする内、
現在、ドイツに住むおばさんの家にお世話になっていること、
アルゼンチンでは小学校から英語教育を受けているが、
話せる人は少なく、話せるようになるには
英語の専門学校に行かなければならない。

自分は7年間その学校で英語を学び、
今はドイツ語を勉強しているが、
ドイツ語は文法がすごく難しいのと、
英語と混乱してしまうので、道を歩いている時も、
看板や標識を見ながら覚えている、と言っていた。
 

17歳とは思えないほどしっかりしていて、とても好もしかった。
「私達が元気で動ける内に 、日本にもいらっしゃい。」
と夫が言うと「是非行きたい。」と目を輝かせていた。

食後、彼の申し出で、5時に駅で待ち合わせ、
一緒にハノーヴァーまで帰る約束をし、別れた。

アム・マルクト広場に行くと、教会と「結婚式の家」があり、

「結婚式の家」の壁には大きな鐘がたくさんぶら下がっていた。
式のある時には、この鐘が鳴り響くのだろうか・・・・聴いてみたい・・・

 

大聖堂の中のステンドグラスもこの町独特の絵柄・・・ 

 

ここでも、コーラス隊の人達の練習風景を見ることが出来た。

ふと目を移すと、先程の彼が入ってきて、
胸で十字を切っているのが見えた。
また・・・・日本語なら「あら、御縁がありますね。」というところだ。

三人でいる所に 一人の男性が来て、
「この塔の一番上から見る景色はすばらしいよ。
荷物を預かってあげるから、是非登ってみるといい。」と
声を掛けてくれた。 

この教会の係の人らしい。
1ユーロの寄付をして、荷物を階段下の部屋に預け、
登り始めると、どんどん上に行くにしたがって階段の幅が細くなり、
途中からめまいで動けなくなってきた。

二人は先へ先へと行ってしまい、こわごわ薄暗い中を
小さな灯りだけを頼りに、ようやく尖塔近くに着くと、
ここだけはガラス窓があり、大きな鐘が下がっていた。
(教会の写真をよく見ると、中ほどにあるらしい。)

 そして、ヨロヨロしながら下の景色の写真を撮っていたら、

彼が張り紙を見ながら、
「ここに4時までと書いてある。すぐに降りなければ・・・」と言うので、
あわてて降り始めた途端、パッと全ての明かりが消え、
真っ暗やみの中、手すりにしがみ付きながら、後向きに一歩一歩降りた。

「あのおじさんは私達のことを忘れてしまったのかしら。」
大きな声で呼んだが、聞こえないらしく、返事はなかった。
高所恐怖症に加え、閉所恐怖症も加わって、
気持ちがド~~ンと重くなった。

彼が「あっ、ちょっと待って。」と言いながら
スマートホーンで私の足元を照らしてくれて、少し心が落ち着き、
かなり下まで降りて来た所で、パッと照明がついた。
 夫が「おじさんが思い出したんだね。」と笑った。

その係員のおじさんはとっても良い方で、この教会の英文の説明書
5×6cmの小さな冊子や、ステキな花の写真を下さり、
「遠い所から来てくれてありがとう。」と言いながら、
しっかり握手をしてくれて、お別れした。

もう見るべき物もなく、時間は早かったが、三人で駅に戻り、
4時半位の電車でハノーヴァーまで戻った。
彼はここから地下鉄で一つ目のおばさんの家に戻ると言っていたが、
別れがたそうに、一緒に駅の外までついて来て、しばらく立ち話をした。

実は、私は今朝、駅のホームで、アルゼンチンサッカーチームの
ユニホームを着た彼を見かけていた。
そのことを言うと、とてもうれしそうに、
ステキな笑顔で「そうだったの・・・」と言った。 
もちろん、大のファンだそうだ。

今日もすばらしい出会いがあり、とても楽しい一日だった。

追記 (1月25日)

長文になってしまったので、割愛をしようと思っていたが、
10年後の自分の為に、やはり、ここに入れることを決心・・・・
この夜の食事について述べようと思う。

今夜はホテルの隣の小さなタイ料理のレストランに決定。
私はタイ料理をほとんど食べたことがないが、
通りがかりに覗くと、いつも満席なので、きっとおいしいに違いない。

このレストランにも「張り出し窓」が・・・・。

なるべく辛くない物を、と頼んだが、とても辛く、
夫は唐辛子その物を食べてしまい、目をむき出して

胸を叩きながら白ワインと水をガブガブ飲んでいた。

しばらくして、すごい汗をかきながら「おお、死ぬかと思った、
赤いパプリカかと思ったら・・・。」と言い、係の女性に言うと、
かわいい顔で「唐辛子は1本だけですよ。」と言って笑った。

メニューには2本の唐辛子の絵があったが、控えてくれたそうだ。

不思議なことに、サラダを頼んだのに、これもホットプレートに
並べて置かれ、これもすごく辛かった。

それに、初めに香草は苦手と言っておいたので、
ほんの少しだけのつもりだったのだろうが、
小さく刻んだコリアンダーをつまみ出すのに手間取り、悲しかった。

店の人達は優しく、笑顔がかわいらしくて満点だったが、
私はココナツミルクの入った最初のスープだけで満杯。
辛い物の好きな夫も、結局、最後までがんばることは出来ず、
かなり残してしまった。

この日も、現地の人達は大勢でタイ料理を楽しんでいたから、
好きな人が多いのだろう。

デザートの可愛いカフェ・オーレが救いだった。

 

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