あれから1週間が経とうとしています。
嘘でしょう?
昨日はテレビでお国の首相が”心配することは無い。落ち着いてください。”と訴えているのを見てこちらドイツでは”なんと!”と絶句。憤慨。
こちらのトークショーで、日本から帰ってきたばかりの留学生が”日本でも英語など外国語が理解でき、外国の情報を得ている人たちは、避難をとっくに始めている.”と話ていました。
今日の新聞の社説。
Hannoversche Allgemeine Zeitung ・ハノーバーアルゲマイネ新聞
苦悩の国・日本
嘗て何時、平和時に 日本のこのような困難にどこかの国が直面したことがあるだろうか?
震度9という史上かつてない地震に見舞われ,10メートルの海水の壁をたたきつけた津波に見舞われ、核災害がこれまた例の無い大災害になろうと危ぶまれている。
例を見ない最大級の自然の災害と共に、それを上まろうかという人災がスキャンダルを伴って後に控えている。全てのことが、発電会社・Tepco社とそれを監督指導した役所のリスクを抱えた今までの処置に端を発している。
今までも、危険信号は再三あった。責任者はこれらを故意に過小評価し、万一の場合には安全作動が動く、と考えていた。
現実には、核発電会社のトップは、複雑な最高水準の技術のコンプレックスを理解で来ていない。
そしてこれらのことらは偶然の一致ではない。
政府と電力会社は何十年も核発電の推進に力を入れていた。
これによって、原料の少ない国として,ある程度の従属的状態(オイルなどの)を解消できると考えていた。危険性を過小評価し、不十分で、不透明な情報の供給を伴ったこの政策が如何に高いものについたか、今大きな痛みを持って感じ取らざるを得なくなっている。
津波による犠牲が残酷な爪あとを残し、福島の困窮した状態を見て、大きな痛みを感じるが、そこに常々の周到な災害に対する準備がされていたことによって、食い止められた、これ以上の被害については我々は脱帽する。
日本人は地震による災害を回避する為の訓練と準備を、何十年もの間、人生の一部として備えてやってきた。
ど の国より、耐震性のある建築物が建てられ、人々は常に万一の場合に備え、救助隊は即刻応対できる体制であった。このような災害に見舞われたどの国であろう と、このようには対応できないであろうと思われる。このおかげで亡くなった一人の人の上に多くの救助された命が乗っていると言える。(他国であれば、死亡 の数はもっと多大であったであろう)
国と国民は今、これからどうなるのかとの疑問を抱えている。
この国の人々は苦難を受け入れ、不運に耐える能力を持つことを、今まで証明してきた。
だから、何十年もスキャンダルの連発の政府をも許容してきた。
しかしいまからはそうは行かない。
日本は新しい社会的・政治的・ビジョンが必要だ。
経済的にはもう何年も低下の一方だ。赤字財政は記録更新の一方であり、老齢化社会の問題を抱えている。既に20年この状態だ。ここでもう10年この状態が続くのであれば、一つの失われた世代があることになる。
日本人は今再び”大丈夫だ。がんばれ、落ち着け。”といった、忍耐に訴えかける言葉より、もっと良いものをを享受すべきだ。