ベッドの横で、又 ケアセンターの廊下で
車椅子に座っての会話です。
2009年1・12 100歳
これからの大橋の人間は、長生きの絢さんが目標になる。頑張ればここまで生きると・・
国から100歳の賞状が届いたとき、私が「表彰状」と、相撲の優勝者に外国の方が読み上げるように、初めから
終いまで読み上げ、総理大臣福田康夫といったら、終わった直後に「福田総理はもうやめた人や」と・・
「今は、あそーとか言う人だ・・と・・」総理大臣が変わったことまで、よう知っている。
2010年1月1日、(あと11日で101歳)
今、末の妹だけが東京にいる。
ケアセンターから携帯で東京に電話した、かける前は聞こえへんのでかけなくてよいといいながら、老姉妹は20分ほど
喋っていた。二人の間ではよく聞こえるのだ。姉妹の間での特別の言葉があるのだろうか?・・・
何を喋ってた?と聞けば、「同じことばかりや! 何とか元気らしい!」と・・
この日また新しいことを聴いた。
子供の頃遠足に行ったとき、同じ組の子が、絢子ちゃん手をつないでという、「何で」と聞いたら「絢子ちゃんの手が温かい
から」と言ったそうです・・・ 「ほれ見て見、今でも暖かいやろ!」と手を出す、さわってみると本当に暖かい。
時々、みんなの夢を見ると言っている。特に父母と姉が多いが・夫は夢にあまり出て来ない。今度でてきたらもうこっちへ
おいでと言うかも知れない。・・・と
しっかり生きていく為には、と・・・いつも言っていることは
自分の考えをきちっともつことが大切だと言う。それから子供が20歳を超えたら自分の行動には責任を持たせること、
以後は口出ししなかったという、自分で考えろと・・この考えで生きてきたし、自分は実行してきた。
それは子供を信頼しているから出来たのだという。
最近は、死んだら土になるのだから、生きられる間は、生きなければしかたがないといっている。だいぶやせてきた。
職員に「38㎏だと言われた」と言っていました。
あと何日生きられるか知らないが、達人の暮らしは今日も、淡々と続いている。
絢さん! 皆んなで握手 川の流れのように
4・ 9 毛染め、カット ¥6500 の領収書有り
7・23 毛染め、カット ¥6500 の領収書有り